「おいっ!こっちだ!」
「まだ子供じゃないか」
浜辺に倒れている子供を大人達は抱きかかえると、急いで村へと向かった。
「ニルさん!ニルさん!」
一件のあばら家に着くと、主を探した。
「どうした、朝早くから…」
「子供が浜辺に打ち上げられていて…まだ息は有ります。早く手当を」
ボロボロの衣服を着たニルと呼ばれた老人は、子供を診た。
「酷い火傷だな…」
「助かりますか?」
「大丈夫だ。火傷は古い傷跡だ。今は気を失っているだけだ」
見つけた大人達はホッと胸を撫でおろした。
「それは?」
「この子が持っていたカバンです」
海水に濡れたカバンだ。
「この子が気が付くまで、そばにいてやれ」
「え?ニルさん、どこか行くんですか?」
「散歩」
そう言うと、老人は家を出て行った。
「…」
老人は、浜辺に残った大人達の足跡を見て歩いた。
「ここか…」
少年が打ち上げられていた場所。老人はそこに座ると、静かに目を閉じた。
「おっ気が付いたぞ!」
老人が出て、一時ほど経った頃。少年は目を覚ました。
「大丈夫か?」
「…」
少年は、うっすらと目を開け、しばらく自分を覗き込む大人達の顔を見ていた。
「おい、何とか言えよ」
「どうした?腹が減って、声が出ないとか?」
「…」
「おい」
「無理だよ」
振り向くと老人が戻ってきていた。
「異国の者だ。我々の言葉が分からないのだろう」
老人は、いくつかの言葉を話してみた。が、少年は困惑した表情でずっと首を傾げている。
「これでも無いか…」
十以上の言葉を話してみたが、老人も困り果ててしまった。
「どこの子か分からんが、腹は減ってるんじゃないか?」
そう言って、大人がパンを差し出した。少年は、礼を言ったのか。パンを食べ始めた。
「…知らない言葉だ…」
ニルの言葉に他の大人達は困ってしまった。
「それじゃぁ、名前も聞き出せないかな…」
パンを頬張る子に、大人達はため息をついた。老人は、少年の前にグイッと身を乗り出した。
「ニル。私はニルだ」
老人は自分を指しながら言った。
「私はサイ。サイだ」
「俺はコヨウ。コ、ヨ、ウ」
他の二人も自分を指しながら伝えた。
「ニル。サイ。コヨウ」
「そうだ!そうだ!」
少年は大人達が何をしたいのか察したらしい。少年は自分を指した。
「カーン」
大人達は笑顔になった。
「カーンって言うのか!そうか!カーンか!」
「カーン、お前のカバンだ」
まだ乾いていないカバンをサイが差し出した。カーンは、静かに受け取ると中身を確認した。と言っても、中に入っていたのは茶色の牛革の本だけ。本もビショビショだ。
「乾かしておいで」
外の物干し竿を指さすと意味が伝わったようで、カーンはそこにカバンを引っ掛けた。本も乾かそうと傍に有った椅子に中を開くようにして置いた。
「これからどうする?」
「ニルさん、どうして異国の子だって分かったんですか?」
「海が教えてくれた。どこかの川で流されて、ここまで来たんだ」
海で瞑想をしていた時、濁流のイメージが入ってきた。
「怖かっただろうな…」
「今の方が怖いかもしれないぜ。知らない場所で、知らない人間、通じない言葉…想像しただけで俺は怖いよ」
カーンは、しばらく周りを見渡していたが、こちらに背を向けたまま、空を見上げた。
「………」
ニルは、外に出てくると地面に落ちていた細い木の枝を拾った。
「ニルさん?」
サイの声に、カーンは振り向いた。見ると、ニルは地面に『63』と書いた。
「私は63歳だ」
ニルが木の枝をカーンに渡すと、カーンも地面に書いた。
『15』
「そうか、お前は15歳か」
老人は嬉しそうに少年の頭を撫でた。
「安心しなさい。私が面倒を見る」
サイとコヨウは目を見合わせた。
「こんなあばら家で?」
「どんな場所でも人一人ぐらい面倒は見れる」
「そうだろうけど…」
二人は不憫に思ってしまった。
「お前達が面倒を見るのか?お前達は子供が多いだろう」
「う―――ん」
「それに、ここに居れば言葉を教えられる」
