水のこころ(白畑 寛隆教授)よりⅡ。 | ヨッチのブログ

水のこころ(白畑 寛隆教授)よりⅡ。


第2話 水のこころと世界

 いま、世界を見廻してみると親殺し、子殺し、兄弟殺しなどの異常な事件、汚職やいじめ、テロ、戦争などがあちこちで起こっており、調和のとれた世界とはとてもいいがたい状況にあるように思えます。多くの事件や戦争が人々の恨み、妬み、そねみや自分だけの利益を求める不自然な心で起こっているように思われます。また、人々の心に平安をもたらすべき宗教が原因で戦争が起こることもしばしばあります。大昔から、人は富の奪い合いをしてきました。頻発するテロも何百年と続く民族的な恨みが背景にあることも多いように思います。人間はこうしたみにくい争いから逃れられないものでしょうか。

 我が国には昔から「水に流す」という言葉があります。わだかまりを解くという意味に普通使いますが、もともとの意味は罪や穢れを水に託して祓うということからきていると言われています。さらさらと何の執着もなく、流れ来て、流れさる水を見ていると、この水のように様々な想い、金や名誉などへの執着から自由になりたいという気持ちが湧いてきます。

 私達の体の中を水は激しく動き回り、動く水は生きた水となって、細胞を活性化し、細胞に栄養を与え、老廃物を除去してくれます。水はしばらく人間の体内に留まり、人間としての生を歩みますが、やがて、外に出て、植物や他の動物の体内に入り、それぞれの生を生きます。また、あるときは、川や海の水となり、蒸発して雲をつくり、雨や雪を降らせます。このように水は一瞬も留まることなく、変化しながら、地球の血液としての働きをしてくれています。地球も鉄と水素からなる灼熱の核の周りを溶けた岩石であるマントルが循環し、その外側を冷えた岩石である地殻(地面)が覆い、その地殻も地震や火山活動などを起こしながら活発に活動をしています。こうした条件はまさに生き物の条件と同じであり、地球そのものも立派な生き物かもしれません。私達の体に魂という意識が宿っていると言われているように、地球そのものにも高度な意識が宿り、その地球意識は親としての暖かい大きな心ですべての動植物や無生物を育み、その成長を喜んでいるのかもしれません。小さな生物を大きな生物が食べ、その生物はより大きな強い生物に食べられるという食物連鎖の中で生物は生きています。食物連鎖を弱肉強食の原理と見る見方もありますが、より小さな生物が大きな生物に食べられることによって、より大きな働きができるように生まれ変わっていく姿であると見ることもできます。食物連鎖の法則の中で生きている動物は必要以上に餌となる動植物を殺しはしません。餌が亡くなれば自身も滅びるという自然法則をわきまえて節度をもって共に生きているように思えます。

 しかし、人間は科学技術を発達させ、便利な世界を造ってきた反面、節度を忘れて自然を破壊し、水、空気、土を汚した結果、不健康な体となり、また地球温暖化による様々な異常気象に苦しめられています。このままでは、人間はわがままなガン細胞として地球から排除されるかもしれません。水を擬人的に表現した場合、「水の心」とは素直な心ではないかと思います。今こそ、私達は水のもつ素直な心、和する心を取り戻し、互いの存在を認め、生かしあう愛和な共生の世界を築きあげていかなければならないのではないでしょうか。