激烈に痛快な皮肉ソング『神っぽいな』。その面白いくらいトゲのある歌詞に共感するのか辟易するのかはアナタの日頃の行い次第。初音ミクお誕生日記念企画第30弾はピノキオピーの『神っぽいな』について考えます。裏話ですが、初稿としてはこの曲が今回の企画で最後の分析となります。



 "動画投稿は2021年9月17日。作詞作曲はピノキオピー。VOCALOID伝説入り(100万再生超え)"

 ピノキオピーの作品ではニコニコ動画において最も再生数が多い動画。短調の曲。


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 楽曲形式は次の通り

A-bridge-B-C-D-bridge-E-C’-B-C-D-bridge-A

 面白い形式なので素直に書いた。Cはサビに相当するだろうし、Dも半分サビみたいなもの。形式的な意味での「Bメロ」に相当する部分は見当たらない。実はC-DをChorusとした洋楽スタイルに近いのか?bridgeは「間奏」にしようと思っていたが、声があるのでbridgeとした。これをABCで書くといよいよワケが解らなくなるので今回は「bridge」である。

 連続しているB-C-Dを1番とすると

A→bridge→1番→bridge→E→C’→2番→bridge→A

となる。これを見るに形式上でいえば真ん中のE→C’を2番の後ろに持ってくればEが「Cメロ」または「落ちサビ」、C’が「ラスサビ」に相当するのだろう。それを敢えて真ん中に持ってきているように見えて面白い。(後述)また、気付いている方もいるだろうが真ん中のCはC’(シーダッシュ)として分けている。分析でもC’についてはEの後に記述する。

 以降分析ではAはAメロ、BはBメロ……と記述する。



 はじめに、この楽曲において旋律はほぼ全てi、ii、iv、v、vii(半音上がることもある)の音が使用されている。もちろん例外もあるがこれが意味するものは大きい。vii-i-iiの3音はiを中心とし、viiもiiもiに向かう推進力がある。一方でivからiiiへの進行はなく、すべてvに上行する。これらから導き出されるのはこの楽曲の"骨"はiとv、言い換えれば主音と属音であると言える。主音と属音ばかりで成り立つことによりメロディアスな要素をなるだけ排除し、感情の少ない無味な旋律になるような効果を狙っているかもしれない。





 最初は鐘の音とピロリロで始まる。Aメロ前に"Oh my god"と喋る


 Aメロの大きな特徴として「和音の第5音」を中心としたメロディが挙げられる。

 Aメロは8小節あるがコード進行はとても基本的なものである。1小節1和音が対応しi-iv-v-iという第3型カデンツを2回繰り返す。この曲は短調でありメロディ、和音ともに自然短音階が使われていることを考慮してもこのコード進行はテッパンで、主和音に向かって安定した強い推進力がある。なので、4小節目または8小節目にメロディが解決すると気持ちがいい。

〜色々書きましたが無稽なので一番下に移しました〜

 こんなメロディはなかなか見たことない。一応最後は音楽的に解決するので、調性音楽を逸脱しようというわけではなさそうだ。このメロディは頭でっかちな音楽畑の人ほどタブー視する「龍の玉」だと思う。

 最後にもう一度記しておくがAメロのコード進行は第3型カデンツ(i-iv-v-i)である。


 ブリッジは同じような音楽を2セット繰り返すような感じ。"とぅっとぅる〜風"を3回繰り返し、"ぽいじゃんぽいじゃん"と繫がる。ここまででワンセット。もうワンセット繰り返す時は"ぽいじゃん""神っぽいな"になる。

 "とぅっとぅる"はiとviiの2音を跳ねるようなメロディで歌う。歌詞と合わせてもつなぎのような我関せず焉とした感情の少ないメロディだ。それに対して"風"は跳躍の高い音になるため、読みはそのまま「Foo」みたいな印象がある。まぁどちらも深い意味はなさそうだ。

 "ぽいじゃんぽいじゃん"は非常に特徴的。四分音符で順次進行のvi-v-iv-iiiの音でできた下行形のメロディ。その構成される要素から見ればありきたりな「普通」の音楽になりかねないが、ここでは八分休符が頭に置かれる。裏拍で進行するため、ちょっと違った雰囲気を出している。かといって「普通」でそこまで珍しさはない。何が特徴的かといえばこの楽曲ではほとんど使われないviとiiiの音が使われている点である。はじめに書いたようにこの曲はほぼ全て主音と属音を中心とした旋律でできているが、特殊なEメロを除いてはここだけメロディアスな旋律となっている。他の曲では「普通」なメロディではあるが「表情の少ない無味な音楽」の中ではビビットなメロディとなり感情がある。ここでの感情とはなにか?"ぽいじゃんぽいじゃん"という呼びかけのような言葉から察するに、「同調」とか「賛同」の意味があるだろう。ただ、前後の"とっとぅる"のような無表情な中で急に「同調」するのは、話を聞いてないのに「そうだよね」と言うようで、何だか皮肉のような、内心バカにしたような雰囲気に感じる。

