チベット語を勉強していてわかったこと | 日々是好日
チベット語を、のんびり勉強していますが、いろいろ発見があっておもしろいです。

チベット文字を、意味は全くわかりませんが、とにかく「書きまくって」います。
「二十一尊ターラ礼賛経」という経文を、いわばなんども写経していることになりますが・・・

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インドの「デーヴァナーガリー文字」にとてもよく似ています。
学生の頃、インドに旅行に行く際、一応一通り「文字だけは」勉強したことがあったのですが、「チベット文字」ととてもよく似ているので、文字自体は覚えやすいです。

↓こういうの
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また、日本の「梵字」とも、酷似しています。
↓こういうの
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僕は、梵字は「デーヴァナーガリー文字」が起源で、それが変化して「チベット文字」になり「梵字」になったと思っていました。インド文明という古代文明に端を発したと思っていたのです。

でも実際は大きな間違いでした。

インド文明の初期には「ブラーフミー文字」があって、これが「梵字」として、仏教とともに中国や日本に伝わりました。だから、デーヴァナーガリー文字より、梵字のほうが「古かった」のです。

ブラーフミー文字は、こういうの↓
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一方で、ブラーフミー文字は仏教とともにチベットに伝わります。
このとき「チベット文字」が生まれるのです。

で、現在のインドで使われている「デーヴァナーガリー文字」自体は、チベット文字が完成した頃とほぼ同時に、インドでできています。紀元7世紀ぐらいです。

ブラーフミー文字→梵字→デーヴァナーガリー文字&チベット文字

という歴史だったみたいです。
まあ、興味のない人にとっては「ああそうですか」でしょうが、僕にとっては結構衝撃的でした。

梵字のほうが、古かったのです。これがまず意外だし、漢字圏の中国人はあの「文字のてっぺんが一直線になっている形と、表音文字」という概念が理解できなくて、長い間に「梵字」に変形したと思っていました。全然違うというか、まさに「逆」です。

中国と日本が、「梵字」という形で、比較的正確に「ブラーフミー文字」を継承していたのです。
現在は、インドではこの文字は使われていないので、中国と日本にしか、ブラーフミー文字はないのです。ペンから筆に変わったところはありますが、これは結構すごいことだと思うんです。

また、「インド」→「中国」に伝承されたブラーフミー文字は「梵字」として若干の形態の変化がありましたが、「中国」→「日本」に伝わった「梵字」は、いまだに正確に保持されています。むしろ、日本の専門家が中国のお坊さんに梵字を「指導」しているそうです。

インド由来のブラーフミー文字は、「アラム文字」に起源があって、これはローマ字の元にもなっているらしいです。
アラム文字が西に行ってヘブライ文字やアラビア文字やアルファベットになり、東に行ってブラーフミー文字になったのです。

日頃よく目にする「アルファベット」も、僕が大好きなインドやチベットの文字も、結局は「メソポタミア文明圏」の精華だった。
英語やフランス語のアルファベットの「A」も、ロシア語の「アー」も、梵字の「あ」も、チベット文字の「あ」も、起源は同じだったのです。

一方、まったく別の流れがあって「中国文明圏」です。

文字については「メソポタミア系」の影響はまったく受けていません。そして、独自に他のエリアにいろいろ影響を与えています。
直接的には「ひらがな」「カタカナ」で、これは漢字の一部を取り出したものです。

ちなみに、ハングル文字はチベット系の影響を絶対に受けています。形が、すごく似ているし、文字の上下左右にに「別の文字を接合する」という方式がそっくりです。
チベット文字→モンゴル文字→ハングル文字 の系譜は、疑いようがないと思います。
もちろん「偏と旁」のような中国文化圏の影響も受けていますが。

で、結局何が言いたいかというと、「日本は結局中国文化圏の、ひとつの変態状態」ではないか。

ネトウヨ的な人が、日本最高、すべては日本にオリジナルがあるみたいなことをいうけど、そんなわけはない。
確かに、四面を海に囲まれている日本では、伝わってきた文化を「独自に発展させ、高度に(独特に)発展させる力があります。「磨く」力はあると思います。
でもその力は案外たいしたことはなくて、「正確に維持する」ことと「形式化する」ことしか、ないかもしれません。
「まんじゅう怖い」の話なんか、何百年も前に中国から伝わってきたまま、「肉」を「あんこ」に変更しただけで、ストーリー自体には「いまだになんにも変更を加えていない」のです。

韓国なんかはもっとひどくて「日本古来の武道も韓国由来だ」とか言っています。
そんなわけはないのですが、これを日本人は笑えないです。
日本独自の「武道」だと言っているけど、その根本には中国由来の「気」や「丹田」があるのです。
「それを高度に磨き上げた」ことだけでは「オリジナル」にはなりません。

「オリジナルこそが正しく、優勢で、強い」と言っているわけではありません。磨き上げることで発展し成長し、さらに良いものになるという、すばらしいメリットが明確にあります。

「日本古来の・・・」とか、じいさんがよくほざくけど、せいぜい「江戸時代」からのものに過ぎないことが多い。そして、その「元」自体は、は中国文明ではないか。
何を、自慢げに、得意気な顔をして、「我が国独自の」とか言うのか。
ちなみに、和裁の先生に聞いたところ、神主の衣装はモンゴルの砂漠民族の衣装だそうです。

もし声高に宣言するのであれば「我が国は、中国文明を正当に継承し、我が国独自の文化と融合させ、すばらしく磨き上げた」です。
そこにこそ「誇り」を持つべきで、悠久の歴史を持つ過去の文明よりも「われわれのほうが優れている」などと、口が腐っても言うべきではない。徳川は300年だけど、世界の文明は数千年、下手すると「万年」レベルの歴史があるのです。その恩恵を忘れて、何を言うか。

チベット語を勉強しているだけで、そういうことも考えるようになりました。

日本の文化は、すばらしいと思うし、大好きです。
でも、その背景には「中国文明」があって、文化の「ほぼすべて」をそれに負っている。
仏教として、一部「インド文明」系の文化もある。
そこに一部、最近は「アメリカ」の文化が流入しています。

一方、チベットはもろにインド文明圏だけど、隣の中国文明の影響も半端ない。
数の数え方が、日本とチベットではほぼ同じだし。

日本は「なれの果て」で、チベットは「ど真ん中」で、インドと中国がぶつかり合っている。
日本は絶海に囲まれた島国で、チベットは高山に守られた秘境です。

それぞれで「独自の文化を築き上げた」。
「似ている」とも、思います。