今日も あしたも あさっても

今日も あしたも あさっても

  ゆうちゃん の ひとりごと





  ちょっとした ひとりごと 





  そして あくび

【めでたく55歳】

 

高校野球で盛り上がっている

日本国民の皆さま

毎年、そのころ

わたくしは、お誕生日を迎えます

 

✣プレゼント✣

リクエストしてほしいと言われてて

待ち望んでいた、60色の

紙以外にも書ける、マーカー!!!

画材道具がまた、ひとつ増えました

やったーーー👍

 

✣ケーキ✣

当日はお腹がいっぱいの予定で

前日に前倒しでいただきました

(いいのか、それで)

 

✣お花✣

同じく、当日は

買いに行く時間がなさそうということで

前日にいただきました

(いいのか、それで)

 

✣当日✣

セリアで思う存分、お買い物したい

と要望

買う物なくても、眺めていたい

もういいんじゃないの~?

って雰囲気を出さずに

付き合ってほしい

どこかで旦那は待機

わたしは狭い店内を、ウロウロウロウロ

15分おきくらいに

トイレに行きたいと

呼び出される、旦那

(お買い物かご、見ててもらうの)

 

あぁ~~~、ずっとやりたいことだった

ひとりだとね

トイレに行きたいとか

水分足りないとかね

なかなか難しいのよ~

 

でも、お買い物しやすいお店だったから

病院のない週は

時々、ひとりで来たいなぁ

 

✣当日、夜✣

次男が帰省してたので

予約を3人にして

近所のカフェ・ド・トロン

美味しかった~~~

長男からは、ラインがきました

 

55歳、ここまでくるとね

そうそう、中途半端な年齢ではございません

 

子を産み、育て

社会に送り出し

結果はどうであれ

ひと通りの道をなぞってきた

 

20代の頃の跳ね返りの自分を思い出すと

うちの子たちは、本当によく育ちました

 

わたしも自分の人生

まだまだ、これから

やりたいことを、どんどんやっていきたい

 

諦める前に、できることを考える

諦める前に、できる方法を考える

 

ここで諦めたら、この先きっと

なにもできない

ここで、一歩でも前に進めたら

また一歩、前に進める

そう思って、進むのです

 

赤ちゃんは、生まれた瞬間から

年を取る

 

だから、みんな

今が一番、若いんです

 

座右の銘は

「今がいちばん若い」

 

何歳だろうが

子供の頃のキラキラの気持ちを忘れずに

これからも生きていきたい

【プチトリアノンの代表、という役者】

 

歌だけで、ずっと感情の中にい続けると

絶対に泣いてしまう

 

そう思い

急遽、夕べ

曲と曲の間に

MCを入れることにしました

 

泣きそうな自分を支えるために、

代表としての仕事を置いたのです

 

わたしは、今日は

プチトリアノンの代表という、役者でした

 

意識を自分の感情から

客席や相手に向かせるのには

成功しました

 

でも、本番は笑顔が少なかった~

【みんな辛い】

 

今日は終戦記念日ですね

 

昨日、いつもの接骨院に行ったとき

たまたま、普段担当でない先生と

ちょこっと雑談したら

奥様が数年前まで、指定難病で

今は、難病指定は外れたけど

後遺症で、ひとりで出歩けない

だから、自分は

金、土、日しか勤務できなくて

他の日は奥様の面倒や、病院の付き添いをしている

と知った

 

結婚して、そろそろ子供でも

と思った矢先だそうで

かれこれ、8年くらいだと聞きました

 

脳の難病だそうで

ご主人である自分を

認識してもらえない時もあるとか

 

「認知症の、すごい酷いのみたいな感じです

  ははは~」

 

と先生は、さらっと言っていた

 

どこの誰に、なんの看病をしてもらってるかも

認識できない相手に

8年も、無償の愛を注いでいる先生

いつも、ありがとう

って言葉すら

掛けてもらったことがないのかもしれない

 

わたしは言葉を失いました

 

帰ってきてから、そのことが頭から離れず

涙がでる

 

どうして、自分の奥さんが

こんな病気になったんだ、って

きっと何回も思ったことでしょう

 

