(最終更新:2024/2/1)

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 53年前の今日、日本音楽史に残るある出来事が起きます。ロックバンド「はっぴいえんど」初のアルバム『はっぴいえんど』が発売されました。このアルバムは日本語ロックとして初めてリリースされた作品と言われています。「はっぴいえんど」のメンバーは細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂と誰をとっても日本音楽史に多大な貢献をしているミュージシャンばかりです。今考えてみれば<化け物バンド>ですね。今回は日本語ロック界に金字塔を打ち立てたアルバムより、同バンドの処女作とされる『12月の雨の日』について考えます。(今回は内容薄めです。)

 

リリース:1970年8月5日

作詞:松本隆

作曲:大瀧詠一

(Wikipediaより)

 元々は細野・松本が所属していた"バーンズ"の曲だったが、没にされたため後に「はっぴいえんど」の処女作となった。PS2・PSP用ソフト『ぼくのなつやすみ2』では挿入歌として使用されている。

 

 

 楽曲形式は次の通り。

intro-A-B-サビ-間奏-A-B-サビ-outro

 とてもシンプルな形式。ロックとはなんぞやという話は詳しい人に任せる。

 

 

  イントロ

 

 イントロはディストーション抑えめのエレクトリックギターが気ままなメロディを奏でる。

 

 

  Aメロ

 

 Aメロは2小節フレーズを4回繰り返す。フレーズは小節頭から始まり、シンコペーションのリズムでどこか掴みどころのないメロディである。音型は大きな山型で例えれば深呼吸するような感じである。この部分は短調で、雨の降る薄暗い様子が表現されている。

 

 

  Bメロ

 

 Bメロは4小節+2小節から構成されている。フレーズはシンコペーションの部分もあるが、各小節頭はメロディがある。メジャーコードが現れAメロで降っていた雨が止んだことを示唆している。

 

 

  サビ

 

 サビは6小節で構成されている。メロディは2小節かけて最高音まで上行したあと、中音域で下行する。この4小節でワンフレーズだが、後半2小節がエコーのように繰り返される。長調で推移するので、決して落ち込むことなく淡々と歌われる。

 

 

  間奏

 

 間奏もイントロと同じようにエレクトリックギターが気ままなメロディを演奏する。

 

 

  アウトロ

 

 アウトロはイントロ、間奏と同じようにエレクトリックギターが主となる。終止同じコードで演奏されていて、長い長い余韻のような感じがする。楽曲の最後のコードは変な解決で終わる。

 

 

 

  歌詞

 

 この楽曲は短い上にBメロとサビが全く同じ歌詞である。情報は極端に少ないが、そのイマジネーションを掻き立てるワードの羅列は、まだ若き松本隆の才能の片鱗を見ることができる。

 

 

雨に憑かれた人

 音で聞くと<雨に疲れた人>なんて勘違いするかもしれないが正確にはこっちの表記である。現代人において雨は生活の全てに影響する。洗濯物や電車の心配、傘があるかどうかの確認までしなくてはいけない。外での活動も変更を余儀なくされる。雨がふると人間は色々なことを考えなくてはいけない。それこそ雨に<憑かれる>状態だ。心情は一切書かれていないが、<雨に憑かれた人>というだけでいくつもの感情が読み取れる。

 

 

凍てついた空を街翳が縁取る

 「街翳」という言葉はこの楽曲か氷室京介の《魂を抱いてくれ》ぐらいでしか聞かない。と思ったらあっちも松本隆であった。松本隆にとって街翳とは何なのか。

 

 そもそも辞書的に「翳」とは陽の当たらない部分を指すようである。

 

 さて、今回の曲ではないが『魂を抱いてくれ』の歌詞を引用すると「雨粒の中 街翳が回る」という男女の朝のシーンである。2人の熱い愛の余韻と対象的に、薄暗い街並みが雨粒に反射している様子が描かれている。ここでの街翳という背景は愛を際立たせるには十分だが、そのままではジメジメしている。そこで松本隆は雨粒に反射された街翳を間接的に描写することで重苦しさを和らげたのである。

 今回の楽曲では<凍てついた空>に対して街翳が出てくる。「縁取る」という表現から今回は「翳」というより「街並み」を指しているのではないだろうか。12月のピンと張ったような寒さの中で空は街並みの姿によってデコボコに縁取られている。その景色の中で街並みは脇役の「額縁」、主役は空なのだろう。そう考えると途端に街は背景として黒く塗りつぶされてしまう。これでは「街並」というありきたりな言葉では相応しくない。そこであらわらるのが「街翳」である。「凍てついた空」には人々の辛さや苦しさ、やるせなさなどが映されている。それを引き立たせるのが「街翳」という言葉である。

 

 

風がふいに立る

 雨上がりに風がふいに立る。何かが始まるのではないかと予感させる歌詞である。雨に憑かれた人々がその呪縛から解放され、街並みには変化が訪れる。そんなドキドキ感がある。

 

 

ぼくは見ている

 この楽曲では何も解決しない。風が立ってドキドキしたのに何もない。物語性もほとんどない。聴衆は「ぼく」と同じくただ傍観者である。それがこの楽曲の醍醐味であり、それを味わうのだ。

 12月の雨の日。人々の鬱屈とした空気が漂っていた。そして雨が止んだとき、人々は前を向いて自らの道を歩んでいく。それは人波となってあらゆる方向へ流れていった。そこにぼくは混じらない。ぼくは見ているだけだ。何かを変えようとか、どこかに行こうとか、誰かに伝えようとか、どうかしようとか、全部ない。12月の雨の日。ぼくは見ているだけだ。

 

 

 

 バンド「はっぴいえんど」のことを知るきっかけになったのは豊崎愛生さんでした。推しというのは人生を左右しますね。もともと大瀧詠一さんの音楽は大好きでしたので、『12月の雨の日』も似たようなフィーリングを感じていいですね。ちなみに古に存在した日本語ロック論争とかロック・フォーク・歌謡曲の勢力図やら関係図はよくわかりません。