こんにちは。

いきなりですが『トロッコ問題 OF ARMAGEDDON』の攻略についてです。

トロッコ問題 OF ARMAGEDDON

そもそもトロッコ問題とは、何なのかを説明します。

まず、制御不能になり線路上を暴走しているトロッコがあります。

行く手には分岐があり、二手に分かれた先で5人の人と1人の人がいます。

このまま行くと、トロッコは5人のいる方に走って行きそのまま轢き殺すでしょう。

分岐器を倒して、線路を切り替えてトロッコの進行を変えれば、5人の代わりに

1人が死にます。さて、あなたが分岐器の近くにいたら、どうしますか?

ウィキペディア トロッコ問題

上はプレイの英訳動画です。

全部のエンドを回収したわけではないのですが、すでに攻略も出ているので

備忘のために書き記しておきます。正確でない可能性があります。

 

最初の分岐で下の分岐に行くには、『多くの人が生き残るようにしたうえで、

あなたの友達一人が選択肢に出てきたときに、必ず友達を選択するようにする』と

行けるそうです(未検証)。

 

『自分の意志で選択を決定している大抵の場合』は、普通のエンドに到達します。

 

善人や悪人、善人ぽい人、悪人ぽい人(でも実は違ったり…)、人でないもの等

いろいろ出てくるのですが、

『善悪関係なく生き残る人が少なくなるように選択する』と、一番下の分岐に行き、

近未来的先鋭的なSF風EDになります。

 

また、『生き残る人が多くなるように選択し、最後に必要な食糧を間違えない』ように

すると(正確な食糧は必要か?)、究極の選択肢が出て、一番上の分岐のEDに行きます。

 

そのEDは”自分”はトロッコなのかという自己同一性に関してはちょっと微妙です。

絵を見る限り、線路を切り替える分岐器のレバーは手動で、暴走中のトロッコが

切り替えられるものではないと思います。(しかし、分岐器の付近には誰も立って

いないので、爆走中のトロッコに乗っている人がレバーを切り替えているのか、

もしくはリモートで分岐器に命令できるのか……そこのところは不明です。)

まあ、結局その非情な選択で到達したED以外は、トロッコはロケットに乗らないので、

自分が宇宙に脱出することは出来ないという解釈でいいんでしょうかね。

トロッコが線路の先にあるトロッコ(自分)と対面するシーン、そしてトロッコ(己)を

轢き殺すシーンは、驚きを禁じえませんでしたが、概念的な取捨選択ということで

いいのでしょうか?実際は物質的に破壊、殺戮しているわけではなく、結果的に

地球が滅亡するので、トロッコが選ばなかった人を死に至らしめている(トロッコで

轢き殺す)ってことですよね。

あと、トロッコ問題はそもそも、分岐器がそのままなら5人を轢き殺すところを

1人の被害で済むようにレバーを切り替えますか?というものなので、

このゲームのように選択しなければトロッコが壊れてGAME OVERになるわけでは

ありません。トロッコが壊れて中の人が死ぬなら、その選択肢が一番いいと思います。

自分はそのトロッコには乗りたくないけど。暴走しているトロッコに一切の責任があります。

そしてそもそも、このゲーム内のトロッコは暴走しているわけではなく、地球の滅亡に

際し、乗船者の選定をしている訳ですから、故意に人殺しをしている訳です。

地球から脱出する人の選定をこのようなやり方で決めること自体に違和感を感じます。

まあ、ゲームにマジレビューしてもあれなんですけどね。

結局取り残されて死ぬんだから、わざわざ殺さなくて良くない?という話です。

 

トロッコ問題について、実際のところ私はどうするかと考えたところ、

自分に関係なかったら、見て見ぬふりする可能性が高いですね。

ゲームのようにどちらかを選ばなければ自分が死ぬという状況なら、より量的な被害を

少なくするのは勿論ですが、自分の価値観で良い生き方をしている人や見た目(笑)などから

直感的に判断して助けると思います。

ニート5人と真面目に働く1人なんかは、どちらを選んでも自分とはほぼ関係ないけれど、

世間の人は『生産性』に重きを置いて人を判断してしまうのが良くわかる選択肢ですね。

ニートだっていろいろ事情があるかもしれないですし。ただ、これが5人と1人ではなくて、

ニート500人と真面目に働く100人だったら、その真面目な100人の中に人類の進歩に

関わる重要な役割を担う人がいるかもしれないので、500人を犠牲にするかもしれません。

本来の意味でのトロッコ問題(自分が分岐器の付近にいて、自分に非がない状態で、

自分は何らリスクを負わない状態)なら、その線路の上に自分の家族や知人、大切な存在が

いない限りはスルーするかもしれません。分岐器を弄らなければ5人が死ぬが、それもまた

運命ではないかと。運命を変えて、別な人が死んだらそれこそその人が可哀そうだし、

罪悪感も残る。難しい問題です。

 

プレジデントの記事も参考にしてください

「人を助けず、立ち去れ」が正解になる日本社会

見て見ぬふりはともかく、考える機会を奪うことは子どもたちのためにならない。