みなさまこんばんは。


二月も終わりが近づき、
寒さと暖かさがより交錯するようになりましたが、
空気は確実に春の到来を予感させるものになってきましたね♪


あらゆる事柄が常に変化するなか、内に外にそれらを
見つめる作業は行われています。



そんな中、ふと気付いた時に私は読みかけの本を読むことにしています。


読もうと思って開く、というより、何となくそれをパラパラとめくると、
今の自分に必要なメッセージが感じられることが多い

といった方があってると思います。


瞑想したり、それにまつわるお話をしていると、

「人にあらゆる話・瞑想を通していろんなことを実践することを促しているわけだから、
自分も相応の実践をしなければ」

という思いが、自分の心持ちを窮屈にさせることがあることに、
あらためて気付く今日この頃です。


これを「ユーモアのセンス」

という所からみていくと、あらゆる物事が厳粛で裏表がなく、ストイックな苦しみの中で
生き続けるような状態になることがあり、それはユーモアとは逆の、なんとも
生気のない流れになっているということです。


以前の生活スタイルには、瞑想セッションが無かったので、
自分が向かって行きやすい、新たなエゴのカタチとも言えるかな~。


それをするがゆえに、自分の精進が過度になりすぎ、
気がつくと、いつもその一挙手一等即を見張るもう一人の自分が巨大化する…。


その行動には、正しい姿勢で瞑想を続け、すべてに於いて規則正しい生活をしなければ、
たちまちカルマの波が襲って来て、自分を呑み込んでしまう。そんな妄想に
恐れを感じ、回避しようと必死になる。

ここに頑なな態度が見てとれます。



今回これを自覚して、私はニガワライでした(^^;;;)

「気をつけて」いるつもりだったのに……。


あはは、これだこれだ。


この「気をつけて」が自分を厳しく見張り、観察するもう一人の自分。

そう、BIG MEなんだ。


この存在が、少しでも道をはずれる自分を空かさず罰しようとしている。

確かにこの姿勢には悦びがない。

ユーモアのセンスもない。。


ヘタしたら、このユーモアさえも厳粛に理解しようとしてしまうんだ。


それは、一つ一つの事柄を

やはりあるがままでなく、自分の妄想の中で作り上げた付加価値を
付けている状態だったんですね。


……こうやって書いてる自分の文章がまた窮屈になってきた(^^;)


やっぱりここでも視点は大切になってくるんですね。


あらゆる物事を、そのまっただ中でみるのでなく、航空写真のように俯瞰する。


そして開かれた状態に戻って行く…。


ここで私はあえてあの言葉を引用したい。



始めに、山は山なり 水は水なり

次に、山は山にあらず 水は水にあらず

最後に、山は山なり 水は水なり



ものごとを精密に見て行く中で生まれる迷妄。

それを通り抜けて再びありのまま・あるがままの認識にもどっていく。



さっ、明日も楽しんでまいりましょうー♪


みなさまの心の平穏を祈って。





よっしー