大御所にも駆け出し時代はあります | ロシア語学習者の日記

ロシア語学習者の日記

60歳からの育ち直し。「歳だから」に負けない日々是学習

私が通訳する人を初めて見たのは、大学1年生の時、母校を訪れたモスクワ大学総長ログノフ博士の講演で通訳をするSさんでした。30年以上も前のことであり直接講演者から聞く話ではなく、誰かのフィルターを通して聞く話しというのも初めての経験であり、とても不思議は気がしたものでした。講演の中身はまるで覚えていません。

ログノフ総長のロシア語は当然理解に及ばないものでしたが、通訳のSさんが何かを確認しようと舞台上で博士に歩み寄り発したそのロシア語も、「△△△、×××」としか聞こえず、(つまり何もわからず)、記憶にありません。

その時のSさんの私との年齢差からいって、25歳だったはず。

しかしながら、いかに年若と言えども、任された以上は、アカデミー会員であり、モスクワ大学の総長という最高峰の知性が発する言葉を通訳せねばならないのは、プレッシャーだったのではないでしょうか。

ほとんどが学生とはいえ、大教室を埋め尽くした聴衆は200人を優に超していたでしょう。

私が25歳の頃は、社内で商談の通訳しかしていなかったのです。安いとか高いとか、値下げだ、値上げだということにつきていたわけで、そんな通訳しかせずにいれば、少しも上達しなかったわけだと思います。

しかし、その同世代の頃に、卒業生に通訳させる伝統に、「貴女しかいませんから」という白羽の矢で、通訳していたわけです。頭が真っ白!と、私なら思うと思います。

しかし、全くわからなくても、声は雄弁です。
なんとなく、危うい、自信なげな様子に見えたのは、おそらく、見間違いではないと思います。
常にメモに落としている目、もともと小さい声とはいえ、小さい声。。。

今の、日本を代表する会議通訳という堂々とした姿からは、ちょっと想像できない消え入りそうな雰囲気だったと思います。

しかし、私とはくらべものにならないくらい、Sさんは、大学時代から、ロシア語を脇目もふらずに勉強していたということは周りが証言し、自分でも述懐していました。大学では英文科、専門学校に通ってロシア語を勉強していたそうです。

その後、社内通訳も経て、30代で、フリーランスとなり、ぐんぐんと力を伸ばしていったのを、私も、近くで見ていました。雲の上の人に駆け上がっていったという気がします。

「通訳は才能」でしょうか?それとも、「努力」でしょうか?
もちろん、解釈はいろいろです。そこには、勉強の虫になれるという一つの才能がいる気がします。勉強のコツを掴める人、自分スタイルが確立していて、どんどん、それに、新しいことをはめ込んでいき、ぐんぐん吸収する人も教えたことがありますが、これも才能だなと思います。

通訳になりたいのなら、やはり、勉強が好きでないといけない。そういう気がします。それだけは真実だと思います。語学そのものも、そして、背景知識を持つという不断の努力と、そして、通訳当該分野の勉強です。

勉強嫌いで、たまたま、帰国子女で、二か国語ができるから、通訳になれるということはないのが、この世界なんだろうなと言うことだけは言えるのでしょう。

でも、そして、もう一つ、心から叫びたいのは、「誰でも、最初は駆け出しだ」という事です。