 "神っぽいな"の音楽上の役割は終止である。i-ii-iの音でブリッジの終わりを示し、ブリッジという音楽のブロックを明確にする。

 コード進行は第3型カデンツ。


 Bメロは2つのフレーズと"gott ist tot"でできている。2つのフレーズはどちらもiとiiの音を行ったり来たりしたあと跳躍を含む上行というメロディである。気分がだんだん上がっていくというよりは無表情に喋ったあとに急に上がる感じ。興味なさげに「うんうんうんうん」と頷いた後、ふと思ったことを言い出すようである。また上行先はいずれもvの音なので続く感じがあり、伝えるとか納得するとか言うより言い放って相手の出方を伺うような感じになる。

 "gott ist tot"と言うのは多分VOICEROIDか?機械的で無表情な語りである。

 コード進行は1つ目のフレーズがiv-v-i-i、2つ目のフレーズがiv-v-iv-V。


 Cメロはサビに相当すると思われる。2つのフレーズからできていて、Bメロと同じように、iを中心とするメロディ。1つ目のフレーズはこれもBメロ同様に最後でvの音へ向かう。

 コード進行は両フレーズともに第3型カデンツ(i-iv-v-i)。



 Dメロは半分サビのような音楽。2つのフレーズからできている。各フレーズとも、前半ではiの音を中心に短いフレーズを並び立ててる音楽。後半はCメロのフレーズの前半をそのまま(1つ目のフレーズ)またはアレンジしたもの(2つ目のフレーズ)。

 コード進行は両フレーズともにiv-v-i-i。

 


 Eメロは誰が聴いても異端。音楽が半音で完全に平行移動している。普通は半音上がると高揚感が増すが、計7半音上行するので高揚感はどこかへ消え去り、不気味な着地点の見えない雰囲気が漂う。最終的に着地するコードは主和音(短三和音)のモーダルインターチェンジコード、つまり同主調の主和音(長三和音)である。

 なおEメロ始めのコードはIVから始まる。



 C’メロはCメロと同じ。だが、音楽はまるっきり異なる。テンポが遅くなり、伴奏も少数になるため、ねっとりした音楽になる。Eメロの最後は主和音のモーダルインターチェンジコードだったが、ここから転調した場合、♭系の転調となる。そのためダウンな雰囲気や落ち着いた雰囲気を生み出す。これまでのCメロの直前はVの和音(属和音)かつメロディは属音であった。そのためCメロに向かって緊張感や推進力があったが、C’メロは雰囲気的に反対の進行となる。「さぁ言っちゃっていいですか?」から始まるようなCメロに対してだんだん気持ちが高まり混迷し「どうなってんの」みたいな感情から始まるC’メロは同じメロディでも完全に別物である。


 ピノキオピーはなぜ、E-C’を真ん中に持ってきたかの考察だが、とりあえず4個は考えてみた。なおここでは「E-C’」を「中間部」と呼ぶ

 ①なんとなく

 ②普通の音楽とは違う要素を持たせたかった

 ③楽曲にサンドイッチ要素を持たせたかった

 ④「3番構成」の2番がちっちゃくなった

 1つ目の「なんとなく」はその字面の通り、作っていたら何となくコレが良いんじゃね?となった説。

 2つ目の「違う要素」という考え方は、この楽曲も示す「○○っぽい」を避けるためにこのようにしたというものである。世俗にあふれる似通った音楽から逸脱するために、なかなかないであろうこの形式をとり、ラスサビを無くしたものと考えられる。気になる点としては、本当にこの形式がマイナーなものなのか、そしてこの形式によって世俗っぽさが消えるかという疑念があることだ。

 3つ目の「サンドイッチ要素」は非常に理解しやすい。「パン」部分はA、bridge、1番(2番)で構成され、テイスティな「具」がE、C’で構成されるという考え方。この考え方で重要なのは「具」がいかに味変されているかということ。この楽曲では新しいEメロと「ゆっくりにしたCメロ」で構成されている。音楽的な違いはいくつか見られるが、それほど奇抜な「味付け」はされていないようだ。もちろんあまりにも本筋と逸脱した音楽はおかしいが、比較的薄味にも感じられる気がする?

 4つ目の「3番構成」は1番〜3番のうちここでの2番が変形したもの、という考え方である。これの根拠としては、Cメロをサビとしたら3番構成になること、そしてコード進行のことが挙げられる。コード進行についてはBメロとDメロがiv、EメロがIV、その他がすべてiから始まる。Dメロがサビの一部だとすれば、「1番」はiv(IV)から始まる音楽+サビと見ることもできる。これによって中間部は実は2番だった、という考えが成り立つ。これは意図的というよりは結果的にそうなった、と言えるだろう。

 私はこの中では「サンドイッチ」説を推したい。通常のCメロやラスサビも目的は「味変」なのであり、機能的に類似する部分が「中間部」になっただけなので、結果としてサンドイッチになったのではなかろうか。

