最近、息子に勉強をさせるために私が頑張っていたのは、見栄や、無償の愛や、リベンジなどの今まで見つけてきた理由ではなく、実は贖罪のためだった。




息子をゲーム漬けにしてしまったのは、親の自分のせいだと思っていた。



早くからゲームを与えたこと。


そのルールもゆるかったこと。


息子がルールを守らなかった時の、

罰則ルールを自分が遂行していなかったこと。


息子の言うことは割と何でも聞いて、

甘やかしていたこと。




それが息子の勉強嫌いを助長し、ゲーム漬けになり、さらに勉強の妨げになっていた。




だから、責任を感じていた。




贖罪。贖罪の意味を調べた。


意味は、罪ほろぼし。



息子への詫びのつもりで頑張っていた。



私のせいで、息子の人生の選択肢が縮まってしまうのが嫌だったから。




しかし、やりすぎて、そのことが、なお息子を勉強から遠ざけることになってしまっていた。





これは、本末転倒では?








話は遡って、


産後何ヶ月目かの時に、ボランティアの人?が、家を訪問してくれるという地域の制度があった。

育児の悩みを聞いてもらう。そういう類のものだったと思う。




その時に、うちに来た人に、



「もし上手に育てたら、

 ◯◯みたいになりますよ〜」



みたいなことを言われた。




上手に?




子供を育てるのに、


上手とか、上手じゃないとかがあるんだびっくり



上手に育てるって、

いったいどうしたらいいんだろう?



私は、絶対、上手になんて育てられないわ。




逆に不安になった。






その時の言葉がずっと頭から離れなかった。







私が上手に育てなかったから、

こうなったんだと思っていた。




上手に育てることができたという気は全くしなくて、いつも失敗ばかりしていたように思う。






その贖罪のつもりだったけど、



贖罪とまで言うのであれば、




「この家に生まれてごめんなさい」



とまで考えているかというと、



さすがにそこまでは思っていない。




そこまで詫びる必要はないと思っている。






だから、



いろいろ失敗もあったけど、親として、

そこまで責任を感じる必要はないと思った。



思い至らない節があったとしても、

自分は精一杯やった結果だし。




詫びのつもりで、

一生懸命になればなるほど、

息子は勉強から遠ざかっていった。




息子が、

これから勉強せずに生きていくことを、

私への怒りや腹いせが発端とは言え、

そう決めたんなら、もういいじゃないか。






だから、




私のせいじゃない。




息子がこうなったのも、私のせいじゃない。






そう思ったら、気が楽になった





子供にずっと詫びながら、


生きなくてもいい。





もう自分を解放することにした。






きっと、誰かに言ってほしかった、



「あなたのせいじゃない」


という言葉を自分自身で言ったら、


楽になった。





続きます。