“識”について (2話)−nibiru−







識≒物事を見分ける力
識≒式

識で人は
空間や物質を
掌握する

自らの識を
高めていく事で
ヒーリングなどの
超常的現象は発動する



不安(恐怖)が及ぼす影響とは(可能性)

不安(恐怖)があなたから
創造力を奪い去る事に成功すると、
自動的に既知(過去)と同様の自分、
そして他者他物への認識が
ダウンロードされ、
今の自分に適用されます

既知の制約の範囲内で世界が展開されますので、あなたはその体験を繰り返す事に成ります




意識の世界での単純な認識と現実世界での複雑な理解

両者はそれを成す法則が自体が異なります


意識の世界での、
より単純でシンプルで
在り触れた言葉や存在

それの認識の更新は
現実世界での、
より複雑で難解で近寄り難い存在への
理解を可能とします




あなたが挑戦した事以外の事を

あなたは自身が挑戦した事以外の事をあれこれ逡巡し、決め付けては成りません
例えば医療や心についても
自身と自身の思考を最も信頼する事無く
欺瞞を学び
あるいは傲慢で悪意の在る指導者達によって、それらの多くは実際とはかけ離れ過度に難解な事なのだと信じられています




内成る神から生まれる意識(言葉)

意識の世界で矛盾は許可された存在です

神はあなた自身で在り
神はあなた以外で在る

「初めに言葉が在った」
言葉とは、言語を指すのでは無く、言葉に投影するモノで根源
つまり思考、意識の事で

内成る神より生まれた意識は、外成る神へと繋がる事で循環し再び内成る神へ還る事だと考察します



(意識が)循環する事でそれは保たれ、そのエネルギを増大させる事も可能と成ります

意識の世界に循環の図を描き、様々な事とその図を重ね合わせると大発見が在るかもです

認識の不在が、望まないことを断ち切る事や、望むことを活性化させる事の難しさを最も感じさせているからです




 願うなにかが叶わないのは

願うなにかが叶わないのは、条件の不足が理由に在ります
それを明らかにし、その充足を意識します
そうする事で意図的に"シンクロ(偶然性の一致)"を起こせ、叶う確率が飛躍的に向上します
その過程でエゴか愛かの迷いにも答えがでると思います
これを私達は"必要性の法則"と呼んでいます

裏を返せば、自身ではどうしようも無い病や現象などは必要性の法則が要らない場合が少なくないです
それらに"識"を使う事で、一般的に不可能と信じられている事で在ろうとそれらを望む方向へ導ける可能性は非常に高いと云う事です





 平凡なジエネルさんからのご返信

なるほどありがとうございます 不足に意識いきがちでした 
無理ポジは苦手ですが 意識をフラットにしてみようと思います 無理だよなぁとか何でわからんのかみたいな批判の気持ちになる事があるので
あちらからしたら自分もそう思ってるから合わせ鏡なのかなとも思います。

返信おわり






 肉親の体調不良の回復させた事が、世界の未知を知ってもらえるきっかけとなった

僕の親も「こいつ変な事ばかりしているなぁ」と僕が波動など研究している時にそう思っていたはずですが、在る日親の体調不具合を波動を操り難なく治した事で「この世界には未だ知らない事が沢山在る」を知ってもらえました
僕はその日が来るのをずっと狙っていました





 固定観念と表現の制約の打破

なぜなら、親は唯一の存在で在り、色々在りましたが人として好きで、それ相応の幸せの中で生きて欲しいと強く願っていたからです
しかし、人は固定観念に支配されそれが自身の主体性、表現を制約している事に中々氣が付きませんから、親と子のではなく僕が出来る事を表現しそれを知ってもらいました