言葉を覚えられれば、どこの国から来たのかいつか話せるかもしれない。
「大丈夫だ」
老人は、またカーンの頭を撫でた。優しい眼差しにカーンは笑顔を見せた。
数か月後。小さな子供達が浜辺へ駆けてきた。子供達の顔は、キラキラと輝いている。目を輝かせ、視線を送る沖にポコッと黒い影が見えた。
「カーン!」
黒い影は、海から顔を出したカーンだった。カーンは海の中から手を振った。子供達は嬉しそうに手を振った。海に漂うカーンの傍に小舟が来ると、カーンはその舟に乗った。サイの息子サネが舟を漕ぐ。サイとサネは、獲れた魚をカゴいっぱいに抱えて舟から降りた。
「おかえり!」
「おかえりなさい!」
サイは子供達の頭を撫でた。子供達はカーンが舟から降りると、楽しそうに取り囲んだ。
「おい」
サネは怪訝な顔をして子供達を制止しようとしたが、言う事を聞かない。
「カーン!おんぶ!おんぶ!」
「おぉ、ちょっと待ってな」
そう言うのも聞かず、一人が舟の上からカーンの背中に飛びついた。
「おおおおおっ」
思わずカーンはふらついたが、なんとか踏ん張った。
「あぶねぇあぶねぇ」
「きゃははははっ!」
背中の子は、本当に楽しそうに笑っている。
「カーン、怒って良いんだぞ」
サネの言葉にもカーンはニコニコするだけだ。
「ぶらーんしてー」
「わたしもー!ぶらーんしてー」
子供二人が、両脇でスタンバイしている。カーンは一度、背中の子のポジションを直すと、少し屈んで両腕を突き出した。子供達は、その腕に掴む。
「よし!走るからしっかり掴まってろよ!」
そう言うと、カーンはパッと立ち上がり、二人の子を両腕にぶら下げて走り始めた。背中の子は、一生懸命背中にしがみ付いている。
「きゃぁぁぁぁ」
「きゃはははははははは!」
「すごいすごーーーい!」
子供達は大喜びだ。
「はぁ…すごい体力だな…」
サイとサネは呆れながらカゴを持つと、カーンを追いかけた。
「はぁ…疲れた…もう終わり」
カーンはしばらく走るとへたり込んだ。
「えぇぇぇ~もっとーもっとやってー」
「もうやめろ!そんなわがままばっかり言ってると、明日から遊んでもらえないぞ」
サネの言葉に、子供達はしぶしぶ黙った。カーンは大きく肩で息をしていた。
「まぁまぁ、ごめんなさいね。大丈夫?」
サイの妻が、慌てた様子で現れた。
「だ…大丈夫です。ちょっと苦しくなっちゃって」
カーンは首を摩った。
「サタ。まさか、ネックレスを引っ張ったの?」
母の言葉に、背中にいた子はビクッとした。
「本当にごめんなさい!サタ!謝りなさい!カーン死んじゃうところだったのよ!」
サタは顔を背けて、なかなか謝らない。
「カーン、苦しかったって!謝りなさい!」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃありません!これは教育です!サタ!」
サタは逃げて行った。
「甘やかす事ばかりが良い事だとは思わないぞ」
サネはそう言いながら、獲ってきた魚を開いていた。腹を切り、内臓を取り出す。そして、水で洗い、日干しの網の上に置いていく。
「さっきだって下手したらケガしたかもしれない。危ない事は危ないって教えないといけないんだ」
「…ごめん」
カーンは謝った。
「…俺はこんなに甘えたくても甘えられなかったから…叶えてあげたいって思っちゃうんだ」
「なんて国だったけ?」
「グリアって国だよ」
サイもその妻も、サネもため息をついた。
「早くニルさんが戻ってくると良いわね」
ニルは、グリア国の事を知っている人が居るかもしれないと、十日ほど前に出掛けて行ったっきりだ。
「さ、仕事だ、仕事!」
その夜。カーンは夢で魘されていた。
「やめろ…やめろ…やめっ!!」
パッと目を覚ました。息が荒い。嫌な汗でびっしょりだ。
「はぁ…」
カーンはあばら家から出ると、風にあたろうと浜辺へ出て行った。
「はぁ…」
カーンは浜辺に寝そべると、眼前に広がる星の海を眺めた。
「っ!流れ星!っ!また!…すごいな…」
じっと夜空の星々を眺める。