仕方ない、で割り切るには

辛すぎる

 

戦争もそうです

戦争で亡くなった方は、もちろん

今でも、多くの人も

心を痛めていることだと

改めて認識する

 

わたしは、自分が恥ずかしい

 

自分は不幸の真ん中で

こんなに病気で辛い思いをしているんだと

それをアピールしていた訳ではないが

もっともっと、辛い人は

世の中にいっぱい、いる

 

自分の体調の辛さを、吹っ切るように歌う

 

でも、辛くても

歌をうたうことさえ、できない人もいる

 

そう思うと

自分がたまらなく、恥ずかしいのだ

 

今朝になって、

ロキソニンを飲んでも、7度超えの熱

新しいお薬の副作用であろう、下痢

 

でも、わたしは歌える

 

そう思うと

 

明日の本番のために、練習するのです

 

歌いながら、涙が出る

 

明日の本番で泣かないように

今のうちに、いっぱい泣いておく

【エンタメ祭り】

 

この間、映画のオーディションを受けた

映画と言っても

地元の小さな小さなシネマ

 

やるなら主役級!

そう思い、挑んだけど通らなかった

 

歌の方は順調で

10月下旬の本番の他に

今月の月中にも

お呼ばれで、10分弱のステージに立つ

 

その練習が、ちょこちょこ入ってる

 

実は戯曲も書いていて

未公開も含めて、6本

公開している分は5本

 

今、7本目を書いている

 

実はYoutubeもやっている笑

 

それ以外にも、今

企画中の大きなプロジェクトが1つ

 

これは、形になることがわかったら

発表するけれど

時間が足りないくらい、やりたいことが

山ほどある

 

今、まさにエンタメ祭り

真っ最中なのだ

 

足跡を残そうと必死な訳ではないが

自分の名前を検索すると

すごく色々な、わたしの作品が出てくるようになった

 

人は生まれた瞬間から年を取る

だから

 

「今がいちばん若い」

 

これが、わたしの座右の銘

 

やってみたいなぁ~

楽しそうだなぁ~

いいなぁ~

 

そう思ってるだけでは

何もしてないのと一緒だ

 

今は、夏で暑いから

もう、こんな年だし

もうちょっとお金が溜まったら

 

人はできない言い訳をするのが得意だ

 

来年の、今日

自分は何してると思う?

【代表の役割】

 

今日もツインで、えんやこら

病院、行ってきました~

 

車だと涼しいの、いいかもしれない

荷物も多いしね

 

病院の長椅子で

座ってられなくて

横になって待つくらい

最近はキツイ

 

帰ってきて、ぐったり

旦那が帰ってくるまで

何もできずに、寝込んでて

旦那が帰ってきて、慌てて起きる

 

ふと、見たらメンバーさんから

「衣装と楽譜を取りに伺ってもいいでしょうか?」

 

おっと、危ない危ない

ラインに気づかないほど、寝てた

 

すごく、真面目な方で

みんなに背中を押されて、今回の

ふるさとまつりに参加される

 

よく知らない曲だけど

お家で練習してみる、と言っていた

 

音源は、わたしが送ったのは聴けたと

言っていた

う~~~む

どれのことを言ってるのだろう???

 

70過ぎて、新しいことに挑戦する

20年も悩んできたことを

思い切って、プチトリアノンに入ってくれた

 

最初の思い出に、怖さで震えるような

緊張で、頭が真っ白になってしまうような

そんな思いは絶対にさせない

 

大げさかもしれないけど

わたしは出演の場を用意してるんじゃなくて、

その人たちを連れて

舞台に上がる責任を持っているのだと思う

 

やって、よかったと思ってもらいたい

ただ、それだけ

 

明日も、病院

駅だけど、TWINで行ってみようか

悩む

 

食欲も、どんどん減ってくし

参ったなぁ

 

多分、痛くて

最近睡眠、削られてるのが

キツイんだろな

 

 

でも、人ってね

自分がピンチの時に

その人の本音とか

本性が垣間見れると思う

 

余裕があるときは

誰だって、人は多かれ少なかれ穏便になれる

 

問題は、自分に余裕がないとき

 

キツイから、ツラいから

そこで、代表は

態度を変えてはいけないと思う

 

みんなが安心して、来られる場を

提供するのが

最低限の役割だと思ってるから

 

身体が辛いことを、身を削ってやる

とかではなくね

 

 

人への態度だけは
自分の余裕のなさで変えたくない

 

ベルサイユのばらで、マリー・アントワネットも言ってます

「人は最後まで

 態度を失ってはいけませんよ」

ってね。

 

その上で、自分も楽しむ!

