本質だけは
絶対に残る、し
残るものだけが
本質的なものなのだなあ
と、おもいます
 
 
たとえば
愛とか
よろこびとか
しあわせとか
ホッとする気持ちとか
満たされた感覚とか
そういったものって
いくら、味わったとしても
何度、味わったとしても
絶対になくならない
 
何度でも
何度でも
味わえるもの
 
満たされたとしても
飽きてしまったりは
しないもの
 
必ず、残る、
純度の高いもの
=本質的なもの
 
 
お水を飲んだ時の
美味しさも
 
お風呂に浸かった時の
気持ちよさも
 
お布団に入った時の
気持ちよさも
 
大好きな人と抱き合う時の
満たされたよろこびも
 
決して、飽きたりしない
純度の高いよろこび
であり
 
そして
そういった
よろこびの感覚こそが
わたしたちの本質なのだな
 
 
 
なのに
どこかで
それを満たしてしまえば、
それが満たされてしまえば、
飽きてしまうのではないか?
それを満たすのを
先送りにしておきたいような
気持ちが働いてしまうことや
満たされてしまうことへの
抵抗を抱いてしまうんですよね
 
 
これまでに
満たされたら飽きてしまった
という経験をしてきたことが
あるからかなあ、とおもいます
 
あんなに
欲しかったもの
あんなに
願っていた願い
なのに
満たされたら
飽きてしまったり
いらなくなってしまった
というような経験があるから
 
 
でも
じつは、それは、
満たされたからではなくて
本質的なものではなかったから
だったりするのではないかな、
 
 
飽きてしまった理由を
「満たされたから」だと
勘違いをしているし

だから

満たされてしまうことを

遠ざけようとしている
 
けれども
じつは、それは勘違いで
飽きてしまったのは
「本質的なものではなかったから」
 
そのことがわかれば
満たされてしまうことを
避けようとしなくてもいい
とわかるので
安心して
満たされることができる
 
満たされるのを
先送りにしなくてもいい
ということがわかるし
満たされないように
抵抗している必要もなくなる
 
だから
安心して
願いを叶えられるし
求めてきた愛を
受け取れるようになる
 
 
 
 
満たされてしまったら
飽きたー!ってなるのって
本質的ではない願い、を
求めていた時…ですが
でも、そっちの願いの方が
ワクワクしたり、刺激的だったり、
テンションが上がったり、するし
願い!叶えた!やった!!という
よろこびが大きかったりします
 
だから
つい、そういうのを
求めてしまいがちだなあ
 
そして
ツインレイの愛も、つい
それと同じような感覚で
とらえていたりするんですよね
 
でも、
そういったものと同じだ
とおもっているから
飽きたくなくて、
満たされたくなくて、
手に入れないようにしている
ということもあるのかなー
と、おもったりしています
 
ツインレイの愛って
本質的なもの、なので、
満たされたとしても
飽きてしまったりはしない
のですよね
 
それが叶ったとして、
満たされたとして、
飽きたー!つまらない!
他のが欲しい!!とは、ならない
 
 
本質的なものは
絶対的に、残る
 
だから
飽きてしまうことを
心配したりせず、安心して…
満たされてしまったら
いいのだなあ、と、おもいます♡