「吸い込まれそうだ…」
どこまでも深そうな星の海、ザザッと聞こえる波の音。カーンは、すっかり落ち着きを取り戻し、ウトウトし始めた。
「やば…これ…寝る…」
さざ波を聞きながら、強い睡魔に逆らえず目を瞑った。
『やーい!やーい!』
真っ暗な中、聞こえてくる子供達の声。
『やーい!化け物の子ー魔物の子ー』
『ちがうよ!!やめろ!!』
そこに居たのは、周りの子にいじめられている幼い自分だった。
『違うもんかー化け物の子ー魔物の子ー』
『やめろ!やめろ!』
『やーい!国中の嫌われ者ー』
「やめてくれっっっ!!!!!」
カーンが耳を塞ぎ叫ぶと、子供達の姿は消えた。代わりに、大泣きしている幼い自分がそこに残っていた。
『えええ~ん、ちがうもん!パパは化け物じゃないもん、魔物じゃないもん。えええ~ん』
カーンは居たたまれなくなって、幼い自分を抱きしめた。
「あぁ、違うよ。親父は化け物じゃない。魔物じゃない」
幼子は大泣きしたままだ。
「君は、化け物の子じゃない!魔物の子じゃない!嫌われ者なんかじゃないっっっ!!」
幼子を強く抱きしめながら、大きな声で言った。子供は少しずつ泣き止みはじめた。
『本当に?僕、嫌われていない?』
「嫌われてない!親父もリドーもジャスも君の事が大好きだ!」
『お兄ちゃんは?僕の事、好き?』
「大好きだよ!!」
強く言うと、子供は笑顔を見せた。
『でもさ…なんで、お兄ちゃんは一人なの?』
「え?」
『なんで、みんなは迎えに来てくれないの?』
「っ!」
カーンは答えに詰まった。
『ねぇ?どうして?やっぱり、みんなに嫌われているの?』
「違う…そんな事ないよ…」
『じゃぁどうして?どうしてなの?』
子供に聞かれる分、深い沼に引きずり込まれるようだ。
「それは、君がここに居る事をみんなが知らないからだよ」
深い沼に飲み込まれそうになった時、一人の杖を突いた人物が背後から現れた。
「例えば、君が大事な物を部屋の中で見失ってしまったとする。君はどうする?」
人物の顔はよく見えない。暗い闇の中、マントを着ているようだが、その顔は輝いているのかはっきりと見えない。
『…一生懸命、探す』
「そうだよね。今、お兄ちゃんは独りぼっちかもしれない。でも、みんなの大事な大事な存在だ。だから、みんな必死で探しているよ」
『そうなの?』
「そうだよ。一生懸命探していたら、大事な物は見つかるよね。だから、必ずみんな見つけ出してくれるよ」
『…そっか』
「そうだよ。安心したかい?」
『うん!』
幼い子供は笑顔を見せると、シュワシュワと泡がはじける様に消えていった。
「絶対、みんなのところに帰れるよ」
気付くと、杖の人物は、カーンの頭を撫でていた。
「!!」
カーンは浜辺で目が覚めた。目じりから耳の方に涙が通り濡れていた。
『絶対、みんなのところに帰れるよ』
夢とは思えないほど、はっきりと頭を撫でられた感覚が頭に残っていた。
「そんなところで何してるんだ?」
顔を上げるとサネが空のカゴを持って立っていた。
「…え?朝?」
朝日が地平線から顔を出すのを今か今かと待っている。
「え?っ!ちょっ!カーン!!」
バタリと倒れたカーンにサネは驚いた。
「ハックション!!」
「…風邪。だな」
家に運ばれ、薄い布団の中に潜る。
「うう…わりぃ…」
「浜辺で寝るかねぇ」
そりゃ風邪ひくわ。とサネは笑った。
「なんで笑うんだよ」
「…間抜けだな…って思って。普通、夜の浜辺で寝るか?」
サネは遠慮無しに笑った。
「安心した」
「?」
サネの意図が分からない。
「お前でも泣く事有るんだな」
「…なんだよ…それ」
「いっつも笑ってるからさ。こいつ、どんだけ強いんだろうって思ってたんだよ」
カーンは何も言わない。
「だから安心した」
「…お前もそんな顔するんだな…」
「へ?」
サネは首を傾げた。
「サタ達にも、その優しい顔見せてやれよ」
「なっ!や、さ…しくなんてない!」
サネはパコッとカーンの頭を叩いた。
「しっかり寝てろ!」
そう言うと、部屋から出ていった。
