最近、AIに占いの内容を打ち込んでも、以前ほどアテにならなくなってきたように感じることがあります。
ただ、それは単に「AI占いが駄目になった」という話ではありません。
むしろ、AIを通して、占いとは何を読むものなのか、直感とはどう扱うものなのかを、改めて考えるようになりました。
もちろん、AI占いそのものが駄目だという話ではありません。
むしろ、かなり使える場面もあります。
一時期は実際のセッションでも、補助としてかなり活用してきました。
AI占いが「それらしく」なりすぎる時
しかし最近になって、占断やリーディングの領域では、こちらが与えた文脈をもとに、それらしい物語を組み立てているだけに見えることが増えてきました。
特に、自分についての占いをした場合に、それを顕著に感じるようになったのです。
象徴や象意そのものを読んでいるというより、
こちらの情報を拾って、無難にまとめている。
それはそれで便利ではあるのですが、占いとして見ると、少し違うのです。
たとえば、普段使っていないAIに、周辺情報をあまり与えずに素読みをさせると、かなり鋭い答えが出ることがあります。
けれど、それはそれで柔軟性に欠けることもある。
逆に、文脈を与えすぎると、今度はリーディングというより、こちらの事情に沿ったカウンセリングや物語作りになってしまう。
まして、使う側が自分の文脈を強く持ち込みすぎることで、他の人の占断にもその枠組みを当てはめてしまうなら、問題も生じかねません。
象徴を読むことと、現実を狭めないこと
抽象的でフワッとしすぎても困る。
やたらとスピリチュアルなドラマに寄せられても困る。
かといって、現実的すぎて象徴を読まなくなるのも困る。
型に嵌りすぎることの弊害として実感するのは、
不確実性や予想外の可能性、未知の創造性という、現実の大事な要素を排除してしまうことがある、という点です。
結局のところ、占いも直感も、本来は人間が扱うものなのだと思います。
さらに言うならば、AIを占いで使えるように「仕込む」のも、やはり人間の仕事なのだと思います。
とはいえ、こうして考えてみるだけでも、占いや精神世界へのAIの活用には、まだ多くの課題と可能性が残されていると感じます。
さらに大きく見れば、テクノロジーの発達は、人類の意識の進化というテーマにも関わってくると私は思っています。
人間の直感にも、ノイズは入る
また一方で、自分も含めて、人間というものはエゴや願望や恐れのノイズにまみれると、これがまた、アテにならないことこの上ない代物になります。
・自分の見たいものを見る。
・信じたいものを拾う。
・怖いものを避ける。
・自分が相手に言いたいことを、占いの結果として語ってしまう。
これはAI占いを扱う時にも同じ問題として現れますが、
占う側にも、占われる側にも常に起こり得ることです。
最初の師匠から学んだこと
そのあたりのノイズをできるだけクリアにして、直感を有効に使うための手法や考え方を、私は最初の師匠から学びました。
もう21年ほど前の話ですが、
実際の技の使い方から、物事の捉え方、いわば精神世界の歩き方のようなものまで、実例を通じて楽しく学びました。
自分にはそれが合っていたのでしょう。
今振り返っても、基本としては未だにそれを超えるものがないと感じています。
師匠のところで学んで以来、私はこの世界でいろいろな人たちを見てきました。
様々な出会いから、経験や知見、学びを得て成長させていただくとともに、正直イラッときたことも何度もありました。
理論や教えは立派でも、どれほど高い知性や鋭いサイキック能力があっても、結局はエゴや承認欲求に飲まれてしまう人はいます。
それは誰か特定の話というより、この世界に関わる人間なら誰にでも起こり得ることなのだと思います。
そして、私の師匠にも、良いところだけでなく欠点もたくさんあったと思います。
師事したのが短い期間だったので楽しい思い出しかありませんが、思い出や学んだことは大切にしつつも、そのあたりは盲信しない姿勢でいます。
直感を扱う上で本当に大事なこと
学び、実践してきた上で申し上げることとして、
直感を扱う上で大事なのは、派手な言葉でも、ドラマティックな演出でも、ハイレベルな知識や特別な能力の誇示でもありません。
それらが一切いらない、ということではありません。
そしてこの世界、何でもアリ、なところもあります。
宇宙的な視点では、ネガティブと見えるものにも意味があると言ってしまえば、そうかもしれません。
しかし、本当にちゃんとやりたいのであれば、必要になるのは、
・どこまで自分のノイズを取り除けるか。
・どこまで静かに、注意深く見ることができるか。
・どこまで結果ではなく、根源に目を向けられるか。
・どこまで正しく識別し、自ら考えることができるか。
そこなのだと思います。
実際、こうした基本にいつでも立ち返ることこそ、私を含め多くの人にとって必要なのかもしれません。
結局、何が本筋なのか
この三次元の事象の世界は、あくまで「結果」を見せられている世界です。
ここに住んでいる限り、あらゆるものがままならない。
人の気持ちも、縁の流れも、出来事の展開も、自分の思い通りにはなりません。
軽い気持ちで占いを楽しむ人にも、精神世界に深く惹かれる人にも、
目の前の結果だけに留まることへの違和感や、その奥にあるものに触れたいという感覚は、多かれ少なかれ共通してあるのではないかと思います。
だからこそ、目の前に現れた結果だけに振り回されるのではなく、
その結果を作り出している根源の何たるかを、いかにして正しく識り、実践を通じて検証し、深めていくか。
結局、それがこの世界の探究の本筋なのだと思います。