もし、どうしても伝えたい事が大切な人に在るのならば力に成ります
一緒に頑張りましょう


【追記】
知らない事は不幸の根源だと私は考えています
ですので知ってもらう事への努力はしますが、その後は個人の選択を尊重します





 "必要性の法則"を満たすには

"必要性の法則"を満たすには時として大きな勇氣と覚悟を伴います
固定観念からの脱却、すなわち既存の自己を破壊するからです
もしその事に恐怖や不安を感じたとしても、痛みは存在しません
恐怖は幻想で欺瞞で在り、つまり実体が無いからです

実体無きモノは、自身に痛みを与えられません





 自己否定感の強さとそこからの考えられる影響について(可能性)

自己否定感が強いほど、今の自身を変える事に"否定"が生まれます

この混沌と矛盾による螺旋(ループ)により生まれ続けるエネルギが、恐怖(不安)を支持し続け維持します




 「知性」を得ることと自身の社会の立ち位置である「自由」とは相関性がある

知性と自由は相関しています

自由とは心の状態を現しますがそれは社会においての自身の立ち位置でも在ります

知性を得るには多くを知り、その一つ一つに在る様々な側面を知ろうとし、足元へと繋げる事です

答は既に足元に在った(既に示されていた)と理解した時、自由は既に示されていますので




 いつも意識している言葉


他人の行為を見るなかれ
自分のした事、しなかった事を観よ

(R3)

(R2)

(H30)


(H29)






 松果体を脱灰化して活性化する


松果体の脱灰化にはMSMを用いるのが最適解だと云うのが僕の見解ですのでその発信をしています

▶松果体の脱灰化の最適解→MSM

それ以外に発声法はかなり有効です

▶松果体の脱灰化に有効→ミムコ発声法


※MSMとミムコ発声法は後ほどご紹介します


補足①:松果体とは、第3の目と言われる脳の中にある長さ5~8mm、幅3~5mmの松ぼっくりの形に似た器官で、主要成分は珪素で出来ている。古代人はもっと松果体が大きかったとされる。現代人は生まれた時が大きくだんだん縮小傾向にある。
哲学者デカルトは、松果体を「魂のありか」と呼び、物質と精神が松果体を通じて相互作用するとした。
松果体は、究極的に最重要器官では無いかと考えられている。また、現代では退化または石灰化して機能する事の出来なくなっている受信器官では無いだろうかと考察されている。


補足②:松果体の脱灰化とは、レントゲンやCT画像にて松果体は石灰化を認めることがあるが、この石灰を取り除く事を脱灰化と云う。



MSM (石灰化した松果体の脱灰化に有効)


MSM(1000mg 120錠)

紹介コード
(紹介コードを記入すると割引が受けられますので下記をコピペしてどうぞ)
BAU9120





 ミムコ発声法


今、ふと思い立って検証していなかった
ミロクをカタカムナに変換した
"ミムコ"の意識レベルと
"ミロク"の意識レベルを
測ってみました

結果はミロクの方が圧倒的に高く、
しかしそれを発し脳内に音(おん)を
響かせる事による松果体の活性化の効果は
"ミムコ"が高いと云うことでした



▶ミロク→意識レベルが圧倒的に高い

▶ミムコ→松果体の活性化の効果が高い

"検証"と云いましたが一人での検証や試行回数が少ない検証はあくまでも仮定としての結果でそれで導き出された意識レベルの数値となります


補足:カタカムナとは





 松果体に意識を持っていく(留まる)

自分の松果体が活性化してるかは下記の図を見て、そこに意識を持っていってみてください
それでそこに意識が行けたら(留まったら)活性化しています
フォーカス出来なかったらミムコ発声をしばらくして再度意識を持っていってみてください







 ミムコ発声法と脳の反応の位置

僕の体感と数人からのレビューからの感想ですが
ミームーコーを
発声すると図の緑の側頭葉と耳位置に在る松果体を経由し、

"ミー"は水色で表す前頭葉
"ムー"はピンクの後頭葉
"コー"は黄色の頭頂葉に響いてくる感覚を得ます




発声後は活性化されてると思われます

"ミロク"をカタカムナ変換≒"ミムコ"






