だから僕は大学院を辞めた(一応まだなんだけどね笑) <前編> は
コチラから↓↓↓
https://ameblo.jp/you-too-enjoy/entry-12475524773.html
みずきです。
昨日今日と雨模様で体は重いのですが、動けるようになったため少しは活動しておこうということで今日は中編。
うつ病発症から復帰~休学
の部分を書いていこうかなと思います。
実は記事執筆中にアクシデントがありまして書いた記事が消えてしまいまして。。。
後編として中退までを書こうと思っていたのですが、気力的に続けて書くのムリだし
書いてみたら意外と書くこと多くて長かったということもあって3部構成にしたいと思います。
(計画性なんて)ないです。はい。
4.復帰できた!よし!仕切り直すぞ☆
大学3年生の12月に研究室が引き金になって(原因ではないです)うつ病を発症して
自殺未遂まがいの事態もありましたが薬も飲みながら休養。そして3月後半、春が訪れるにつれて症状としては軽くなっていき4月からは復帰できました。
最初は様子を見ながら遅く残ったりはあまりなかったのですが、
・仕切り直しに伴い研究テーマが変わったこと
・動けることが嬉しくてついつい出来る限りやりたくなった
・いつまたあの恐ろしい状態になるか分からないから逃げ先が欲しかった。
いつの間にか普通の他の人並みに実験やデスクワークをこなしてたと思います。
まぁ嫌な予感しますよね…笑
5.ぷっつん。。。(糸の切れる音)
なんと僕は11月初旬までほとんどダウンすることがありませんでした。
この時は生来の負けず嫌いだとかやらなきゃいけないという義務感が良くも悪くもエネルギーになっていて頑張れていました。
そして無事に初の学会発表を終わらせました。
あぁよかった、よかった。
ーーーープツンッ!!
電球って寿命が尽きる時強い光を最期に放ってフィラメント(細い鉄線みたいなアレです)が切れるんですけどまさしくこの例えにふさわしい感じですね。
学会発表そのものはつつがなく終わったんですけどそれで自分の中で張りつめていた、良くも悪くも保てていたものが切れてしまったんだと思います。
「燃え尽き症候群てこんな感じなのかなぁ」
糸の切れた操り人形かのごとく動けなかったし何かをするという気力が起きませんでした。
希死念慮という面では発症したときよりもマシでした。行動に移そうと思うだけの気力も思考能力もなかったからです(苦笑)
「またあの地獄に戻ってきてしまった」
「このままこの地獄と付き合ったいかなきゃいけないの?」
「眠り浅いし、そもそも寝付けないし」
「楽しい面白いって思えていたはずの研究もいつの間にか楽しくないし」
一度復帰してそれでもダメだったということが決定的に僕の心を折りました。
そんな気力枯渇状態だったからこそ心の「逃げろ!!」って声が素直に聞けたんだと思います。何も考られなくて頭に浮かぶのは死ぬとか黒いモヤモヤしたなにかだけだし。
6.大学は卒業したけど
そのときすでに大学院への進学は決まっていたのですが、天地がひっくり返ろうがこのまま研究なり勉強なりなんなり出来る状況では明らかになかったです。
大学の卒業案件である卒業研究発表の単位は教授の計らいもあったことで、ほとんど講義にも研究室にも行けていない状況でしたが無事になんとか大学を卒業できました。
そして、大学院入学のタイミングで1年間の休学手続きをしました。
そしてこの年も3月半ばから回復していきました。その後2年間も同様の経過でした。
どうやら僕は
”11月から3月半ばの時期にうつが悪化する”
という季節性の強い(冬に悪化する)反復性うつ病のようでした。
(医師いわくここまで露骨な傾向が見られるのも珍しいみたいで驚いていました)
とにかく休学を決めた僕ですが、それまで
いい大学(大学院)をでて、いい会社(主に収入が高いという意味)に入って、それなりにお金に余裕のある生活をするという”レール”に固執していたように思います。
正直に言えば中退を決めた今の僕でも少し意識してしまう時がありますが、当時のレール絶対信仰者であった僕にとっては、一度そこから外れるという決断をしていざ実行に移したら解放された気持ちになりました。
裏を返せばその絶対が崩れるくらいの精神の参り方だったってことなんですけどね笑
7.1年の休学生活を通して
休学している間は基本的に下宿先にいました(諸々の事情で親とあまりいたくなかったので)。
6月からはコールセンターのアルバイトをしていました。
比較的シフトに融通が効いたしなにより周囲の社員さんやアルバイトの人がいい人たちで
ダウンしてしまう日もそこそこありましたが楽しく過ごせました。
業務内容としては個人向けの電話営業なので当然ノルマというものが存在します。
僕は性分的に気にしてしまうだろうなとは思いつつ、ある程度の負荷は必要だとも思っていたのでチャレンジしようと思って始めたのが元々。
で、実際やってみて確かに気にはしてしまうし伸び悩んだりもしたんですけど
”周囲の環境に満足していれば意外と頑張れる”
ってことに気づきました。
僕が満足できていたと思う環境要因は「和気あいあいとした雰囲気であるという事」「話しやすい」「助け合う雰囲気があること」といったところでしょうか。
人と個人的におしゃべりすることはすごく好きだしドライな人間関係、閉鎖的な環境というのがあまり好きにはなれないので、研究室そのものに対してネガティブに思うことはないのですが
「個人主義」「ずっと同じ狭い空間にいること」「研究内容としてモノを相手にしていること」
このあたりに対して自身が納得していなかったのかなとこの段階で気づくことができました。
(あくまで主観なので気を悪くされた方はすみません…)
それとやはり11月あたりから段々と調子が悪化していきました。これまでほどではなかったのですがこれはストレスの多寡の問題かなと。
むしろこのあたりで季節性という僕の「体質」がはっきりしてきてどこかでずっと悩んでいた「病気ではなくただの甘えなのでは??」というものに対してちゃんとした答えを持てるようになりました。
まぁ、今みたいに症状が落ち着いているときは甘えなのかな?とか思いますけどね…苦笑
回復期には回復期なりの悩みがまたあるんだなぁって思うことにしています。
ここまで読んでいると
「おっ!なんか立ち直ってるじゃん!これがなんでまた中退なんかもったいない選択肢選ぶようになっちゃうの??」
って思われる方もいらっしゃるかなと。
実際僕も復学するときは吹っ切れた気がしてなんだかやり直せそうな気がする!
って思ってたんですけどね。
今振り返ってみるとこの「やり直せそうな気がする」ってところがミソだったなと。
今回はここまで。続きは後編 <復学~大学院中退決断>で!
また明日以降調子が上がってきたタイミングで書きます。