【幼稚園児の悔し涙】

昨日の記事で思い出したので

一番、心に残っている

そろばんの話

 

そろばんをやってたのが、幼稚園から小2くらいまで

ほんの、4、5年で辞めてしまいましたが

一番の思い出

 

あれは、小学生以下の部で

多分、全関東大会くらいかな

吹奏楽部のコンクールのように

地区大会、県大会、と

勝ち進んで行くんですね

 

当時はそろばん全盛期。

全関東の小学生以下の部でも

恐らく、200人か300人くらいいたと思います。

 

大きな体育館のようなところに

会議室の机のようなものが

ずらっと並び、全員一度に座ります。

 

読み上げ算の次が読み上げ暗算。

簡単な問題から、徐々に難しくなり

脱落形式で、最後のひとりを決めます。

 

わたしは、優勝できると

親から言われていましたが

読み上げ算の

最初の問題で、一瞬つまずき

不正解でした。

 

数百人から一気に半分くらいになったと思います。

不正解の生徒は

自分の荷物を持って

一番後ろで待機です。

 

その後、問題はどんどん難しくなって

3桁から5桁くらいが

5桁から7桁くらいになったのかなぁ

読むスピードも早くなる

 

半分になってから

残り、10名、残り、3名と

どんどん減っていく。

 

本当だったら、あそこに

わたしはいたハズ。

最後の数名になって

読み上げ算で優勝するはずだった。

 

でも、最初の1問めで脱落。

 

後ろから見ているその光景は

とても残酷でした。

 

その光景を見ながら

歯を食いしばり

ボロボロ泣きました。

 

次の、読み上げ暗算こそ。

 

泣きながら、ずっとそのことばかり考えていました。

 

読み上げ算の優勝が決まり

全員、また席に着き

今度は読み上げ暗算です。

 

今までにないくらい集中して

最後の2人に勝ち残りました。

 

1対1の決着です。

脱落者が背後で見守る中

シーンとした中で、優勝決戦です。

 

問題が終わると、用意された紙に

答えを書く。

 

マンツーマンの審査員が

それを確認する。

ふたりとも正解だと

また次の問題。

 

少しずつ、難しくなり

1対1が5回くらい続いたとき

どうしても答えがわからないときがあり

あぁ、終わった、と思いました。

 

そしたら、その時

まさかの相手も不正解。

 

もう一度、チャンスがあり

次の問題で、わたしだけ正解し

優勝を勝ち取りました。

 

嬉しかった。

 

でも、この時の喜びより

読み上げ算で、初回脱落したときの

悔しい気持ちのほうが

鮮明に覚えているのです

【父】

 

わたしの父は

一代で、そろばん日本一を出し

茅ヶ崎にビルをいくつも持っている人でした

 

父親は戦争へ

母親に捨てられて、親戚中を

たらい回しにされ

肩身の狭い、子供時代を送ったそうです

 

ご飯がカレーのとき

ルーは、他の人の半分以下

 

頭はよかったけど

当然、進学などさせてもらえず

近所の雀荘で働いたそうです

面子が足りないから、と

代わりに、うったりして

麻雀は強くなったと聞きました

 

お金をためて

学校で習ったことのある、そろばんなら

教えられるかな、と思い

そろばん塾をはじめたそうです

 

わたしは、3歳のお誕生日の日に

掛け算九九が、暗記して言えるようになりました

 

幼稚園のころから

特練に参加し

小学生や中学生の先輩に混ざって

全国大会にも出てました

 

夏の特練が続く日、

六角形の鉛筆が2本、用意され

転がして、出た数だけ

プリントをやる

 