 ミムコ発声法追記

頭骨に響かせるようにミームーコーと発声します

ミムコでなくても頭骨(松果体)に響く音(おん)を探してそれを発声してもいいです

ただ、ミムコが一番効率よく響いてると思ったのでそれをおすすめしてます

発声後は身体や頭がスッキリします

※ミムコ発声法は、2019年記事になります
今後も再検証していく予定です


 

 念について

私の経験では怒りが強い人、僻みっぽくて利己的な者が、念(この場合は良くない現象を引き起こす力)を飛ばしやすいです
良い影響の念を飛ばせる者は修行者です

修行者とは宗派や形を問わず、自らとこの世界とはを問い続け、正しい道を求めている者と解釈しています

ちなみに私自身は在る儀式を経ないと人などに念が飛ばないようにプログラムして在るので、感情で意図しない事が起きないようしています



 頭は脳で顕在意識、心は太陽神経叢で潜在意識

頭と心は連動し、それが意識を形成していますが、頭とは発展させてゆくモノで、心は理解してゆく事でそれは拡大されてゆきます
頭は脳で、顕在意識
心は太陽神経叢、即ち潜在意識の事です

補足:太陽神経叢(たいようしんけいそう)とは、『神経細胞の集まり』のことで、わかりやすく言うと「みぞおちの辺り」。第3チャクラ。





 自身と同等か高い意識レベルのものに触れるよう心掛けましょう



最末法らしい世相に成って来ましたね
荒れ狂う乱氣流の中、自身の波を保ち高めるには

自身と同等か高い意識レベルのものに触れるよう心掛ける(波を理解する)

情報の取得 知識、意識の拡大は大切ですが、このような玉石混交の混沌とした場は逆に良くない影響を及ぼす可能性が在る事を留意しておく







 ①呼吸を意識する


呼吸は波に反応して重くなったり軽くなったりします
溜め息みたいに重くなったらそれは自身にとって良くない波です
その場合は"それ"から離れるか自身の意識を変え波を変換したり、波を整える対策をします

応用として、意識で実行命令を決める事で様々な波の測定も呼吸で出来ます


【良くない波の状態を改善する簡単な方法】

深呼吸して呼吸を整えます
その際に好きなものや愛するものをイメージします、呼吸が軽く成ったら完了です
好きな匂いをイメージするのも効果大です

↑これは意識の実行命令により、イメージしたものの波を自身にダウンロードし調整をしている状態です



 ②言霊のエネルギをダウンロードする


"愛しています"の言葉のエネルギを授かります繰り返し唱えるだけで効果抜群です
カタカムナを唱えるのも良いですね
他にも沢山在ります

※言霊=言葉自体が持つ周波数+過去にその言葉を発した者の精神エネルギの蓄積(全ての情報は量子上に記録されています)




 ③胸腺叩き


握りこぶしを握って胸板の中心を息を吐きながら数回叩きます
その際に愛するものなどをイメージしてその波をダウンロードします




 ④その他


・裸足で地面に触れアーシングする

・真菰を摂ったり触れたりする

身体の電氣の流れも波も整います
物質のアプローチは身体の違和感に特に効果的ですね




-簡単な波の整え方中級編-

 【お水に意識を入れる】

膨大な情報を記録できる媒体がお水です

一説ではスプーン一杯の水には数GB相当の情報を記録出来ると云います(僕がお空に確認したところ、数GBは無いそうで500MB以上1GB未満だと出ました
尚ミネラルウォーターより水道水がより記録可能で(続く)




 【お水に意識を入れる(リセット編)】

お水に記録されている情報をリセットするには30分ほど太陽光当てると良いみたいです



太陽光による情報リセットは石やオルゴナイトに施したプログラミングのリセットにも使われる技法なのでこれは間違いないと思います)

では、お水に意識(精神エネルギ)を入れる方法ですが簡単です(続く)



