毎日が慌しくて

月曜日なのに金曜日の

ような気がしてしまう

今日この頃、笑。

 

娘が楽しそうなので

何よりですが、

 

結構やることが多く

すごい抜けている人

なので毎日緊張感が。。

 

社会性がなさすぎる

自分が恨めしい、笑。

 

ま、いっか~。

で全てを乗り切って

いるわけですが。あはは。

 

今、個人的には色々と

変化していく時期なので、

落ち着かないのもあり

 

ま、いっか~。

なるようになるさ。

何があっても大丈夫。

 

そんな言葉が本当に

役に立つ心の薬です。

 

「何があっても大丈夫」

 

うん、そうそう。笑。

 

 

 

 

今日から娘のお弁当が

始まりました~。

 

娘の幼稚園は週2回の

給食もあるので

お弁当は週2回だけ。

 

それを自分が作ると

ずっと言っていた息子、笑。

 

今日はちゃんと起きて

私と一緒に作りました。

 

夫のFacebook

様子が載っています。

 

卵焼きは初めてだった

ので私が教えながら。

 

他は口で指示するだけで

全部自分だけで。

 

 

思えば、入園が決まって

喜ぶ私の横で

「そっか~みーちゃん

幼稚園行っちゃうのかぁ」

とやけに寂しそうな息子。。

 

初登園の日、帰宅すると

真っ先に娘に

「お帰り~!幼稚園

どうだった??」

と聞いていました、笑。

 

7歳離れているとはいえ

気分はほとんどお父さん?

いやそれ以上かも。

 

「何があっても

みーちゃんは僕が守る!」

 

とよく言うけれど、

人生には時として

何かがあるってことを

知っているからこそ、

 

本気で守ろうと思って

いるのかな。

 

泣かせたり、しつこく

して嫌がられたり、

ケンカしたり、

もちろんまだまだ

お子ちゃまなお兄さん。

 

今日だってお弁当作った

後に歯磨きと着替えまで

一緒にしてくれて、

 

その後ふと見ると

自分はパジャマのズボン

途中まで下げた状態で

マンガ読んでましたからね、苦笑。

 

母としては、

そんな笑ったり怒ったり

いろんなことが起こる日々が、

もうただただ、ありがたく

幸せです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやく娘の登園が

始まりました。

 

園での挨拶やお歌や

様子を聞いていると

幸せな気持ちになります。

 

母が、私が幼い頃に

帰宅したら色々な話を

してくれるのが楽しみだった

と言いますが

 

その気持ちがわかった

瞬間でした。

 

男の子と女の子は違い

ますしね、笑。

 

 

子供は本当に宝です。

 

その存在がくれるものは

命そのものの輝き。

 

まっすぐで飾らない

計算もない常識もない

だからこそキラキラの

素のままの命の輝き。

 

大人にとっては子供が

先生だと思うのは、

そういう大切なことを

教えてくれるから。

 

大人は子供にただただ

先に生きている人の様子

を見せるだけでいいのかも

しれません、笑。

 

何年生きても、

親になっても、

人は死ぬまで成長し続けるし

未熟なものであること。

 

お互いに学び合うのが

家族であること。

 

そして、家族になれて

本当に幸せだっていうこと。

 

そんなことさえ伝えられたら。

 

教えてくれる家族に

感謝、感謝です。

 

 

 

 

 

命日の日には欠かさず

行っている温泉旅行に

今年も行ってきました。

 

優大の大好きだった温泉。

 

温泉に浸かっていると

いつも空から優しい光が

さしてきて、

涙と共に、身体中に心中に

暖かさが広がります。

 

パパの誕生日を選んで

旅立った優大からの

愛のプレゼントを

毎年もらっているように

感じます。

 

悲しむ日にしないでね。

ぼくは大丈夫だから。

みんなで笑顔で生きて欲しい。

 

そんなメッセージ。

 

何度言っても足りない

けれど、、ありがとう。

生まれてきてくれて、

ありがとう。

生きてくれて、

ありがとう。

 

そして、

 

私のこの命にありがとう。

すべてにありがとう。

 

人生がつかの間の夢だった

としても、

こんな風に愛を知ること

ができる夢を見られて

最高に幸せです。

 

生きるって素晴らしい。

 

わたしを生きよう。

 

心のままに。

 

あるがままに。

 

 

いつも読んでくださって

暖かい想いを、

ありがとうございます♡

 

 

 

 

私たちは一つ。

そんな言葉が何ども浮かびます。

先ほどメルマガを書いている時にも
やはりそのメッセージが降りて
きました。


カタチあるものは必ず変化し続け
いずれはカタチ自体も消えます。

生まれれば必ず死に向かって
命は歩みを進めます。

カタチという意味での命は
そうやって必ず尽きる有限な
ものです。

だからこそ命は輝くし
私たちは生きるのだと思う。

そして同時に
カタチが尽きた時にも
命の本質は消えるはずもなく
大きな一つの見えない命と
してあり続けています。

見送った人の命が光になり
風になり花になり
新しい命になり
宇宙の粒子になり

心に宿り、身体に宿り、

私たちはいつでも一つ。

だから、この私というカタチ
に命が注がれている間
私は私を生きる。

全ての命と一緒に生きる。



日付が変わって
明日、19日は優大の命日。

5回目のその日を迎えるとき

流れる涙もこぼれる笑顔も

生きていることが
愛おしいのは、

あなたがいてくれたから。

ありがとうの日が今年もまた
やってきます。