山々は新緑と常緑のコントラストが美しさを表現する
清々しい季節を迎えました
微妙な光の具合に、とどまることのない
奥深い美の世界を見せてくれています。

本の執筆などという不慣れな作業に取り掛かっていたことで
こちらの方がおろそかになってしまいました
いつもブログをご覧いただき感謝申し上げます。

前回、の課題として残ったのは「友情」がテーマでした。
神界では
・こちらから神界へアプローチできる(確認済み)
・龍神からの友情を引き出せる自分

この友情を引き出すことについても確信できていたが
具体的に現れていなかったので(確認済み)としませんでした
それが先月になり、事例として起きたので発表したいと思いますが
今回から【次のステージ‥神と一体になる】に進みますので
「神との友情」の事例は文中で取り上げながら関連付けたいと思います。

最近、台所にネズミによる被害が見られるようになったことで
幽世之大神(幽界〈仏界〉の主祭神)の友情を感得できました。

元来、先祖が子孫に伝えたいことがある場合にネズミを使うもの
しかし先祖の意図するところが理解できなかった。
しばらく仏前に食事をお供えしていなかったので
お詫びししばらく続けてみたが、どうも違う
すると幽世之大神の方で自分に示したいことがあることに気づき
しばらく様子を見ていると、我が家によく出入りする若者が
自発的に台所周りを徹底的に片づけ、綺麗に整頓してくれた
その後ピタッとネズミの姿を見ることもなくなった。


‥この事例の意味するところをまとめると‥
自分の力で霊界の霊の救いは出来ると思っていたが
自分の力の及ばない部分として見せられ
それを「幽世の大神」が協力してくれた。
個性を持ったひと粒の雨粒が、川になり大海に溶け込み全体と一つになる
仲間を増やしながら大きな働きをし、神のもとに還っていく
自分は【次のステージ‥神と一体になる】その段階に立っている
その自覚をもってこれを書き進めています。



2008年6月14日に千葉県の鋸山の「天啓聖蹟」に行ってきました
私にとっては、夜と昼が転換するほどの
人生の大きな転換の切っ掛けになりました。





天啓とは、現実の世界で夜と昼の転換が起きるように、
霊界でも夜と昼の転換が起きる
神から、それが三千年ごとに起きる節目の時に当たるので
「昭和6年6月15日の朝日が昇る時にその場所に立つように」
との神命を賜ったとあります。

聖蹟とは、岡田茂吉師が天啓を受けた記念の場所であり、
そこから朝日に向かって祝詞を奏上することで
夜と昼の転換を感得し、ある高貴な神様をお迎えする
神秘に包まれた神事が行なわれた場所ということです。

ここで重要なのは、岡田茂吉自身が転換したという事実であり
霊界の夜と昼の転換を感得できたことである
ただ随行者の誰ひとりとして感得することはできなかったという。


2008年、当日は薄曇りで、影もハッキリ映らない。
私は自分の時計で確認しようとすれども方角が分からない
九十九里浜や太平洋を望むにしても灌木が邪魔をしており
おおよそ朝日が上がると思われる方向に向かい祈りを捧げた
しかし他の人達は「天啓の碑」に向かって祝詞を奏上している
人それぞれの想い方であり「まあいいか」と自分を納得させた。

その場所での結果が、自分自身の「夜・昼の転換」として
どの様な形となって出てくるのかを見極めたいと思っていた
実はその4月に「おひかりが外れた」という事実に心が支配されていた。
 58.㊪メシヤについて



『神はその時代時代に必要なる人間と、必要なる宗教を顕わし給い、
  それぞれの使命を遂行させ給うのである』
  ‥世界救世教教義 救世53号、昭和25(1950)年3月11日発行‥
これは、それまであった2つの宗教を合体させ
新たに発足した世界メシヤ教(救世教)の教義の部分です。

浄霊(外部からの力)によって、自然治癒力を引き出してきました。
しかし私は次年、この宗教の守り・浄霊の力から解き放たれ
「神の分霊=自分の魂」の導くところに従うことになりました。
つまり外部からの神の代理としての人間や、宗教の力に頼るのではなく
自分の魂に存在するあらゆる力を引き出せる段階になりました
これが自分自身の「夜から昼への転換」の第1段階になります。

その後12年間、様々な場面を受け止め、資質の確認もしながら
「創造」が出来るようになるまでの人生のプロセスです。

先ず2009年になると「おひかり」が必要なくなりました。

       表            裏

       写真 おひかり 7ミリ×16ミリ

これを首に掛けないと浄霊行為が出来ません。
神の光を受け止める「ご神体」のようなものです。
このおひかりの必要が無くなったということは、
首に掛けない方が強い光が出ることが分かったからです。
 ㊪メシヤを求めて


この2008年の鋸山登頂までに「タバコと酒」を止めましたが
自分の転換に先立つ「露払い」になったのではと思っています。

そしてその後、母の介護が始まりました。
家庭で浄霊を頂けないので、自己浄霊を徹底していると
浄霊の講座とは違う世界を見せられるようになる。
特筆すべきは、自分が一種の認知症状態になったと自覚した。
しかしその後、新たな脳細胞の働きなのかは定かではないが
答えが先に分かるようになったことを感得した。
 17.未来に向かってⅡ


一昨年、若者世代で流行した“正解”という歌謡曲がある
 『なに一つ見えない僕らの未来だから
  答えがすでにある問いなんかに用などはない』
 
  ”正解”RADWIMPS


学校教育では正解を求める(答えはひとつ)
しかし自分の足で立ち生きて行こうとするには
右へ行くか左へ行くべきかを決定するという時は
自分自身の“正解”を決定するということになる
私はその正解が先に分かるようになりました。

右へ行った場合、左に進んだ場合の別々の世界は存在します
選んだ結果の選択が出来るようになりたいのではなく
右と左を結んだ「創造の段階」を極めたいと思っています。


次回以降のテーマとしたいと思いますが
つまり「自分を知る」というところからスタートします。

自分を知り=自分に必要なこと‥が分かり、取り組むうちに
どの様な自分で在りたいかを考えるようになり
なりたい自分象を決めるところから「創造」が始まります。

                      続きます