この『お義父さん』、語りの形式は「僕」による一人称、嫁の父に対する感謝の気持ちがバラードの調べとともに奏でられる、いかにもな感動モノと目されているらしい。メロディやコード進行うんぬんに関して、おれは楽曲制作の専門家ではないので、そこのところの評価は保留するとして、ここではあくまで歌詞テクストに着目し、短いながらその所感を述べてみようと思う。
簡単にいうと、そのテクストのキモとなる女性主体が不在のまま、つまり「娘」の本心が最後までテクストに書かれぬまま、「僕」による——その人称表現とは裏腹に——「あなたの娘をらって」だの、「僕にくれてありがとう」だの、お前はいつの時代に生きているのだ、と言いたくなるような時代錯誤な語りに、正直ゾッときた。作者はモノローグという形式のアイロニカルな性質を知るべきであろう。ところで、かかるマッチョイズムに涙して狂喜する奴隷的女性が果たして現代日本に未だ存在しているのだろうかと訝しむが、きっといるのだろうな。
他にも気になった点はある。嫁の父親の前で娘の「不在」をいいことに、「天然ボケ」と罵倒したと思うや否や、やおらに彼女のハズカシエピソードをチクりだす、あの部分。これを踏まえると、そのエピソードの直後に語られる「我が家は何があってもいつも元気でいられます…(略)…あなたの遺伝でしょうか?…(略)…ありがとうございます」という一節も、アホ嫁と、その嫁を捨てて逃げたロクデナシ義父に対する婿からのイヤミに聞こえなくもない。そう、これは婿が義父に向かってロクデナシと罵倒する歌詞なのである。
まあ、こんなつらつらと述べてみたがぶっちゃけこの程度の歌詞にさほど興味はない。興味はないが、この歌詞テクストにあらわれるねっとりしたミソジニーは、言うなれば渡部直己的な(もとい大西巨人的な)『俗情との結託』において、多分にグロテスクな暴力性を孕んでくる。つまり、かかる「女性差別」が情緒感タップリのメロディに巧妙に隠蔽され、いかにも穏やかな表情を浮かべて手招きしてくる恐ろしさよ!