↑14年前の納車日。
松本市から250kmを途中白煙を撒きながら自走して帰ってきました。
先週の火曜日(7/2)、遂にYottaのハンドルを握り、いつもの修理工場まで超ミニドライブをしました。
4年半は長かったですね…
初めの2年はコロナ禍が猛威を振り始めたので、
「この機会に、最後の大きな課題である床を張り直そう!」
と意気揚々近所の修理工場へ持ち込みました…が、
職人気質オヤジさんが床を剥がしたら、ここも、そこも、あそこも、ドアヒンジ受け部分や左右のロッカーパネルまで…と次々と剥がしては貼り替え直し、気がついたら2ヶ月の予定が2年間を優に過ぎていました。
レストア中に右ドアのヒンジを留めている4本の内の3本を捩じ切ってしまい共回りするようになってしまいました(泣)
さらにオヤジさんのレストアへの気持ちが一旦切れてしまったので、泣く泣く我が家へYottaを連れ戻しました。
帰り際に、
「ドアを見つけられたらやってやるから探してみてくれ…」と。
走行中にドアが吹き飛んで惨事を起こしてはいけない…との気持ちから◯オク他での中古ドア探索を始めました。
悪い事が重なりました⤵️
Yottaを買った12年後の同じ日(6/4)に左掌に重傷を負い現在に至っています。
1年超に及ぶリハビリの結果、A/T & パワステの家車であるN1は運転を再開する事が出来るようになりました。
とても嬉しかったです。
それまで気軽に車で行っていた共販@トヨタも、バス停まで歩いてバスが来るまで待って、終点まで乗ってからまた共販@トヨタまで歩き、帰りはその逆を辿りました。
しみじみと普通に健康である事の有り難さを実感しました…
次はYottaを!と思いましたが、M/T & 重ステのYottaを乗り回すには腕力と握力が追いつかなかったのと、精神的に敷居が高くなり、中々Yottaを駆って走り出すことが出来せんでした。
そんなある日、探し続けていた右ドアが◯オクに出ました!
気合を入れて落札しました。
その相手の方が、なんと!Yota1967さんがブログで何度も紹介記事を書かれてた業者さんでした。
FRPでヨタハチのボディの各部を作ってくれたり、ヨタチーノを世の中にデビューさせた◯ッ◯PJさんでした(縁とは不思議なものですね)
送られてきたそのドアを知人のレストアラーMさんが錆を落としたり下地のメンテナンスまでしてくれたものを、一旦気持ちの切れたオヤジさんが引き受けてくれることになりました。
錆の酷い所が3箇所ありました。
①.ドアの表側の窓ガラスの水切りが付いている所
②.①に続く三角窓の下辺り
③ドア下の端から端まで
この内の①と②は現在のオヤジさんの視力と溶接機では難しいと、知り合いの鉄工所に持ち込み溶接して貰いました。
これをオヤジさんと一緒に持ち帰り、錆び取りの仕上げやパテ塗りまで終えてくれたあと。
「色合わせをしたいからヨタハチを持ってきてくれないか?」
というオーダーがオヤジさんから入りました。
ヨタハチ仲間や旧車仲間は平日は忙しかったり、この猛暑なので…
意を決して車庫に入りイグニッション オン❗️
3回程度アクセルを踏んだらてエンジンが吠えるように目覚めました‼️
いかにも
「早く走り出せよ💢」
と言わんばかりにアイドリングまで直ぐに落ち着きました(実際は猛暑でエンジンもオイルも温かいからですよね(笑))
左手に少しでも負担がかからないように、事前にシフトにジョイントを着けて10cm程長くしたり、ハンドルをナルディの36φから純正の38φに戻しました。
ガス欠エンストが怖いのと、ハンドル操作を幾らかでも軽くするために、家を出て直ぐのGSでガソリンを満タンにして、空気圧を高めに揃えました。
いざ出陣❗️
大通りに出た時は久し振りに緊張しましたね。
交差点で右折ラインに入った時、
「ウィンカーは点いてるよな?」とか…
無事に到着すると、オヤジさんが、
「本当に来たか!」
と破顔して歓待してくれました。
それから5分後には現在着いているドア外しが始まりました…
この続きは次回に回しますね。