 なお、完全に私見であるが恣意的に付けたものの「中間部」の名の通り古典的なマーチや舞曲にある「トリオ」やソナタ形式の「展開部」に相当するような音楽だと感じる。「っぽいな」と言ったら皮肉だろうか。




 ここからは歌詞に触れていくがいつものように一部分だけ引用する。



 昨今のコミュニケーションや創作物など、イメージし発信するものに対して「っぽいな」という穿った見方[1]をする一曲。人にもよるだろうが、私にはめちゃくちゃ攻撃的に感じるが、少し寂しそうな気もする。それも日頃の行いのせいなのか……。

 [1]物事の本質を的確に捉えた見方。という意味



"愛のネタバレ「別れ」っぽいな"、"人生のネタバレ「死ぬ」っぽいな"

 この楽曲において、「ネタバレ」と「っぽいな」は大きな軸となるだろう。すべてが「っぽく」見えることはつまり主人公にからの視点で「ネタバレ」が見えているからだ。「っぽいな」と言える時点で、何かしらの形容ができているはずだし、その形容がその事象に沿ったものであることも理解できているということだ。これは頭に入れておきたい。



"もういいぜ"、"おっきいね"、"きっしょいね"、"ちっちゃいね"

 全部皮肉だったり直言だったり、なんにせよ仮想のアナタに向けてソレを揶揄する言葉たちである。「ネタバレ」が見えている主人公にとって、アナタの行動達は"その程度"の意味や価値しか持たないことだと言っている。バカにしていると言うよりは蔑むような感じか。


Dメロの"その〇〇"

 ずらりと並べ立てられたコミュニケーションや創作物を全てひっくるめて「アレっぽいな」「神っぽいな」と一蹴する。それってアレのパクリでしょ?これってアレの真似事だよね?なんとも無情に全てをはねのけてしまう。時代の潮流や価値観の画一化からそう言われても仕方ない現状が世の中には溢れている。〇〇っぽい音楽やイラストが好まれる。〇〇という意見や考え方が同調される。そうしないと世間に迎合されない。そんな世界のスタンダード化(スタンダーゼイション)を痛烈に指摘している。


"無邪気に踊っていたかった人生"

 私はこの楽曲の裏テーマはこの一文にあると考えている。長いこと生きていると「ネタバレ」がよく目に付くようになってくる。ヒーローはきっと悪の敵をやっつけてヒロインと恋に落ちるだろう。「お金を貸して!返すから」という人間に貸したものは帰ってこないだろう。「行けたら行く」と言うやつはきっと来ないだろう。実は「ネタバレ」は経験に比例して増えていくと考えている。特にクリエイティブの世界に長く身をおいていると、「ネタバレ」なんてそこら中にある。特に2次元のイラストや西洋音楽的な楽曲なんて有限であると考えたほうがよい。そうなってくると「っぽいな」と思う作品なんて1つや2つではないだろう。

 数多のネタバレに晒されて、それっぽい作品が溢れかえる中で、「っぽくない」作品を創るのは並大抵のものではない。そして視聴者としても、新鮮な作品に出会える"確率"は単純に下がっていく。この楽曲は世にはびこる「っぽいな」を批判することが主目的ではなく、実際は世間の「ネタバレ」に気づいてしまった我々の感受性の鈍りを説いているのではないか。何も「ネタバレ」を知らなければ、新鮮な気持ちで多くの作品や考え方に出会えるのに、という文脈で「無邪気に踊っていたかった」のだろう。





 「神っぽいな」はどういう意図なんでしょうね。そこまではあんまり考えてません。動画のキャラクタはシスター風ですよね。それに似合わぬパンクな見た目ですけど。C’で目を閉じるんですけど、イイですね。




〜 ここからAメロの偏った見方 〜

 各小節の強拍を見ると、メロディは和音の第5音ばかり。それでも、4小節目の1拍目は主音なので解決したか?と思いきや3拍目で無情にもvの音へ飛んでいく。主音でちゃんと解決するのは8小節目のみ。つまり最後の小節まではほとんど和音の第5音とランデブーする。これが何を生むかといえば、強拍だけ見れば和声学で禁則となる平行5度がずっと現れる。なぜ禁則なのかというと「響きが強すぎるから」。完全5度という強い響きを引っ提げたままメロディが進んでいくので、強拍では常によく響く空虚な音楽となる。まぁ、これは理論上の話なので感じ方は人それぞれだけどね。それから、現代の音楽は「理論」を超越して作られるのが主流だよね。

 ずっと完全5度のメロディで引き起こされることはもう一つある。それは調性のゆらぎである。要するに完全5度上に転調しているように感じられてしまう危険性がある。意図してかしなくてか、これはしっかり対策されている。Aメロのメロディ中にivとviの音は使われていない。これはつまり完全5度上の短調にとってviiとiiがないことになる。viiとiiを使わずにドミナント→トニックの解決をメロディで行うのは不可能に等しい。これによってAメロのメロディは完全5度上の調性感を出さずに済んでいる。まぁ、こんな難しい話をしなくても和声進行が強いカデンツであること、8小節目に主音で解決することから転調感なんて起こらないけどね。