ある日の私と妻との会話。
妻:ねー、この間の
「思考(雑念)を止めるには観察」
っていうのをやってみたよ。
思ったよりも上手くいったみたいで
結構、作業に集中できたよ。
ただ、やってみて思ったんだけど、
「観察」というよりは「受け流す、そのままにしておく」
っていう方がピンと来たかな。
私:まぁ、言い方はどっちでもいいんじゃないの。
大事なのは、
「湧いてきた思考にとらわれない」
「思考が止まらない自分を責めたりしない」
っていうことだから。
妻:ふ~ん、そうなんだ。
やっぱり、観察より受け流すのほうがいいような気がするけど、
まぁ、いいか。
それより、その時にフッと思ったんだけど、
思考を止めるのってすごく怖くない?
何か脳の活動が止まって、頭が働かなくなるっていうか、
考えることを止めたら自分が自分じゃなくなりそうというか…
私:んー、それは何か思考にのっとられてるような感じだね。
思考=自分って思っているんじゃないかな。
妻:思考にのっとられているっていうのはピンとこないけど、
思考=自分は、確かにそれはあるかも。
っていうか、「人間は考える葦である」なんていう
言葉もあるぐらいなんだから、
思考=人間、つまり思考=自分ではないの?
それに、思考が止まる=自分の終わりみたいな感じがして
やっぱり怖いんだけど。
私:まず、「思考=自分」ではないよ。
自分=肉体(からだ)、つまり自分は肉体そのものではないように、
自分=思考、つまり自分は思考そのものではないよ。
自分は心(思考・感情)、肉体、魂で構成されているんだし、
何よりも「自分」はあくまでも「自分」でしかないよ。
強いて言うなら自分は「意識」かな。
思考をするのも自分なら、思考を観察するのも自分。
そして、思考をしていても、していなくても自分は自分。
だから、別に思考を止めても自分はなくならないし、
頭はきちんと働くよ。ただ心が静かで穏やかになるだけ。
別になんの問題もないよ。

