『土佐国風土記』 3 "神武東征”とトミノナガスネヒコ          川崎一水 | ヨツバの日本の古代史と神社参拝ガイド   

『土佐国風土記』 3 "神武東征”とトミノナガスネヒコ          川崎一水

 『土佐国風土記』 3 物部と神武東征            川崎一水

 

 

 物部川は「物部」と名がつけられているように物部氏に由来する。

 

 古事記の話では神武東征といわれるものがあったことになっている。その時代は日本書紀では紀元前660年とされるが、実際には紀元後の西暦50年代であったといわれる。しかしそのときに行われた「神武東征」は神武天皇によるものではなかったといわれる。

 

 後に初代神武天皇カムヤマトイワレヒコと呼ばれ、ハツクニシロシメススメラミコトと呼ばれる狭野命が、その兄たち五瀬命と稲飯命と三毛入野命と共に東征したことになっている。いわゆる神武東征ではあるが、この神武東征は実際には第十代崇神天皇ミマキイリヒコイニエのことであり、神武天皇と同じくハツクニシロシメススメラミコトとも呼ばれる崇神天皇が九州から瀬戸内を通る"神武東征”を行ったのであるといわれる。

 

 では初代神武天皇は東征しなかったのかと言えば確かにそうではあるが、そのころそれに似たことがあった。つまり「物部」の東征である。先に紹介したように「弓月の君」が渡来したころよりも前の時代、まだ出雲族が全盛のころのことであったといわれる。

 

 そのころの出雲族は西日本一帯を支配していた。全国が神無月の時に出雲国では神在月であった。各国の長であるトサノカミやトヨノカミなどが出雲に集まる儀式があったといわれる。弥生時代のころから今の愛知県である尾張から九州宗像までの西日本を支配していた出雲族は今の奈良・京都から鳥取・島根を本拠としていた。奈良時代までその名残があるといわれる。

 

 奈良の外山はトミヤマと呼ばれるが、出雲の王の名は「富氏(向氏)」と「神門臣氏」であったという。登美とも等彌とも鳥見とも書かれるが、中臣のトミでもある。古事記で有名なのが神武天皇に敵対したというトミノナガスネヒコである。ナガスネヒコは後に神武天皇に降伏することになっているが、ここで敵対したのは神武天皇とナガスネヒコではない。崇神天皇の話でもない。

 

 富家の資料によれば、トミノナガスネヒコの本名は第八代孝元天皇の皇子である大彦・意冨比古であった。後にナカソオオネヒコともよばれたことからもじって“なかそねひこ”から“ながすねひこ”になったといわれる。古事記の稗田阿礼によって“登美能那賀須泥毘古(日本書紀では長髄彦)”とされたといわれる。

 

 そして、孝元天皇の皇子である大彦が崇神天皇と戦ったことから、古事記の中では、登美のナカソオオネヒコである大彦がトミノナガスネヒコにされ、崇神天皇が神武天皇として描かれているのである。そして神武東征は崇神天皇によって行われたものを描き、またウマシマジは古事記のなかではニギハヤヒにされているのである。

 

 

 実際のウマシマジは物部の祖であるが、九州の南部の大和族の出自とも考えられる。そのため古事記のなかでのニギハヤヒは神武天皇と同じルーツであったことを確かめ合ったのである。古事記のニギハヤヒはニニギの兄であった。これらはすべて稗田阿礼の創作ではあるが、実際にあったことを取り混ぜて描いているのである。実際の人物であるウマシマジは古事記の中では大和族の先陣であり物部の祖となったニギハヤヒにされているのであった。そしてその後の物部は、奈良の外山近郊に根付き出雲族と一体化し、出雲族と物部族は今では同一視されるようになってしまったのである。

 

 奈良の天理にある石上神宮は物部の神社であるが、ここに祀られる「フルノカミ」は物部の神であるが、同じくここに祀られる「フツの御霊」は、蘇我氏が物部氏に勝ったのちに蘇我氏によって祀られた神である。「フツの御霊」は国譲りに立ち会った「布津主の御霊神」とも考えられ、鹿島神宮に祀られる武御雷命とともに国譲りに立ち会った香取神宮の布津主命の御霊である。

 

 大和族であり、ニニギと兄弟であったニギハヤヒは物部にされてしまったのである。そして大和族に国を譲った出雲族と合体してしまったのである。古事記に描かれたニギハヤヒは大和族であり、ニニギよりも先に奈良の地に入った兄であったことを示しているともいわれる。そして古事記に書かれたニギハヤヒは物部にされてしまったウマシマジであった。

 

 邪馬台国の祭祀王卑弥呼に敵対した狗奴国の統治王である卑弥弓呼は、"ヒメ”と"ヒコ”であり、大君と大臣でもあった。そして祭祀王卑弥呼と統治王卑弥弓呼は奈良の地ではヤマトトトヒモモソヒメと大物主であった。

 

 この三輪山の大物主こそが天照国照彦天火明櫛魂饒速日であった。本名を大年という。