最近 私は、自分に
ディスレクシアやディスグラフィアの傾向があったのではないか?
とブログに書いています。
いろいろな思い出はありますが
では実際に、どうやって乗り越えていったのか。
その点についてを、先に書こうと思います。
振り返ってみると・・・・・・・
やはりコツコツと続けてきた事。
結局、これが一番大切な事であり
一番の解決策だと思うのですが?
人より多く文字を読み、
人より多く文字を書く。
結果的に私は、55歳の今現在に至るまで
それを繰り返してきたのだと思います。
ただ 私は、少し珍しい環境で育ちました。
曾祖父、曾祖母、祖父、祖母、父、母、姉、私、弟。
9人家族で、一つ屋根の下で生活していました。
家族みんなが私の事を気にかけてくれていた。
とは思いますが、厳しく注意する人は誰もいませんでした。
とにかく、ゆったりとした環境だったのです。
そんな中で、祖母がよく私に言ってくれた言葉があります。
「まぁちゃん、おばあちゃんに手紙を書いてね。」
私はこの言葉を、そのまま素直に受け取り
毎日、毎日、祖母に手紙を書いて渡していました。
もちろん、文字はめちゃくちゃでした。
でも、不思議と絵は上手に描けていたので
祖母はとても喜んでくれました。
特に、花の絵は、心の底から喜んでくれました。
(※園芸が大好きな人だったのです。)
そして、祖父がよく言ってくれていた言葉もあります。
「新聞は、編集後記を必ず声に出して読みなさい。」
この言葉も、私はそのまま素直に受け取りました。
祖父は目が悪かったので
私は新聞の編集後記を、大きな声で読んであげていました。
ゆっくりと、時間をかけて読む私の声を
祖父はずっと、静かに聞いてくれていました。
そして、途中で分からない漢字が出てくると
その都度、優しく教えてくれていました。
「急がされる事」もなく、「違う」と否定される事もなく
ただ1つ1つを、丁寧に、ゆっくり、ゆっくり、時間を掛けて教えてくれる。
その時間こそが、私にとって
とても大きな学びの時間だったのだと思います。
その“待ってくれる時間”と、“最後まで教えてくれる安心感”。
この環境こそが、私にとって一番必要なものだったのだと思います。
私の両親は、曾祖父母と祖父母(4人の大人)に私の子育てをさせて
放任主義者だったと言う事ではありません。
お習字、ペン習字、そろばん、オルガン、ピアノ、英語塾、英会話、英数塾
さまざまな習い事をさせてくれました。
私は30年近くブログの中に、たくさんの塾の思い出話は書きました。
金銭面、送り迎え、とにかく大変だったと思います。
全部大失敗して・・・全部大迷惑を掛けて・・・
大体は・・・辞める事となりましたが(笑)(笑)(笑)
今思えば、親にしたら
「この子は、いろいろ大失敗するだろう。
でも、親として、出来る事は何でもさせてあげたい。」
そんな思いが必ずあったのだと思います。
正直、子供にとってはしんどい事も多かったのですが(笑)(笑)(笑)
それだけ “どうにか生きてゆける環境” を用意しようとしたのは
相当な愛と、相当なエネルギーがいる事だ!!って、思いました。
私も、親になってみて初めてわかったのですが
子供って、どうしても守りたくなるものです!!
「大失敗するだろう。」って分かっていながら、やらせるって
実は一番、勇気がいる事だって思うのです。
私が小学3年生の時の、「掛け算でつまずいた話」をする前に
その前の段階で、すでに私は、全ての学習につまずいていました。
小学1年生の時点で、もう、書字障害なのですから。
国語も、理科も、社会も、
どの教科でも「字」からは逃れられません。
分からない事はたくさんあり、先生への質問は いつも山積みでした。
それでも算数以外の教科書は、絵や写真が可愛らしくて
私の気分を、相当明るくしてくれました。
でも・・・算数の教科書だけは違いました。
算数の教科書には、どうしても親しみを持つ事ができなかったのです。
私は特に、数字の書き間違いが多く
それが原因で、どんどん理解が遅れていましたので
「算数」とか「さんすう」と言う文字の形すら嫌いになっていたのです。
そんな中、人生の転機が訪れます。
小学2年生のある日、私は、そろばんを習う事になったのです!!
きっかけは特別な物ではなく、よくある習い事の1つです。
その時の思い出は、何年か前にブログに書いています。
お時間がある方は、どうぞ~。
この習い事は、その後の理解を大きく変える出来事になりました。
本当に、突然、頭の中で、何かが繋がった瞬間でした。
「あっ」と思った次の瞬間 ――――――――
数字と言う概念の、すべてが一気に理解出来ました!!
頭の中が、一瞬で発光した感覚でした!!
全部、全部、全てが繋がってゆく!!
1に2を足すって、●に●●が加わって、●●●になる。
(注意●→そろばんの珠)
ああ、これが3なんだ
3は、●●●の事なんだ!!!!!
そんなふうに、数字が“形”として見えた瞬間でした。
そろばんの先生は、学校の先生より、時間に余裕がありました。
私の悩みを、長時間聞いて下さる。
先生は、数字でいろいろなお話を作って下さり
「大親友の物語」として教えてくれました。
1と9は大親友。2と8も大親友。
3と7は大親友であり、4と6は大親友。
5と5は双子で、大親友。
出会うと一緒になって10となり
隣の公園(隣の段)へ遊びに行ける。
まるで、階段をのぼるみたいに。
その時私は、数字がただの記号ではなく
動いて、繋がってゆけるって、初めて理解できた!!
と、書きたいと思いますが
それは、ほんの入口にすぎませんでした。(汗)
足し算は、少しずつ見えるようになったものの
掛け算は、まったく別の世界のままでした。
そして私は、3年生の掛け算で大きくつまずいたのです。
同じ「数」のはずなのに、まだ、どうしても、繋がらない。
掛け算理解への距離は、思っていたよりも、ずっと遠く、気が遠くなる道のり。
こうやって、一歩、一歩、ストーリーを組んだりして
ゆっくり教えて下さる先生や、自分自身の納得する心が必要。
私がそれを受け入れられるようになったのは
中学生になってからだったと思います。
私は、そろばんもダメダメな生徒であり(汗)
結局やめる事となりましたが(汗)
字を見て書く問題よりも、先生が読み上げた数字を
頭の中で計算する方が大得意でした。
目で追うと分からならくなるのに
耳から入ってくる数字は、何故か瞬間的に処理できる。
しかも、算盤を使わずに
空想の中の算盤で。(※暗算とは、そう言う授業です。)
「聞いて、頭の中の算盤を瞬時に動かす」
この感覚は、今でもうまく言葉に出来ませんが
かなり面白いものだと思っています。
紙に書いた瞬間、なぜか崩壊するのです。
結局、0点の日々は続くのです。
