長文です。

羽田飛行場が正式に開港する約3か月前。
1931年(昭和6年)5月29日午前10時37分に、こから初めて離陸した飛行機がありました。
そのプロペラ機に乗っていたのは、
法政大学航空部の教官・熊川良太郎氏と、法政大学経済学部の2年生・栗村盛孝氏。

この飛行機はシベリア、ドイツ、フランス、イタリアを訪問飛行し、
学生による飛行として世界のトップを切ったものでした。

イタリアではムッソリーニ首相と会談したり、
バチカンではローマ法王と謁見するなど、大変な歓待を受けたようです。

熊川良太郎氏はこの時の訪欧飛行の体験を「征空一万三千キロ」として著し、
著書は当時の子ども達に夢と希望をあたえ、広く愛読されました。



さて、これに先立つこと3年…
熊川良太郎氏は1928年(昭和3年)9月11日に、
生まれ故郷の嬬恋村今井の仙ノ入地区に郷土訪問飛行をしています。

「翼よ、あれが村の灯だ」と言ったかどうかはわかりませんが、
地元では老若男女を問わず大歓迎を受け、氏は後々まで慕われたということです。

こちらがその時の写真。
最前列の5人のうち、中央の人物が熊川氏です。(機種は不明)
イメージ 1


また後年熊川氏は、
群馬県議会の議員として郷土のために献身されたとのことです。


仙ノ入地区は、嬬恋村から草津へ抜ける県道の途中、
JAのガソリンスタンドがあるあたり。
イメージ 2


南に開けた眺めの良いところ…
イメージ 3


JA横の公園には、忘れられたようなプロペラ機の遊具…
イメージ 4



嬬恋村郷土資料館の方や
仙ノ入の地元の人に少しお話をうかがってみましたが、
当時のことは何もわからないとのこと。
残念なことですが、86年も前のお話ですからね…


氏の著書「征空一万三千キロ」
イメージ 5


訪欧飛行の経路。
イメージ 6


訪欧飛行に使われた「青年日本号」。
イメージ 7


(@@)おしまい。