今日も あしたも あさっても

今日も あしたも あさっても

  ゆうちゃん の ひとりごと





  ちょっとした ひとりごと 





  そして あくび

【代表の役割】

 

今日もツインで、えんやこら

病院、行ってきました~

 

車だと涼しいの、いいかもしれない

荷物も多いしね

 

病院の長椅子で

座ってられなくて

横になって待つくらい

最近はキツイ

 

帰ってきて、ぐったり

旦那が帰ってくるまで

何もできずに、寝込んでて

旦那が帰ってきて、慌てて起きる

 

ふと、見たらメンバーさんから

「衣装と楽譜を取りに伺ってもいいでしょうか?」

 

おっと、危ない危ない

ラインに気づかないほど、寝てた

 

すごく、真面目な方で

みんなに背中を押されて、今回の

ふるさとまつりに参加される

 

よく知らない曲だけど

お家で練習してみる、と言っていた

 

音源は、わたしが送ったのは聴けたと

言っていた

う~~~む

どれのことを言ってるのだろう???

 

70過ぎて、新しいことに挑戦する

20年も悩んできたことを

思い切って、プチトリアノンに入ってくれた

 

最初の思い出に、怖さで震えるような

緊張で、頭が真っ白になってしまうような

そんな思いは絶対にさせない

 

大げさかもしれないけど

わたしは出演の場を用意してるんじゃなくて、

その人たちを連れて

舞台に上がる責任を持っているのだと思う

 

やって、よかったと思ってもらいたい

ただ、それだけ

 

明日も、病院

駅だけど、TWINで行ってみようか

悩む

 

食欲も、どんどん減ってくし

参ったなぁ

 

多分、痛くて

最近睡眠、削られてるのが

キツイんだろな

 

 

でも、人ってね

自分がピンチの時に

その人の本音とか

本性が垣間見れると思う

 

余裕があるときは

誰だって、人は多かれ少なかれ穏便になれる

 

問題は、自分に余裕がないとき

 

キツイから、ツラいから

そこで、代表は

態度を変えてはいけないと思う

 

みんなが安心して、来られる場を

提供するのが

最低限の役割だと思ってるから

 

身体が辛いことを、身を削ってやる

とかではなくね

 

 

人への態度だけは
自分の余裕のなさで変えたくない

 

ベルサイユのばらで、マリー・アントワネットも言ってます

「人は最後まで

 態度を失ってはいけませんよ」

ってね。

 

その上で、自分も楽しむ!

【幼稚園児の悔し涙】

昨日の記事で思い出したので

一番、心に残っている

そろばんの話

 

そろばんをやってたのが、幼稚園から小2くらいまで

ほんの、4、5年で辞めてしまいましたが

一番の思い出

 

あれは、小学生以下の部で

多分、全関東大会くらいかな

吹奏楽部のコンクールのように

地区大会、県大会、と

勝ち進んで行くんですね

 

当時はそろばん全盛期。

全関東の小学生以下の部でも

恐らく、200人か300人くらいいたと思います。

 

大きな体育館のようなところに

会議室の机のようなものが

ずらっと並び、全員一度に座ります。

 

読み上げ算の次が読み上げ暗算。

簡単な問題から、徐々に難しくなり

脱落形式で、最後のひとりを決めます。

 

わたしは、優勝できると

親から言われていましたが

読み上げ算の

最初の問題で、一瞬つまずき

不正解でした。

 

数百人から一気に半分くらいになったと思います。

不正解の生徒は

自分の荷物を持って

一番後ろで待機です。

 

その後、問題はどんどん難しくなって

3桁から5桁くらいが

5桁から7桁くらいになったのかなぁ

読むスピードも早くなる

 

半分になってから

残り、10名、残り、3名と

どんどん減っていく。

 

本当だったら、あそこに

わたしはいたハズ。

最後の数名になって

読み上げ算で優勝するはずだった。

 

でも、最初の1問めで脱落。

 

後ろから見ているその光景は

とても残酷でした。

 

その光景を見ながら

歯を食いしばり

ボロボロ泣きました。

 

次の、読み上げ暗算こそ。

 

泣きながら、ずっとそのことばかり考えていました。

 

読み上げ算の優勝が決まり

全員、また席に着き

今度は読み上げ暗算です。

 

今までにないくらい集中して

最後の2人に勝ち残りました。

 

1対1の決着です。

脱落者が背後で見守る中

シーンとした中で、優勝決戦です。

 

問題が終わると、用意された紙に

答えを書く。

 

マンツーマンの審査員が

それを確認する。

ふたりとも正解だと

また次の問題。

 

少しずつ、難しくなり

1対1が5回くらい続いたとき

どうしても答えがわからないときがあり

あぁ、終わった、と思いました。

 

そしたら、その時

まさかの相手も不正解。

 

もう一度、チャンスがあり

次の問題で、わたしだけ正解し

優勝を勝ち取りました。

 

嬉しかった。

 

でも、この時の喜びより

読み上げ算で、初回脱落したときの

悔しい気持ちのほうが

鮮明に覚えているのです

【父】

 

