こんばんは(^^)

またもご無沙汰すみません。

昼と夜の寒暖の差もなくなり、陽気は初夏というか、梅雨というか…。

毎日汗を流して過ごす季節になってきました(^^;)


前回の濃ゆいコミニュケーションから時間が経ち、色々考えたりしながら、
私は毎日を生きています。


今は一つ大きな音楽の本番が近いので、そちらに集中しています。
上手くいかなかったら笑ってやってくださいまし。

そんな中でも瞑想(会)はいつも静寂、空、愛に満ちた心持ちのところに戻らせて
くれ、いつもリフレッシュして次への活力となっていくのです。


人はいつも何かを考え、そこに多少の疑問や不安、葛藤を感じながら生きている
ことが多いように思いますが、瞑想ではそこにキラッと閃くような
気付きをもたらしてくれます。

そう、内なる知性はいつもその人の中にあり、愛も、空も、本来誰でも持っているものなのです。

瞑想は本来自分が持っている豊かさを認め、自分を再び祝福するために、
とても有効です。それを思い出していく作業といっても良いのです。


自分を、物事を、固定した存在であると認識し、それを維持しようとする所から
ゆがみは生まれます。

全ての生命、物事、世界、宇宙は常に変化している。

なのに、人間だけが変わらない、などということがありえましょうか?

ちょっとそうはいかないですよね。


だから変化を、流れを信頼し、受け入れていくことが必要になってきます。


ネガティブな思考はそういう流れを呼び込みますが、
逆もまた然りです。

いつも豊かさの流れとともにあることを感じ、感謝する心持ちがわき起こるのです。


ネガティブな思考を解き放って行く際に、人の思考のクセは、気付きを得るために
常になんらかの結論を出そうとしたがります。

でもそれは、その瞬間、その時点で、そう感じているに過ぎないのであって、
結論ではないのです。

結論と感じる事はやはり、あらゆる事柄のあるがままを歪め、固定したものの見方に
引き込みやすくします。

変化を楽しめば、結論なんて必要なくなるんです。


自分の悩み、痛みを人に打ち明け、シェアすることは、
時として大きな勇気を必要とします。

それはいつも人が理解される事への渇望と、理解されなかった時の
絶望を併せ持っているからでしょう。


それをシェアし、分かち合い、解り合った時、人は無上の至福を体験するのかも
しれません。


ここで行われる瞑想会には、いつもそんなミラクルがあります。


痛みも悦びもあります。

涙もあります。

全ては解放され、人は晴れやかにここを後にします。


私も愛いっぱいになり、至福を共有します。


いつもありがとう。本当に、ありがとう。