いつもブログを23時頃に書くようにしているが、今日は、0時を回ってしまった。
(まぁ、いつもといっても3日目なのだが。)
何故、今日は遅くなったかというと、次女に説教をしていた為だ。
これって、今風にいえば『虐待』に当たるのかな。
ウチの次女は小学校6年生になる。
考えれば、もう12歳になるのか…早いものだ。
ウチの嫁と出逢って7年だから、この次女(子)と暮らす様になってもう6年。
前のお父さんと暮らした期間と、私と暮らした期間がようやく同じになる。
他にも今度中学生になる長女、最近、野球を始めた長男には、同じく私の前に別のお父さんがいた。
分かり易く言えば、ウチの嫁はバツイチで、前夫がいたっていうだけの話だが。
私もバツイチで、前妻との間に男の子が1人いた。
子どもは好きだったし、我が子となれば、また違う可愛さ、愛しさがあったが、
若かりし頃の自分は、その時ちょっと小金持ちだったこともあり、
職業柄周りに女性も多く、あまり家庭を顧みない男だった。
また、決定的なこともあり、この子とは長く一緒に暮らせなかった。
何が言いたいかというと、『子育て』というものを、子どもがいたにもかかわらず、
ほとんどやったことが無かったということ。
更に、私の父親は、私が6歳の時にガンで他界し、お父さんの記憶が断片的にしか残っていない。
そう、私は父として、どうしたら良いのか分からないまま、3人の父親になってしまったのだ。
しかし、もうそれも6年前のこと。
6年も経てば立派なお父さんになれる!という訳もなく、未だに深く濃い霧の中を彷徨っている。
この先、何年経てば、ちゃんとしたお父さんになれるんだろうか。
因みに、今日の説教の原因は、一番下の子(三女)の保育園の準備を、
しっかり者の次女がいつもやってくれているのだが、
食事用エプロンを1枚、手拭き用タオルを1枚を入れないといけないのに、
食事用エプロンが2枚入っていて、手拭き用タオルが入っていなかったという、
本当にどうでもいいような理由だ。
4月から新しい保育園に代わり、まだ、3日目なので間違えてもおかしくないのだが、
長女のせいにし、自分は悪くないと言ったからだ。
次女はしっかり者な反面、自分のミスを認めようとしない頑固者でもある。
なかなか認めないので、ついつい詰め寄ってしまう私に、突然黙秘を始めるのである。
私も意地になって問い詰めるのだが、次女は断固黙秘を貫くという悪循環。
また、黙秘権行使のあいだに、ポロリと涙をこぼす。
こういったやり取りを、状況は違えど、今まで何度繰り返してきただろう。
私は父親として、この子達を良くしたいと思って叱っているつもりなのだが、
そもそもそれが私の思い上がりで、おこがましいことのかも知れない。
この涙を見るたびに、大げさではなく、この子達はいま幸せなのだろうか、と考える。
前のお父さんと暮らしていた方が、この子達にとっては幸せだったのではないだろうか。
自分の父親としての自信の無さから、ついそう考えてしまう。
子どもは選べない。
残酷なもので、お父さんとお母さんが別れるとき、
特別な事情がない限り、どちらかだけを選ぶことは出来ないと思う。
夫婦は男女なので、尊敬しあったり、恋愛し、一緒になる。ある意味勝手なものだ。
しかし、子どもはそうではない。
突然、大好きだった人を奪われ、代わった人をお父さんと呼ばなければいけない。
ウチの嫁は、子ども達をとても大切に想っている。
それが凄く伝わってきたので、そういう嫁を好きになったところもある。
自分の子どもも大切に出来ない人なら、私も嫁を好きになってはいなかった。
きっと私のことも大切にしてくれないだろうから。
大好きな嫁が、大好きな子ども達。
出来れば、立派な大人に育ててあげたい。
見たいものを見せ、行きたいところに行き、やりたいことをやらせてあげたい。
でも、箸もちゃんと使える様になって欲しいし、嘘つきになってほしくないし、優しい子になって欲しい。
今、専業主夫になって、子ども達と接する時間が増えたけど、
前にも増して、子育てって難しいと思う。
子育てに正解ってあるのだろうか。
まだ当分、深く濃い霧の中を彷徨わなければならないようだ。