ただ静かに。 | borderless fingerboard

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message from Y.O.U.

言葉は要らない、音楽から全てを感じ取ってくれと格好付けて言ってみても、僕らは言語を操る生き物で、音楽だけで全ての意思伝達をしようとしたところで歌に乗せる必要はあるわけで、そうなったら世の中常時ミュージカル。
回りくどいわけですよ。
いちいち歌っていられない。
ましてや文章となると音なんか伴わない。

というわけで、東日本に住まう人なら多かれ少なかれ思うところがあるであろう今日という日に、記憶を想いを願いを風化させないために、僕は文を綴ろうと思うのです。

震災当時はまだ音楽学校の講師なんていう大層な立場ではなくて、僕は派手な頭髪を隠すためにカツラを着用しながらコンビニエンスストアでお客様相手に笑顔振りまくロボットだったわけです。
純粋に他意なく「あぁ、今日世界が終わるのか、ノストラダムスの預言は誤差が11年と8ヶ月」なんてことを本気で考えたわけですが、世界どころか日本も終わらず今日で丸6年。
結果的に、個人規模では終末を予感した規模の天災も地球レベルで考えれば蚊に刺された程度で、ということは本当に世界が終わるレベルの災害なんて個人には知覚も出来ないに違いない、と意味不明な安心感を抱くまでになりました。

それでも実際に被災した我々にとっては甚大で。
「もう6年」と感じるのも「まだ6年」と感じるのも人それぞれでしょうけれど、どちらにせよ「もう大丈夫」にはほど遠い現実が沿岸地域を中心に広がっているのです。

この時期テレビから無神経に押し付けられる震災当時の映像は、まだまだ正視するには勇気が必要です。
直接的な被害がほとんどなかった僕ですらそうなのだから、当時住んでいた場所が沿岸地域に近ければ近いほど、そのトラウマはいや増すのではないでしょうか。

もう癒えたことにして想いに蓋をして平気な振りして騒ぐのも、まだまだダメージ全開な姿をさらけ出して大変さを世間にアピールして共感募るのも、どちらも大切な対処法だしどちらも間違ってはいないけれど。

僕にはそこまで積極的に他者に働きかける意欲が湧かない。
このブログだって、主目的は自分の思考の整理です。
積極的に何をしたいわけでも、何をしてほしいわけでもなく。
ただ忘れたくない、忘れないでほしい。
そんな想いだけが内在しているような気がします。

いつか、本当に傷が癒えて誰もが笑って過ごせる日が来たら。

そうしたら、喜びの歌を作ろう。
大変なことがあったけどみんなで乗り越えたね、という賞賛の歌。

それまでは、毎年この鎮魂歌に想いを込めます。

前を向いて頑張ろう、でも俺たちは負けない、でもなく。
ただ静かに黙祷のように。