今日は日曜日。

一番下の子を保育園に預けることが出来ず、妻を除く、子ども達4人と一緒だった。

といっても、そんな窮屈なものでもなく、今日は割りとゆとりのある一日だった。

 

早朝(6時20分)、長男(8歳・新小学3年生)の野球の練習試合が雨で流れた。

その結果、野球はお休みになり、また、私は眠りにつくことが出来た。

9時に一番下の娘に起こされ、リビングに向かうと、嫁がポトフを作ってくれていた。

出掛ける嫁からのお願いは、その完成間近のポトフに、ベーコンを切って入れること。

それと、味見をして、必要であればコンソメを1つ入れることだった。

そんなことは、昼ご飯・晩ご飯を全て作ることから考えれば、極々簡単なことで、

雨が降っていて、なんとなく憂鬱な気分は、これで一気に晴れた。

 

目が離せない一番下の子も、昨晩説教をした次女を中心に、

子ども達が面倒を見てくれるので、パパの負担は結構軽いものになる。

お昼前には、エステサロンを経営している嫁から電話が入り、

「昼一のお客さんがキャンセルしたので、代わりに来るか」と言われたので、

二つ返事で「行く」と答えた。

 

それにしても、改めて考えてみると、本当にウチの子ども達はよくやってくれている。

私がこの子達の立場だったら、こんなには見れないだろう。

私にも5つ下の妹が居て、小学生の頃はよく面倒をみていた。

しかし、この子達の比ではなかったと思う。

特に、次女の面倒見の良さは本当に凄い。

長女と次女は年子で、次女の3つ下に長男がいるのだが、

私が出逢った頃2歳だった長男の面倒を、次女はメチャクチャみていた。

おっぱいが出れば、やるんじゃないかというくらいの勢いを感じた。

私はよく次女のことを『小さなお母さん』と呼んでいたが、

次女もそう呼ばれるのを喜び、嬉しさと恥ずかしさの混ざった、

まんざらでもない表情をいつも浮かべていた。

その安心感があるから、その当時50歳の私と嫁も、一番下の子を作れたのかも知れない。

一番下の子は2歳になるが、次女のことだけは、○○ちゃんと、ちゃん付けで呼び、

長女と長男は呼び捨てで呼んでいる。

こんなに小さくても、どの人が自分を大事にしてくれてるという事が分かるのかな、

とその様子を見ていていつも思う。

 

こんなに良い子達なのに、私は叩く時がある。

叱るというよりは、大人なのに感情的になり、もう怒っている。

叩いた後は、気持ちが重くなる。

もう怒らない様にしようと何度も思うのだが、

私が叱らないとこの子達がダメになるんじゃないかと、自分を正当化しながら怒っている。

先日、児童相談所に電話をして相談してみた。

返ってくる答えは、想像していたものとそう違わなかった。

大まかにいうと、『褒めて育てるべき』的な事を言われ、

長所を見つけ、そこを褒めてやること、だそうだ。

しかし、箸の持ち方が悪いのに、どこを褒めたら、箸がちゃんと持てる様になるのだろう。

勿論、箸の持ち方が上手になっていれば、ちゃんと褒めている。

が、子どもって出来なくなるのも超早い。

私と出逢った頃、長女と次女はちゃんと箸を持てていた。

にもかかわらず、何も言わないでいると、気が付けば自己流の箸の持ち方になっていた。

そうなると、なかなか直らないし、直せない。

勿論、出逢ってすぐの時は、「小さいのに、ちゃんと箸が持てて凄いね。」と褒めた。

しかし、1年も経たないうちに、握り方がおかしくなっていた。

私は、私がちゃんと注意しなかったから、こうなったんだと後悔した。

こんなことなら、ほったらかしにせず、注意するのが本当の優しさだったんじゃないかと。

ウチの嫁も、実は箸がちゃんと握れない、替わりに子ども達にも何も言わない。

ウチは、お父さんもお母さんも厳しく、子どもの頃はよく注意されたものだが、

そのお陰で人前で食べる時でも、恥ずかしい思いをしないですむ。

今は厳しかった親に感謝している。

何か話に収拾がつかなくなってきたので、今日はこの辺にしておこう。