念願の樂樂福神社ご参拝が叶いました。
十市県主今西家は、縄文時代後半(約4000年前)に纒向川と初瀬川に囲まれた磯城嶋において、出雲神を祀った先住氏族で、磯城邑しきむら(磯城、十市両郡地方)首長の磯城彦兄弟の弟磯城黒速(おとしきくろはや)の子孫であると伝わります(神武即位前紀戊午年9月戊辰条・古事記神武段)が、(弘仁六)815年に編纂された古代研究の基礎史料である新撰姓氏録において、十市県主と同族の中原系図に十市県主は、磯城県主から分れた旨を記載しています。
古事記においての第七代孝霊天皇皇后の十市県主の祖大目の娘細比売命(くわしひめのみこと)の表記名が、日本書紀では磯城県主大目の娘の細媛命と記されていることから十市県主は磯城県主と同一氏族であることが明らかです。
つづき