 【お水に意識を入れる(やり方)】

僕がやってる方法はペットボトル入れたお水を両手で握り軽く振りながら波を整える目的で在れば「肉体と心の波を整えて(浄化して)ください」みたいに念じ、その意識がお水に入るイメージをします(やり方は各々やりやすい方法で構いません)

そのお水を飲みます

これだけです(続く



 【お水に意識を入れる(応用編)】

そしてこの手法はあらゆる事に応用出来ます
頭痛や
吐き氣や
胃痛、
咳など
を鎮めるヒーリングにも極めて効果的で、お水と云う優秀な記録媒を仲介させる事でエネルギロスが少なく、肉体(人体の60~70%は水分)に速やかに浸透します

僕の実例で云うと咳と吐き氣に使いますが覿面に効果在ります(続く)




 【お水に意識を入れる(実例)】

アカシジアが発症した方にそれが治まるように意識を入れたお水を飲ませたら直後に治まり凄く驚いていました
なんでもアカシジアって抗不安薬とかを飲んで鎮めるみたいでそれも効くまでの数十分間は苦痛に耐えなければ成らなかったそうです
(続く)



 【お水に意識を入れる(後書)】

その他にもあがり症などにも効果在りますし応用次第で何にでも使えますのでこの"お水に意識を入れる技術"は身に着けておくと便利だと思います
意識の力に当然個人差が在りますが練習次第で在る一定のレベルには誰でもいけると思います(以上)

#四葉研究所



 【お水に意識を入れる(追記)】

咳が出たり、しゃっくりや痙攣や頭痛など身体が不調な時
ペットボトルやコップにお水を入れて
両手に持って例えば咳なら「咳よ静まーれ、咳よ止まーれ」みたいに念じて(意識)水に波動情報を書き込みます
それを一口飲みます





 【時間と云う概念の欠点を理解する】


未来は"未知"で在り
過去は"既知"と云う思考で
意識のフレームワークを構成し直す

既知の延長で未知は展開されるので
過去(既知)の体験を再度捉え直し、
そこからの新たな発見は経験の獲得と
直結するので、
未知≒未来に大きな影響を及ぼす

▶︎未来→未知
▶︎過去→既知
▶︎既知の捉え直し→新たな発見と経験の獲得→未知の未来への大きな影響






 既知は自分の工具箱の工具のようなもの

例えるなら
既知は工具で、
工具箱の中にプラスドライバーしか無ければ
(プラスドライバーしか知らなければ)
目の前に在る、
六角やスパナやヘキサゴンを使う
ネジで構成されている機器を分解出来る
と云う発想自体起きない未知(未来)が
確定的に展開されます






 体験の大きさが経験の多寡や性質に直結している訳ではない

人は体感的に、体験の大きさが経験の多寡や性質に直結していると勘違いしていますが、それはこの世界の全ては主観で展開されているゆえに、他者の経験は本質的に測り知ることは不可能で在り、それを体験の大きさや質や希少性で測ろうと自動的に処理するからです


体験≒事象自体
経験≒事象から得たこと(心のフレームワークと成る材料)
と定義しています


時間は目安として存在するような生き方が最も健康的だと思っている
時間は決して心を縛るものではない




以上


“識”について
−2話[完]−



お読みいただきありがとうございました


上記は、四葉研究所の代表でもあるnibiruちゃん(Twitter)のツイートまとめ集です

ツイートは進行形で発信しております

今後もツイートの原文をそのままに、追って追記させていただきますので、こちらのブログ版ツイートまとめ集の方もよろしくお願いいたします。


−nibiru−
四葉研究所代表・ダウザー・ヒーラー・”識”の研究者・オリジナル製品開発者


−四葉研究所−

環境に優しいモノづくり、身体に優しいモノづくりを研究しています🍀

研究の延長で販売もしておりますが、ブログのテーマは、生き方であり考え方であり生活の在り方の提案であり、多岐に渡りつぶやきのまとめを書いております。

気に入りましたら、またブログ読んでください。



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