最近のベビメタは前座ばかりでつまらない。
レッチリの前座でtake your phone outと煽ってレッチリのファンを喰ってるのはわかる。実際、ガンズのライブの前座でも、初めて観た客がなんじゃこれゃと思っていたのを、客席で観ていてわかるくらい凄いものだった。

だが本来、モシュッシユメイト*が求めているものはこれなのか?
僕がなぜベビメタのメイト*になったのか?
と自問自答してみる。

ベビメタはまがいものでなければならない。
底知れない天才がメタルに対して、お前らこのまま死ぬのか?それで良いのか?
と問いかけるメタルでない何かこそ
、ベビーメタルなのだ。
だから、ベビーメタルはメタルのまがいものでなければ面白くないんだ。
我こそはメタルの中心になるんだなどと思うな。よくよく考えるとだからこそKORNの前座はやるいみがあるが、レッチリの前座はメタルの本物としてやっているのか、メタルのまがいものとしてやっているのかで意味が違ってくる。
本物としてやっているのなら、メタルに未来はない。ベビメタが大きく成長するだけだ。
僕らが望んでいるのは、ベビメタがメタルを再生させる未来ではないのか?ベビーメタルのそういうところに共感を覚えたのではないのか?
メタルに興味があるというより、衰退しゆく
良質の音楽の一ジャンルを再生させようとするベビメタの生き様に共感したのではないか?
メタルの再生がベビメタのレゾンデーテル、存在意義だと思うから、共感しているのであって、ベビメタがメタルの中心になると、ベビメタのレベルを、クォリティを再現できるニューカマーはそうそう現れないだろうから、ベビメタは残っても、メタルは死ぬしかない。

だからこそ、ベビメタはメタルのまがいものである必要があるのだ。

メタルのまがいものならまがいものらしく、もっと自由にやって欲しい。
色々背負うものが多くなり、自由がきかなくなってきたか?
いや、まだまだ、ベビメタにはのりしろがあるぞ。SU-METALには、無限の可能性がある。こと中元すず香にかぎっては、SU-METALさえ、中元すず香の一形態に過ぎないのだから。
中元すず香、すぅちゃん あなたはもっと自由にやって良いはずだ。
毎回、観るものの想像力を超えてくるから僕らはメイトでいる。
たとえそれで滑ったとしても、もうSU-METALこと クイーンのなすことにメイトは従うまでだ。

だから、だからメタルに取り込まれず、自由にやり、観たこともない世界を見せて欲しいのだ。これがすぅちゃんへの期待だが、重く受け止めないで、身の丈でできる限りを見せて欲しい。重く感じたら軽い歌を歌っても
メイトは感動する。悩めば良いし、休んでも良い。ずっと待ってる。既に今時点ですぅちゃんは伝説の歌姫であるのだから。


*モシュッシユメイト、メイトは、安全な優しいモッシュをする仲間。メイトはモシュッシユメイトの略。