「お前達、今日はカーンを寝かせてやれ。起こすなよ」
「えぇ」
「カーンが元気になったら、また遊んでもらいましょうね」
子供達は、残念そうにカーンの家から離れて行った。
浜辺で遊ぶ子供達の声を聞きながら、また睡魔に襲われた。
『火傷の跡は一生残る。右目も右耳も治る見込みも…残念だが…無い』
オーガスは残念そうに言うと、丁寧に右顔に包帯を巻き始めた。
『そんな顔すんなよ。片目が見えなくても、もう片方で見れば良い。片耳が聞こえない分、もう片耳で聞けばいい。それだけだの事だろう?』
『………』
『俺は、こうして生きている。それでいい』
『そうか…』
オーガスは少し笑顔を見せながら、包帯を巻き終わった。
『そうだ。俺は生きてる。それだけで十分だ』
カーンはベッドの上に居た。
『本当に?』
ベッド横の鏡から問いかけられた。
『本当に?こんな顔なのに?』
鏡は、火傷の跡が大きくある顔を見せた。
『一生残るんだぞ』
『………』
カーンは険しい顔でジッと鏡を見つめている。
『いつかは、顔の跡が小さくなると思うか?』
カーンはまだ黙って見ている。
『逆だ…傷跡はどんどん広がっていく』
鏡の中の自分の顔は、どんどん火傷の跡が広がっていく。
『火傷はやがて全身を蝕んでいく』
「お前は何者だ」
やっとカーンが口を開いた。
「何が目的だ」
『俺は真実を見せてるんだ』
「いや、違う。お前は偽りだ」
『………』
今度は鏡が黙った。
「何がしたい。俺を怖がらせたいか?それが目的か?」
鏡の中の自分はニヤリと笑った。
「俺は、お前なんかに負けない」
鏡の中の自分は更にニヤニヤとした。
「負けない。か」
背後から声が聞こえた。振り向くと、またマントの人物が立っていた。
「あなたは…」
マントはシッと口の前に指を立てた。
「こいつは、君に恐怖を植え付けたいんだ」
『………』
鏡の中のカーンは、マントを睨みつけている。マントは、カーンの方を向いた。
「君は、こいつの術中にハマりかけている」
「え?」
「不安を無理やり押し殺そうとしても、こいつには勝てない」
マントはカーンの背後に来ると、カーンの肩に手を置いた。
「大丈夫。私がいる」
カーンは、顔を上げて、鏡を見た。
『そうだ。俺を見ろ。これがお前の姿だ』
「………」
カーンは黙って見ている。
「彼は、君の中の不安を深く根付かせようとしている。だけどけっして、その不安を押し殺そうとしてはいけない」
「…どうすれば良いんですか?」
「自分の中に少しでも不安が有ったことを認めなさい」
カーンは驚いて、振り向いた。
「何も恥ずかしい事でも悪い事でもない。みな、何かしらの不安や罪悪感を持っている。それを悪い物や汚い物、恥ずかしい物だと多くの者が考えている。だから、押し殺そうとしたり目を反らしたり隠したりする。それでは、何の解決にもならない。それは逃げだ。つまり負けだ」
「では、どうしたら…」
「さっきも言っただろう。認める事だ」
カーンは、再び鏡を見た。
「認める…」
認めろと言われても、どうすれば良いのか分からない。カーンは、また黙ったままジッと鏡の中の自分を見つめた。顔全体に広がった傷跡。見るに堪えらない痛々しい姿。見えなくなっていく視界。何も見えず、何も聞こえない。
「そうだ…俺は…怖い…」
周りから人が居なくなるんじゃないかと、怖い。傷跡を理由にされるかもしれない。両目が見えなくなったら。両耳が聞こえなくなったら。どこに誰が居るのか…誰か居てくれるのだろうか?そんな不安が、押し寄せてくる。
「そうだ…俺は、怖い。でも…俺は、みんなを信じている。そんな理由で、俺を嫌うようなやつは居ない。俺は、そんな風に嫌われるような人間じゃない。みんなを信じている俺自身を自分の強さを俺は信じている!それが、真実だ!」
気が付くと、鏡は消えていた。ポンポンと頭を撫でられた。
「それで良い」
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