心の問題 | 日々是好日
ブログを書いていてよかったな、と思うのは、過去の記事にコメントをいただくことで、改めて気づかされることがあることです。

2年前、ぼくが抱えていた問題の原因のひとつは、とりもなおさず「考え方を間違っていた」ことにあります。

たとえば、パニックやうつなどの病気について、「心身不二ともいうし、肉体を正常にすれば、心も自然に正常になるはずだ!」という考え方です。

しかしこれは、間違っていました。

正確に言うと、「間違ってはいないがこの方式(考え方)では病気は治らない」ということです。

体の不具合を正常化することは、とても重要なことです。
まずはここからはじめる、ということは正しいと思います。

しかし、肉体操練だけが全てではありません。

明らかにぼくが抱えている病気の問題は「心」にあるわけで、ここに全く触れずに、外堀である肉体だけの正常化を試みても、よくはなりません。
結局ぼくは、逃げていたのだと思います。

たとえば、筋力トレーニングを山ほどしたからといって、柔道は強くなりません。
柔道が強いのは、究極的には「心」が強いからです。
つらい練習をこなせる「粘り強さ」、強くなりたいという「向上心」、自分より強い相手でもひるまない「不動心」、不利な状況でも冷静さを失わない「集中力」、そういった「心の強さ」があるからこそ、武道もスポーツも強くなれます。
決して、練習量や才能や、効率的なトレーニングだけが要素ではありません。

これほど明らかなことに気づかなかったとは、我ながら驚きでもあります。
すなわち、「からだ」に責任転嫁し、「こころ」から逃げていたことじたいが、すでに病んでいたのです。

その証拠に、ぼくの「からだ」は、ほぼ完全に「健康」です。
ヨガや運動や食事に気を配って、規則正しい生活を送ってきた結果です。
各種健康診断でも、とくに異状はありません。

しかし、病気が完全になくなったかというと・・・ふとした瞬間に「恐怖」がよみがえり、なんでもないことで落ち込んで行動不能に近くなることは、頻度も程度も少なくなったものの、「なくなった」わけではありません。
制御できるとはいえ、予期せぬときに「緊張」がよみがえり、解除しづらくなってしまいます。

この「緊張を解除できない」というのは、心の問題です。
心が、わだかまりを手放すことができないから、緊張するのです。

いくら腹式呼吸をしようが、自律訓練法をしようが、ストレッチをしようが、根本原因である「心のわだかまり」を解決しなければ、これ以上カラダをどうのこうのしても、もう目に見えた変化はありません。

カラダに良い生活は維持しつつも、一方で、「心の領域」の問題解決も行わなくてはなりません。

しかし、世の中の「健康法」というものや、「病院」というものは、「こころ」について何も明確な回答も持っていません。
はっきりいって、無力です。
せいぜい「ストレス発散しましょう」くらいのことしか言いません。

どのような条件下であれ、心を「まっとうな」状態に「復活できる」ことが、最も重要なことです。

怒りをおぼえても、すぐに放棄し、恨みを持ちかけても、すぐに放棄し、恐怖を覚えても、すぐに放棄する。
放棄して、「もとにもどる」こころの柔軟性を培わなくてはいけません。

何か条件がなければ、楽しくなれない!やさしくなれない!
なんて、もってのほかです。
それを許してしまえば、酒やドラッグがあれば、ぜんぶ解決してしまう。
酒とドラッグは、カラダを犠牲にして、擬似的にせよ精神の平安をもたらしてくれる。

酒も金もセックスも健康法も関係ない、「そのままで自在」でありたいと思います。
どのような悲しいことや、腹立たしいことや、つらいことがあって、落ち込んでも、なにもなくとも「すぐにもとに戻れる」強さがほしい。

最近ぼくは、これを培うのは、結局やっぱり「瞑想」や「祈り」なのではないか、と感じています。

瞑想と祈りは、「心を強くする」トレーニングだ。
そのことにようやく気づきはじめたところです。

からだを健康にしたから、心が健康になるんじゃない。
からだばかり健康にしたら、かえってバランスが悪くなる可能性もあります。

からだとこころは、やはり両方「一緒に」すこやかにしなくてはならないのかもしれません。

無条件に、元気でいよう。
それが当面の、ぼくの目標です。