わたしの父は

一代で、そろばん日本一を出し

茅ヶ崎にビルをいくつも持っている人でした

 

父親は戦争へ

母親に捨てられて、親戚中を

たらい回しにされ

肩身の狭い、子供時代を送ったそうです

 

ご飯がカレーのとき

ルーは、他の人の半分以下

 

頭はよかったけど

当然、進学などさせてもらえず

近所の雀荘で働いたそうです

面子が足りないから、と

代わりに、うったりして

麻雀は強くなったと聞きました

 

お金をためて

学校で習ったことのある、そろばんなら

教えられるかな、と思い

そろばん塾をはじめたそうです

 

わたしは、3歳のお誕生日の日に

掛け算九九が、暗記して言えるようになりました

 

幼稚園のころから

特練に参加し

小学生や中学生の先輩に混ざって

全国大会にも出てました

 

夏の特練が続く日、

六角形の鉛筆が2本、用意され

転がして、出た数だけ

プリントをやる

 

両方とも1だったら、2枚

両方とも6が出たら、12枚

そういう楽しい仕掛けを作るのが

とっても上手な父でした

 

黒板に、大きなチョコレートパフェの絵を描き

「大会で優勝したら、チョコレートパフェ」

50年前って、チョコレートパフェは

とっても珍しい

 

バスを何台も借りて

生徒たちで、ドリームランドに行ったこともありました

 

授業では、ガリ版で刷った

父の手書きの読みものを配ったり

皆勤賞の生徒には、なめネコのグッズをあげたり

 

丸一日、使って

宝探しの

オリエンテーションをやったこともあります

 

とにかく、

そろばんの先生だけど

子供をやる気にさせるのが

そういうのがとっても上手くて

そろばん以外でも

みんなで、わ~っと楽しめることを

どんどん与えてくれた父

 

小学生以下の部で、がんがん優勝してた

わたしだったけど

1年生のときに

どうしても1級の試験が合格しなくて

そんなわたしに

「そろばん、辞めてみるか?」

と聞いてくれた

 

わたしは、すぐに辞めて

物心ついたときから、ずっとやっていた

そろばんを、あっさり辞めた

 

すっかり、生活から

そろばんがなくなった

ある日

1級の試験、もう一度受けてみる?

と言われて、受けたら

するっと受かった

 

父は、そろばんの先生だったけど

やっぱり、父だった

 

ずっと、わたしを見てくれていた

いやいや、やっても受からないと理解してくれ

一度、辞めることを許し

また、機会を与えてくれた

 

幼少期に恵まれなかった父だけれど

父は人生を諦めることもなく

自分にできる限りの方法で

卑屈になることもなく

自分にできることを探し続けた

 

そして、当時の近所の小学校よりも多くの生徒が集まる

そろばん塾をつくり上げた。

 

なんで、急に父の話かっていうと

今日は夕飯がカレーだったのですが

身体が痛くて、食欲がなく

半分も食べれなくて

しゅ~ん、となっていたからです

 

カレーを食べると、父を思い出す

そして、父から受け継いだことが

 

心にも、身体にも

刻まれているなぁ~と思うのです

 

いやいや、やっても

いいことなんて、ひとつもない

今さっき、大きな地震がきた

 

ここのところ、多い

 

 

自宅の揺れが、そうでもなくても

子供たちが自衛官なので

子供たちのいる県や、その向こう側の震度によっては

出動になる

 

 

今日は台風も来ている

 

怖くて怖くて

涙が出てしまう

 

東日本のとき

長男は小学生で、次男は幼稚園

 

あれから長い月日が流れているけれど

忘れない

忘れられない

 

東北の地震で

関東まで、あんなに影響があった

 

次男がエキストラで出た

「宣誓」という映画を

先日、観たのを思い出す

 

心がエグラレル

 

【ステージは魔物】

 

去年の10月のふるさとまつりの

本番動画は

もう、いやというほど見た笑

 

他の団体さんが

サークル発表会なのに対して

初ステージの「プチトリアノン」は

確かに異色を放っていた

 

で、ふと

本番4日前の、リハの動画を

ひっさびさに見ましてね

 

いや~なんというか

 

   ・

   ・

   ・

 

オーラがない!

みんな笑

 

一生懸命、歌ってて

2時間の枠、ギリギリまで歌ってて

10月なのに、それこそ汗だくで

 

だけどね

一生懸命のそれ以上でもそれ以下でもない感じ

 

やっぱりステージは魔物だわ

 

お客さまの視線、熱気、拍手

出待ちのときの緊張感

 

あれが、あるのとないので

こんなにも違う

 

ステージングを意識してると

本当に、そういうのを

がっつりと感じる

 

そして、思う

 

今年も、やるわよ

って笑

【子育てのしにくい時代の本当の理由】

 

 わたしの偏見があるかもしれないので

     ご注意ください

 

昔に比べて、子育てしにくい時代になった

社会的にも

もっと子育て支援に力を入れるべき

 

そんなことを耳にするようになって

もう、何年も経っている

 

最初の頃から、思っていたことがあります

 

物価が高くなって

若い人達がそもそも、子供を産み育てる

金銭的余裕がない

そういうのも、もちろん

あると思う

 

でも、根本はそこではなくて

受け入れる社会に

そんな気持ちの余裕がないのでは?

