3歳の頃から「さっかさんになる!」と叫んでいたらしい。

みんな3歳児がいう「さっか」を「作家」に変換できずサッカー選手になるのが夢だと思われていた。ギャップがすごすぎる。

そんな私も26歳。やっと作家、というか脚本家としての仕事をもらってシナリオを書く日々を送っている。まさか映像作家になるとは思っていなかったが。

そんなに書くことが好きで書くことに憧れていたなら楽しくてしょうがないだろうと思うだろう。

好きなことを仕事にすると、びっくりするくらい苦しい。

昔さくらももこがエッセイで「モノを書いている時はラクな気持ちになれるのでそれが仕事でよかった」と書いていて、自分もそうなんじゃないかと思っていた。実際この文章を書いているのは楽しい。ラクな気持ちになれる。でも仕事で文章を書くのはまた違う。大きく分けて3つ理由がある。

1 お金をもらっているから
2 自分の好きなこと以外も書く必要があるから
3 好きなことだから

1の「お金をもらっているから」がほぼ全部に通ずる。
お金を貰ってモノを書けたらどんなに幸せだろうと思っていたし実際やりがいはすごくある。ただそのぶんプレッシャーが半端ではない。これは視聴者を楽しませるクオリティになっているのかと常に頭を悩ませる。何度も何度もセリフを推敲していくと、これって面白いのかな?何が伝えたかったんだっけ?などと混乱してくる。でも仕事である以上絶対にクオリティを落とすわけにはいかない。でも毎回毎回ヒットを飛ばせるほどの引き出しは残念ながらまだない。なのでリサーチをする必要がある。ネットの海やいろんな本や漫画からネタを引っ張り出して自分流にアレンジを加えるのだ。五分のお話を考えるのにも膨大な知識が必要で、それが長くなればなるほど積み重なっていく。公の場に出すものを書くのだから、嘘は書けない。ネットの記事の信憑性をいちいち確かめる必要がある。
誠実にやっていても面白いかどうかは見る人が判断するのだから、こちらはなるべく時間をかけて練り続けなくてはいけない。正解が見えない問いを繰り返し自分に対して投げかける。これでお金を取ってもいいくらいにこれは面白いのか、と。
また、仕事なので当然締め切りがある。
締め切りによるプレッシャーは私の心を嫌というほど締め付ける。仕事を発注した人や制作に関わる人が締め切りを破ることによって多大な迷惑を被るのだ。自分のペースや生活、例えば旅行に行きたいとか、映画を観たいとか、そういう時間の使い方ができない。締め切りが決まった瞬間、締め切りベースの時間の使い方になる。作品を提出するまでは全てを投げうってでもそれに時間を使うべきだと頭では分かっていても人間なのでできない時もある。そういうときはひどく自己嫌悪に陥る。

2の「自分の書きたいこと以外も書く必要があるから」というのは仕事なら当たり前のことで、本来なら嘆くようなことではない。今のところ書きたくないものを無理して書くようなことはしていないが、一緒に仕事をしている人が私と真逆の思想を持っていた場合、私が「面白くない」とか「おかしい」と思うことも書かなくてはならない。それが嫌ならしっかりと理屈を立てて「この内容は書けません」と言う必要があるが、それをできるほど理屈を並べられる能力がまだない。戦うのに武器が足りない。
また、自主制作の場合は自分でテーマを決めてキャラクターを決め、お話を決め、ということができるが発注されたものを書く形式ではそうもいかない。全然知らない分野のことを書くときは膨大なリサーチが必要となる。

