茶店「ラクカ」の扉が開いたのは、雨上がりの、少し肌寒い午後だった。
「いらっしゃい」
太田豊は、いつも通りの調子で、カウンターの奥から声をかけた。だが、入ってきた客の顔を見た瞬間、その声が、途中で止まった。
「……由紀子、さんか?」
「久しぶり、豊くん。……いや、もう、くん付けはおかしいかしらね」
星野由紀子、五十六歳。かつて、この町で生まれ育ち、太田とは幼馴染だった女性だった。三十年ほど前、東京の大学に進学したのを機に、この町を離れて以来、一度も帰ってきていなかった。
「驚いたな。まさか、由紀子さんが、この店に来るとは」
「風の噂で、豊くんが、こんな素敵な茶店をやってるって聞いて。里帰りのついでに、寄ってみたの」
「里帰り、というと」
「実家、そろそろ手放そうと思っていて。その整理でね」
太田は、コーヒーを淹れる手を動かしながら、静かに、しかし確かに、動揺していた。三十年という歳月は、長いようで、目の前に座る由紀子の面影に、あの頃の面影を、はっきりと重ねさせるには、十分すぎるほど短くもあった。
「豊くん、この店、いつから?」
「もう二十年になるかな。東京で色々あって、こっちに戻ってきてから、始めたんだ」
「そう。……あの頃、豊くん、東京で音楽をやるんだ、って言ってたわよね」
太田は、少し照れくさそうに、頭をかいた。
「若気の至りだよ。うまくいかなくて、結局、こっちに戻ってきた」
「そう」
由紀子は、それ以上、深くは聞かなかった。だが、その一言には、どこか、労わるような響きが込められていた。
「由紀子さんは? 東京で、ずっと」
「編集の仕事を、長くやってたわ。結婚もしたけど……もう随分前に、離婚してね。今は、一人よ」
「そうか」
二人の間に、しばらく、穏やかな沈黙が流れた。互いに、三十年分の人生を、一言二言で語るには、あまりに多くのことがあった。
「豊くん、ここのコーヒー、美味しいわね」
「そう言ってもらえると、嬉しいよ」
「明日も、来ていいかしら。実家の片付け、まだしばらくかかりそうだから」
「もちろん。……いつでも、待ってるよ」
由紀子が店を出た後、太田は、しばらくカウンターの向こうで、ぼんやりと、雨上がりの空を眺めていた。
三十年という時間が、静かに、しかし確かに、動き始めたような気がした。
茶店「ラクカ」の扉が開いたのは、雨上がりの、少し肌寒い午後だった。
「いらっしゃい」
太田豊は、いつも通りの調子で、カウンターの奥から声をかけた。
だが、入ってきた客の顔を見た瞬間、その声が、途中で止まった。
「……由紀子、さんか?」
「久しぶり、豊くん。……いや、もう、くん付けはおかしいかしらね」
星野由紀子、五十六歳。かつて、この町で生まれ育ち、太田とは幼馴染だった女性だった。
三十年ほど前、東京の大学に進学したのを機に、この町を離れて以来、一度も帰ってきていなかった。
「驚いたな。まさか、由紀子さんが、この店に来るとは」
「風の噂で、豊くんが、こんな素敵な茶店をやってるって聞いて。里帰りのついでに、寄ってみたの」
「里帰り、というと」
「実家、そろそろ手放そうと思っていて。その整理でね」
太田は、コーヒーを淹れる手を動かしながら、静かに、しかし確かに、動揺していた。
三十年という歳月は、長いようで、目の前に座る由紀子の面影に、あの頃の面影を、はっきりと重ねさせるには、十分すぎるほど短くもあった。
「豊くん、この店、いつから?」
「もう二十年になるかな。東京で色々あって、こっちに戻ってきてから、始めたんだ」
「そう。……あの頃、豊くん、東京で音楽をやるんだ、って言ってたわよね」
太田は、少し照れくさそうに、頭をかいた。
「若気の至りだよ。うまくいかなくて、結局、こっちに戻ってきた」
「そう」
由紀子は、それ以上、深くは聞かなかった。だが、その一言には、どこか、労わるような響きが込められていた。
「由紀子さんは? 東京で、ずっと」
「編集の仕事を、長くやってたわ。結婚もしたけど……もう随分前に、離婚してね。今は、一人よ」
「そうか」
二人の間に、しばらく、穏やかな沈黙が流れた。互いに、三十年分の人生を、一言二言で語るには、あまりに多くのことがあった。
「豊くん、ここのコーヒー、美味しいわね」
「そう言ってもらえると、嬉しいよ」
「明日も、来ていいかしら。実家の片付け、まだしばらくかかりそうだから」
「もちろん。……いつでも、待ってるよ」
由紀子が店を出た後、太田は、しばらくカウンターの向こうで、ぼんやりと、雨上がりの空を眺めていた。
三十年という時間が、静かに、しかし確かに、動き始めたような気がした。
ここ数日 急に暑くなりました
体力低減 麺類ばかりになってます これは やばいかな?
冷房全開で 横になってくつろいでます すんません!((´∀`))ケラケラ