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音楽とスピリチュアル、私の2つのライフワーク

サイキック/スピリチュアル能力者として活動するバイオリン弾き、よーいちの日々の活動と学びをご紹介するブログ

※この記事の後半には、少し視点を引いた「あとがき」を追記しています。

本編とはトーンが変わる部分もありますので、必要なところだけ拾ってもらえたらと思います。

 

受信しすぎる人へ

──スピリチュアル体質が抱える “境界線” のほんとうの話

 

「受信しやすさ」を感じつつ、日常で疲れてしまう人

人の気配や感情を、まるで自分のもののように感じてしまう。

理由のはっきりしない重さや疲れを抱えてしまうことがある。

 

もし、そんな経験に心当たりがあるなら——

この記事はきっと何かヒントになると思います。

 

ここでは、スピリチュアル体質の人が陥りやすい

「受信しすぎる」現象と、

それを無理なく整えるための“境界線”という考え方について、そっとまとめてみました。

 

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■ 1. 直感・予兆は「当てるもの」ではなく“扱うもの”

 

予兆やシンクロの感覚がふいに訪れると、

つい “当たった / 外れた” という基準で評価したくなるものです。

 

けれど本質はそこではありません。

 

直感とは、未来を言い当てる道具ではなく、

**自分の波の状態を知らせてくれる“センサー”**のような存在です。

 

「いま、何が動いているのか」

「自分の内側はどう反応しているのか」

 

そこを静かに観察できるだけで、

直感はずっと扱いやすくなります。

 

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■ 2. 人のエネルギーを受け取りやすい人が陥ること

 

スピリチュアル体質の人は、

他人の感情や状態を、自分のことのように感じてしまうことがあります。

 

たとえば——

 

• その場の空気が重くて、身体が沈むように感じる

• 相手の不安がそのまま胸に入り込んでくる

• 原因のわからない倦怠感や眠気に襲われる

• 「嫌な予感」がなぜかよく当たる

 

これはHSPのような繊細さとも少し違う、

もっと“エネルギー的な反応”です。

 

ただし、ひとつだけ誤解してはいけない大事な点があります。

 

**「感じ取れるからといって、それを背負う必要はない」**ということ。

 

その人の課題をあなたが引き受ける必要はありません。

 

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■ 3. 過受信は「境界線の弱さ」ではなく、“やさしさ”から起こる

 

一般には

「受け取りすぎるのは境界線が弱いから」

と言われたりします。

 

しかし、実際にはこうです。

 

受信しすぎるのは、

共鳴性が高すぎるほど“やさしい”から。

 

• 気配の変化を敏感に捉える

• 他者への共感が深い

• 集合意識に触れやすい

 

こうした性質があるからこそ、

境界線が“必要”になります。

 

境界線とは、壁でも拒絶でもありません。

 

**「愛の量を間違えないための智慧」**です。

 

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■ 4. スピリチュアル体質の最大の罠

 

「私は導かなければならない」という思い込み

 

感受性の強い人ほど、無意識にこう考えてしまうことがあります。

 

• 私が助けなきゃ

• この重いエネルギーを浄化しなきゃ

• 自分が動かないと、誰も変わらない

• この“感覚”を何かに役立てなければ

 

でも、本当は違います。

 

あなたはその人の先生ではありません。

誰かの身代わりになる必要もありません。

 

その人の学びは、その人自身の領域にある。

 

この視点を持つだけで、

過受信が驚くほど軽くなることがあります。

 

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■ 5. 境界線とは“神聖な距離感”であり、霊性の成熟そのもの

 

 

受信しすぎてしまう体質の人が、

いちばん学ぶべき核は「自分と他者を分ける」という技法です。

 

境界線とは、

 

• 自分を守るため

• 相手の学びを奪わないため

• 不要な干渉を避けるため

• 調和を保つため

 

に存在しています。

 

それは冷たさではなく、

**もっとも静かな“愛のかたち”**です。

 

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■ 6. 最後に:必要な縁は、どんな距離でも自然につながる

 

 

境界線を引くと、縁が切れてしまうのではないか。

そう感じる瞬間があるかもしれません。

 

ですが実際には、

 

必要な縁は、距離を置いても自然に残る。

必要のない縁は、近くにいても薄まっていく。

 

とてもシンプルに、ただそれだけのことです。

 

境界線とは、人を遠ざけるためではなく、

あなた自身のリズムと感性を守り、

生きやすさを取り戻すための道具です。

 

受信しすぎて疲れてしまった人にとって、

この“距離感の技術”は、きっと大きな助けになります。

 

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あとがき

(この先は、本文とは少し違う角度からの話になります)

 

ここからは、本編で触れた内容をいったん脇に置き、

少しだけ現実側・構造側の視点から補足する「あとがき」になります。

 

本編とはトーンが変わる部分もありますので、

今の自分に引っかかるところだけ拾ってもらえたら、それで十分です。

 

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さて……ここまで書いてきて。

 

正直に言えば、

ここまで繊細に世界を感じ取る人は、割合で言うと、世の中にそう多くはないかもしれません。

(だからこそ相談できる人が少ないですし、そんな人のためにも記事を書いているつもりです。)

 

 

色々なスピリチュアルな方の悩みに相談する中で、

 

人間は、どんな魂の持ち主であれ――

肉体という制約の中にいる以上、実は大差ない。

 

だから、もっと図太く逞しくなっても大丈夫だとも、

最近は思うようになりました。

 

 

また、あくまで私自身がこれまで相談を受けてきた中で、

何度か目にしてきた傾向の話ですが――

 

「自分は繊細だ」「受信しやすい体質だ」と必要以上に思い込むことで、

気づかないまま視野が少し内側に寄りすぎてしまうことも、時にはあります。

 

結果として、本人は周囲を気にしていたとしても、

その思いや意図とは裏腹に、周囲からは、むしろ自己中心的に見えてしまう。

 

そういう構造が生じてしまう場面も、正直あるわけです。

 

 

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ただ――

この「境界線」の話に関しては、別です。

それが自分の内側から湧いた感情であれ、

他者から持ち込まれた影響であれ、

 

感情のエネルギーが未分化なまま

思考や行動とごちゃ混ぜになると、

 

現実の環境に歪みが生じたり、

気づかないうちに自分を削ってしまったりする。

 

本来は天命のままに生きていけるはずが、

ボタンの掛け違いに気づかないまま、

時間とカルマ(因果)だけを重ねてしまう――

 

そんなことも、わりと普通に起こります。

 

 

だからこそ、

自分の感情や境界を扱うための

リテラシーやロジックを身につけることは、

 

「閉塞した現状」を打破して、今をより良く生きるための、

かなり実用的なツールになり得る。

 

その中に

スピリチュアルな文脈が含まれていたとしても、

道具として正しく使う分には、意外と悪くなかったりするのです。

 

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このあとがきは、

答えを出すためのものというより、

それぞれが必要なタイミングで立ち返れる

ひとつの「視点」として置いておけたらいいな、と思っています。

 

――という、そんな補足でした。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。