3の「好きなことだから」は非常に根本的な話で、好きなことじゃなければできなくても自分に言い訳できることが、好きであるために言い訳できないという話である。
好きじゃないことなら「まあ今日はこれくらいの頑張りでいっか☆明日の自分が頑張ってくれるっしょ☆」と思えるのかもしれないが、自分が人生かけてでもやりたいことだと自分に誓っているのだから、些細な手抜きが全て自分への裏切りになる。それに自分なりのプライドを大前提として持っているので、がんばったのにできなかったときの自分に対する失望が半端ない。若干話が逸れるが私は自分の作品や自分の成果を卑下するのが大嫌いだ。全て言い訳に聞こえる。じゃあ表に出すなよ、と思う。100点じゃないんです、これ美味しくないんです、と言いながら誰かに差し出すなんて失礼だと思う。
私は自分自身のことは卑下しても自分の作品は卑下しない、卑下しなきゃいけないような作品は作らないと魂と契約している。
それに、比べるのも本当は辛い。好きなことをやっているとどうしても人と比べる。周りの同年代と比べて自分はどのくらいの位置にいるのかとか、前の自分より成長できているのかとか。天才じゃないからこんなことを考えるんだと思う。天才と呼ばれる人たちはきっと、楽しい楽しいと思って続けて、いつのまにかすごいものを作っているんだ。多分そういう人たちは一定数いて、残念ながら私はそうじゃない。だからこうやって悩みながらも続けるしかないんだと思う。悩みだすと、本当に好きなのだろうか?他のことの方が向いているのでは?莫大な時間と労力をかけて無駄な努力をしているのでは?と答えのない問が頭の中を駆け巡って落ち込む。でも落ち込みながらも続けるしかない。まだ描きたいものがそこら中にあるんだから。

などつらつらと好きなことを仕事にして間もない私の体験を話してみたが、なので好きなことを仕事にすべきではないという話になるのかというと全くそうではなく、好きなことを仕事にできて幸福だなあという話にこれからうつる。

まず1の「お金をもらっているから」については、願ったり叶ったりというところである。お話を考えて書くことが好きなのだから、誰からも何も言われなくても、一銭ももらえなくても何かしらは常に書いていたい。クオリティを上げる作業はいつも辛いが、書けるだけで幸せなのだ。それにお金までもらえるなんてなんて幸せなのだろう…と思っている。それにお金をもらって書くというのは自分で好き勝手書くのと違って責任が大いに伴う。モチベーションが全然違うので、途中まで書いたけど結局仕上げられませんでしたということがない。これが自分の成長にとってどれだけありがたいことか。
また、当たり前のこととして締め切りがないと人は書かない。絶対に書かないと断言できる。しかも自分で設定した締め切りだったとしたら絶対に破るところを、人が設定した締め切りは絶対に守らなければならないという気持ちになってなんとか書くことができる。私は締め切りがなかったらこの数ヶ月パソコンを開いてすらいない可能性がある。私が毎日何かを書けたのは、1文字ぶんでも指を動かせたのは、絶対に締め切りがあったおかげだ。それくらい締め切りというのは偉大な発明なのだ。


2の「自分の書きたいこと以外も書く必要があるから」だが、これも一見枷になっているようで非常にいいことである。
自分1人では思いつくことのできなかったアイデアや着眼しなかったテーマが勝手にやってくる。結果、1人では書けなかった物語が、依頼を受けたことによりどんどん書けていく。それは誠に爽快で楽しいことである。

3の「好きなことだから」というのはもう明白すぎて説明のしようがない。何度悩んでも、セリフを書くことがどうしようもなく好きだし、それを演じてもらって映像になったものを見た時が一番うれしい。
初めて小説を書いて賞に投稿した小学生の時から今に至るまで書き続けているのにぜんぜん上手くならないのだから素質はない。ただ続けることも才能だ。努力し続ければなんとかなると信じて走っていくしかない。

というわけで、好きなことを仕事にするととても辛いが、私のような人間は好きなことからでも簡単に逃げてしまうので、好きなことを続けたければ仕事にしたほうがよい、という話でした。マジで何も書いてないとき、何も作ってない時の生きてるのか死んでるのかわからないような感じは心を締め付けてやまないので、書くことの辛さも含めて生きている実感を得るためには書き続けたいなあと思っています。

おわり