識子さんの「光の場所」を読んで
識子さんのブログ「光の場所」を読んで父や母が亡くなった時を思い出しました😌父は肺がんで本当にギリギリのところで生きていたので酸欠で気を失うことが結構な回数でありました😌本人がもう本当に苦しいから楽にさせてくれとモルヒネを選び投与後に家族それぞれみんなと話をして母とは一晩ふたりきりで話しすーっと眠りに入りました。私は識子さんの本で光の話を知っていたので母にもその話をしました。徐々に小さくなっていく‥父の命の炎の小ささを感じるようになり‥ある緩和ケアの先生の話では耳は最後まで機能しているとの事だったので母と眠る父の手を握り光の話をしました。「じいじはね、信心深くなかったからね。仏壇にも神棚にも一度も手を合わせない、お墓も行かない、神仏は信じていないでしょう?多分ね、じいじの光はねゴマよりもちぃーーーーーーーーーさいよ。老眼だから遠くは見えるかもしれないからよーーーーーーーく、その細い目でとおーーーーーーーーくを探すんだよ」と母。しんみりしそうな場面での母の話には笑ってしまいました🤭確かに光はゴマよりも小さいな、きっと。そんな父でした。でも、この話を延々と続ける母。ああ、なんだ、愛だな❤️と思いました。無事に光を見つけて欲しいそう真剣に願っていたのだと思います。眠りから1日後、みんなが見守る中、静かに父は亡くなりました。亡くなった後の処置の為薄暗い廊下で待っているようにと促されぼーっと父を想っていたら私の横を黄緑色の小さな光がすーっと流れました。蛍のような色だなと思いつつあ、父だな‥と思いました☺️ありがとな、と言ってるような☺️その3年後、母も亡くなりました。私とふたりの優しい時間の中穏やかな最期でした☺️母は光の話を知っているのて全く心配はありませんでした。般若心経を唱えられる、信心深いひとでした☺️亡くなる前日は意識がどこかへ行っているような事が数回あったので挨拶に行っているな、タイムトラベラーみたいだなと思ったり。また急にこちらに意識が帰ってきたら急に目を見開きそしてその後優しく笑っていたのでもしかしたらお迎えのかたを見たのかな‥?とも思いました。その次の日、本当に穏やかに母は亡くなりました。もちろん悲しみは大きかったのだけれども識子さんの本や緩和ケアの先生が用意してくれた亡くなるまでの経過の冊子を何度も読んでいたので取り乱すことはありませんでした。(ただ心が正常になるまでは‥3年はかかりましたが‥。)ある程度の知識があって私は救われたな、と思っています。なので、識子さんや緩和ケアの先生には感謝しかないです。ありがとうございました😊桜は私にとって生きている喜びを教えてくれる大切な花です🌸私の住んでいるところはもう少しで満開を迎えます☺️