おじいちゃん頑張ってます。
だんだんと私も落ち着いてきて、昨日は自分で運転して病院まで行けました。
入院して一週間は、点滴を抜かないように拘束ベルトとミトンをつけていましたが、それは取り外されました。
それだけ弱って動けなくなったってことですが、最期までそのままなんてつらすぎるから、それは安心しました。
でも、もう声を発することもなく、家族のことも、もう何もかも認識することは出来ず、ただただベッドの上で苦しそうに息をしている。
時折、何かに襲われている夢でも見ているように、すごく苦しそうに顔を歪めます。
手を握っても、耳元で大きな声で話しかけても、目が開いてる時に顔を見せても、反応がなく、苦しみをとってやる術がありません。
本当は、口から食べられなくなったら、もうそれが寿命だということで、点滴もしないで自然に任せようと母と話していました。
点滴をすることは、おじいちゃんにとって、ものすごい苦痛だからです。
以前から、入院して点滴をすることになったときには、せん妄状態になるようで何度も抜いてしまったり、
先月、病院へ連れて行き外来で点滴をしてもらったときもやはり、途中からおかしなことを言い出したり、針もなかなかうまく入らず、大変な思いをしました。
なので、こんな無理につらい思いをして点滴をするよりも、食べられなくなったら、もう寿命だということでいいんじゃないかと。
本人も、食べたいのに食べられないわけじゃなくて、食欲がなくなり食べたくないわけだし。
それが老衰で、一番の理想だと思っていました。
でも、腰~お尻の辺りに褥瘡(床ずれ)が出来てしまい、皮膚科の先生に往診に来ていただいた時にはもう、すごい量の膿が溜まってしまっていました。
針でつついて膿を出してもらいましたが、しぼってもしぼってもどんどん出てきて
痛い痛いと叫び、もがき、おじいちゃんの声を聞いたのはそれが最後になってしまいました。
奇しくも、私も場所は違えど排膿を経験したばかりで、その痛みは誰よりも知っていて、地獄の痛みだったと思います。
こんなに痛いことを高齢の人がしたらどんなにつらいことか、耐えられないよと思っていたけど、まさかすぐにおじいちゃんがすることになるとは。
本当に苦しかった。
そして、このままだと全身に菌が回ってしまうから、病院に行って抗生剤の点滴をしてもらうよう先生に言われ、もうその時はおじいちゃんは立ち上がれなくなっていた為、救急車でかかりつけの病院に運んでもらいました。
本来ならもうこの状態ではどこの病院も受け入れることは出来ないと言われたけど、
老健で高齢者を診ている病院の先生に連絡を取ってくれ、その病院で受け入れてもらえることになりました。
褥瘡は、やはり随分とひどかったようで、いつ急変するか分からないと言われていました。
でも、毎日の処置のおかげで落ち着き、抗生剤の点滴も外れました。
今現在は、ほとんど水分を補っているくらいの点滴のみをしています。
もう、一切口から食べたり飲んだりすることは出来ないので、いつまでもつかという状態です。
昨日は、鼻に酸素の管がついていました。
先生と話す機会があったので、おじいちゃん痛いかな、苦しいかな?と聞いたら、
傷のところは、もう神経が死んでしまっているから、痛みはないと思う。
苦しいという意識は、どうかな、あるかもしれないし、もうないかもしれないし、ちょっと分からないねと、言っていました。
痛みを感じていないかもしれないというのは、少し救われました。
徐々に覚悟が出来て、大往生と言える?年齢で、順番に看取れるというのは、とても幸せなことだと思う。
ただ、こんなにおじいちゃんが苦しい状態になるとは思っていなかったから、、今年に入ってからだんだんと覚悟は出来てきているつもりだったんだけど。。
救急車で運ばれた日、私は病院に行かず家でおばあちゃんと留守番していた。
その時おばあちゃんが、どんな状態でも、もうちょっと生きていてほしいなって、呟いてた。
誰よりもつらいのは、おばあちゃん。
67年も一緒にいるんだもん。
いつも想ってくれている人がいること、おじいちゃんに届いてほしいな。