 

わたしが最初の子を産んだとき

まだ、100円ショップも今みたいに多くなかったし

おむつを替えるベッドが

すぐに見つからないことも、しばしばだった

 

遠方に行くときは

車のトランクで、おむつ替えもしていました

 

出先で調達できない子供用品も多く

バナナをラップで包み

潰れても大丈夫なように

ビニール袋に入れて

持ち歩いたもんです

 

そう考えると

おむつ替えできるスペースも増え

出先で何か、急に必要になっても

困ることは減ってきたはず

 

では、何が子育て世代に厳しくなったのか

 

それは、多分

周りの人間に

他人の子育てを見守る余裕がないからなのでは

と、思うのです

 

極端な話をします

 

電車で乳飲み子がギャン泣きして

老人がうるさい、と怒鳴った

とか聞きますよね?

 

その年配の方が

さっき、宝くじが1億円当たったとしても

怒鳴ったでしょうか?

 

もしかしたら、うるさいな~

と思っても

まぁ、しょうがないな

って思えるような、心の余裕が

持てたかもしれないですよね?

 

でも、今は

街の人たちは

自分のことで、精一杯です

 

時間もお金も余裕がない

 

働いても働いても、豊かにならない日本

上司の機嫌をとるのにうんざりしている人が

出勤のときに

無邪気に笑っている赤ちゃんを見て

 

「かわいいな」

と思うのか

「笑ってられていいよな」

と思うのか

 

ベビーベッドが増えても

バナナホルダーが100円ショップで

売っているようになっても

児童手当が増えても

 

もっともっと目に見えない

社会に気持ちの余裕がないと

本当の意味で

子育て支援できている、とは

思えないのだと思う

 

 

 

 

 

【80対20の法則】

 

とあるSNSで、

80対20の法則という言葉がでてきたので

ちょっと調べてみた

 

常に耳にはしないけど

身近なことが多かった

 

・クローゼットの服 → よく着る20%を、80%の頻度で着てる

・家事 → 全体の20%の作業が、面倒の80%を占める

・人間関係 → 付き合いの20%の人が、満足度80%に影響してる

・お庭 → 20%の手入れポイントで、見た目の80%が変わる

 

もっと、応用すると

80満足なのに、20についての不満ばかり

 

・10個うまくいって、1個だけ気にする

・してもらったことより、してもらってないことを見る

・全体の文脈より、一部分を切り出す

・改善提案じゃなく“不満の確認”になりやすい

・本人は「現実をちゃんと見てる」と思ってる

・天気

・相手の性格の根っこ

・もう終わったこと

・その場でどうにもならない条件

・誰かの過去の選択

 

これは80/20の別バージョンとして、すごく起きやすい。

満たされてる80%より、

足りない20%に意識が吸われるってこと。

 

人の脳って、

満足を数えるより 「問題・不足・違和感」を先に検知しやすい

だそうですよ~

 

 

「あの人の頭の中は、お花畑でいいわね~」

というのは

多分、80を常に意識している人なんでしょう

 

わたしの頭の中の、とりあのんが、こんな感じ

いい感じ👍⇒うん、100点💯

 

そりゃあ、問題がない訳ではないけれど

 

「そこ今いじっても意味ある?」
「今は80を育てた方が全体良くなるよね」

【なぜ芸術家は瘦せているのか】

 

 

寝食忘れる、とはまさにこのことで

明日から4連続病院、

そして、どうやら数日雨っぽい

ってことで、必然的に今日は引き篭もりの日

 

眠いし、お腹もすいてるし、お風呂も入りたい

けど、もくもくと作業をする

今…って時のために

お風呂は沸かしておく

 

新玉があるうちに、スープ作りたい

玉ねぎの皮を剝きながら

・・・!ってひらめくと、手を止めて書き出す

 

 

お腹空いたな~と思いながら

どの表現が合ってるか、自分に問いただす

 

かろうじて、お風呂に入るが

髪の毛を乾かしながら

またひらめくと、写真を見返す

 

 

お花は生き物だから

午前中に

これは、先にやらないと気になって

他の作業がすすまないので

さっと、1時間くらいで終わらせる

 

 

貧乏で、食事にお金がかけられない

というより、そんな時間が惜しい

 

こんな風に自分の芸術魂と向き合ったのは

実に何十年ぶりっていうくらい

 

 

作品ってね、要は

自分を映し出す鏡だと思うの

だから妥協はできない

 

 

手間暇かければいい、ってものでもないが

納得いくまで、仕上げて見届けたいものである

 

未完成だとしても、自分が納得していれば

それは未完成な作品として、存在してもいいと思う

 

自分の子供が、そうであるようにね

 

我が子は絶対に手を抜かない、芸術作品

 

 

今、子育てがほぼほぼ終わってきて

また自分の、芸術作品に戻る

 

なんて贅沢なんだろう