両方とも1だったら、2枚

両方とも6が出たら、12枚

そういう楽しい仕掛けを作るのが

とっても上手な父でした

 

黒板に、大きなチョコレートパフェの絵を描き

「大会で優勝したら、チョコレートパフェ」

50年前って、チョコレートパフェは

とっても珍しい

 

バスを何台も借りて

生徒たちで、ドリームランドに行ったこともありました

 

授業では、ガリ版で刷った

父の手書きの読みものを配ったり

皆勤賞の生徒には、なめネコのグッズをあげたり

 

丸一日、使って

宝探しの

オリエンテーションをやったこともあります

 

とにかく、

そろばんの先生だけど

子供をやる気にさせるのが

そういうのがとっても上手くて

そろばん以外でも

みんなで、わ~っと楽しめることを

どんどん与えてくれた父

 

小学生以下の部で、がんがん優勝してた

わたしだったけど

1年生のときに

どうしても1級の試験が合格しなくて

そんなわたしに

「そろばん、辞めてみるか?」

と聞いてくれた

 

わたしは、すぐに辞めて

物心ついたときから、ずっとやっていた

そろばんを、あっさり辞めた

 

すっかり、生活から

そろばんがなくなった

ある日

1級の試験、もう一度受けてみる?

と言われて、受けたら

するっと受かった

 

父は、そろばんの先生だったけど

やっぱり、父だった

 

ずっと、わたしを見てくれていた

いやいや、やっても受からないと理解してくれ

一度、辞めることを許し

また、機会を与えてくれた

 

幼少期に恵まれなかった父だけれど

父は人生を諦めることもなく

自分にできる限りの方法で

卑屈になることもなく

自分にできることを探し続けた

 

そして、当時の近所の小学校よりも多くの生徒が集まる

そろばん塾をつくり上げた。

 

なんで、急に父の話かっていうと

今日は夕飯がカレーだったのですが

身体が痛くて、食欲がなく

半分も食べれなくて

しゅ~ん、となっていたからです

 

カレーを食べると、父を思い出す

そして、父から受け継いだことが

 

心にも、身体にも

刻まれているなぁ~と思うのです

 

いやいや、やっても

いいことなんて、ひとつもない

今さっき、大きな地震がきた

 

ここのところ、多い

 

 

自宅の揺れが、そうでもなくても

子供たちが自衛官なので

子供たちのいる県や、その向こう側の震度によっては

出動になる

 

 

今日は台風も来ている

 

怖くて怖くて

涙が出てしまう

 

東日本のとき

長男は小学生で、次男は幼稚園

 

あれから長い月日が流れているけれど

忘れない

忘れられない

 

東北の地震で

関東まで、あんなに影響があった

 

次男がエキストラで出た

「宣誓」という映画を

先日、観たのを思い出す

 

心がエグラレル

 

【はりこのトラの穴】

 

 

ご存知でしょうか?

 

「浦島太郎2026」

処女作です

 

 

 

 

 

 

演劇経験のない方に、よくわからない

と言われ

2日間で書いたのが

 

「たけのこほいほい」

2作目です

 

 

https://haritora.net/member/login.cgi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ステージは魔物】

 

去年の10月のふるさとまつりの

本番動画は

もう、いやというほど見た笑

 

他の団体さんが

サークル発表会なのに対して

初ステージの「プチトリアノン」は

確かに異色を放っていた

 

で、ふと

本番4日前の、リハの動画を

ひっさびさに見ましてね

 

いや~なんというか

 

   ・

   ・

   ・

 

オーラがない!

みんな笑

 

一生懸命、歌ってて

2時間の枠、ギリギリまで歌ってて

10月なのに、それこそ汗だくで

 

だけどね

一生懸命のそれ以上でもそれ以下でもない感じ

 

やっぱりステージは魔物だわ

 

お客さまの視線、熱気、拍手

出待ちのときの緊張感

 

あれが、あるのとないので

こんなにも違う

 

ステージングを意識してると

本当に、そういうのを

がっつりと感じる

 

そして、思う

 

今年も、やるわよ

って笑