不思議な夢を見た。


私たちはいつから人になったのだろう?


人は社会を形成したことによって


それぞれの持つ可能性や使命など、


本来持っているものを全てを忘れるように。


つまり人ではない何かになることを


この世界では阻まれているのではないだろうかと。


人として定められた以上、そこにある常識、


定義などから大きく逸脱することは許されない


世界になっているのではないかと感じました。


そんな夢を見ることがあるのだと不思議で仕方ない。


ただ人として人間が定義し、


現在のような生活を送っている以上


人という枠から大きく逸脱できないし


すれば制裁が待っている。それは良い事も悪い事も。


仏教では魂は輪廻転生するといわれ、


元は人の魂だったものも今世は犬に、猫に、虫に、


ということもある。犬だから犬らしく生きないと


いけないのか?この社会ではもちろんそう。


だから極悪人よりも優しい犬がいるのは


当然なのかもしれない。


私が言うのは次生まれ変わるなら何になるか


わからない。しかし、その生まれ変わったものとして


生きていかなければいけない一生があり、


また、どれだけ深い思考を得ても人でない限り


評価はされない。犬や虫たちの中にもしかすると


すごい思考を持ったモノがあるのではないか。


ただ神様からいただいた魂の入れ物が人の肉体か


動物かだけで全てそのものとして振る舞わなければ


なんて窮屈な世の中なんだろう。


中島敦の作品『山月記』の世界観なのかもしれない。


こういった定義は我々を縛り、


思考も枠の中に閉じ込めるには好都合なのだろう。


支配者にとっては。出る杭は打たれるという理論を


まさにうまく使っているのだろう。


もうすぐ大洗濯、大峠がやってくると思う。


そう考えるとこの夢を見た意味もわかってくる。


そして宮島で出会ったおばあちゃんに言われた


パワーがいつの間にか自分でも使えるようになって


いたことに昨日氣がついた。


牡蠣に当たった友人が冷や汗を垂らし、


顔色も悪かったのだが、お腹をさすると


見事に治るということが起こった。


『手当て』の由来とやはり目に見えない力


というのがこの世には存在するのだと感じました。


自分では早いなぁ〜


もうこの年齢でいただけたのかなと感じました。


日々精進です。