引っ越し完了!
案外かんたんだったな~。
結局、使い慣れたWordpressのほうに引っ越すことに。
https://snshineblog.wordpress.com/
デザインが、すこしぼく好みになってご機嫌であります。
もしよかったら、遊びにきていただけますとうれしいです。
↓引っ越しは、コチラを参考にさせていただきました。
http://webdesignerwork.jp/wordpress/fc2blog_ameblo_wordpress/
ありがとうameba!
さよならameba!
やっとこ、食欲も復活してきました。
あの「えげつない」イライラ感・怒りも、ようやくおさまってきました。
なんか、スッキリ。
やっぱり、ヨガは効きますねぇ。
スッキリついでに、引っ越しをしよう!
と思い立ちました。
ぼくは、パニック障害で10年近く飲んでいた薬をやめるとき、このブログを開始しました。
どんな変化があわられるのか、パニックがどういう経過をたどっていくのか、そういうことを記録していこうと思って始めました。
もう、4年もやってるんですよね~。
そう、ブログを引っ越そうと思うのです。
理由は、ふたつあります。
病気に関して逐一記録することは、ぼくにとって一長一短でした。
自分自身への注意喚起やメモライズ、心の言語化などが長所です。
一方、これによって感情の固定化・形式化が発生したり、記事への反響を気にしてしまうという、新たな心的負荷が発生するのが、短所ですね。
さておき、過去の記事を読み返してみると、「あれが効いた、これが効かなかった」という、本質から全くかけ離れた、実験結果というのもおこがましい、「ただの感想」がほとんどでした。
それも、ごく「独善的な感想」です。
そもそも、ぼくが希望としていたのは
「ぼくと同じ苦しみを持つひとの参考になればいいなあ」
というほどのことでした。
ところが、ぼくがしていたことは
・自身の感覚に独善的な解釈を行い
・それに同調してくれるひとの「いいね」に安心し
・本質とは程遠い「方法論」の集積を形成してしまった
ということでした。
まぁこれはこれで「記録」なので、ぼくはべつに悪いことだとは思っていません。
ぼくはこういう考え方の変遷をしてきたのだなぁという、一種のログですからね。
なので、すべて捨ててしまうとか、そーゆーことではありません。
過去は過去として、大事に保管しておこうと思うのです。
つまりぼくは、新しい境地に進んでみたくなったのです。
ブログのタイトルを変えることでこころが変わっていく、という経験がありました。
文体を変えることで心の状態が変わっていく、という経験もありました。
「プラットフォームそのものを、変えてしまう」
まだぼくは、これを検証していません。
・・・というのが、理由その1。
理由その2は、もうこれは、単純です。
amebaって、芸能人がどうのこうの、うるせぇ。
おれ、オッサンなんで、もうそーゆーの、いらなーい。
「有名芸能人ブロガーを取り込んで、コミュニティを活性化させる」
とかなんとか、なんだかなー。
なんだかナー、それ、ピンとこねんだ。ぼく。
あと、アフィリエイトでやっているひとが多いのも、気色悪い。
「どうも初めまして~女子大生のユカで~っす! ものすごく面白いブログですね! よかったら私のブログにも来てくださいね(笑)」
みたいなコメントを、「おばさんがガンになった」というような記事に張り付けていくロボットの存在。
そーゆーロボットを使ってまで小銭を稼ぎたいという浅ましいひとが存在するのがまた、気色悪い。
この文面を、オッサンが書いているというのが、輪をかけて気色悪いんだよなあ。
amebaはその「コミュニティ」が魅力だったけど、悪用するひとがふえてしまって、汚くなった。
理屈じゃなくて、
「ああ、ここは、空気が悪いなぁ」
そう感じるようになったんです。
あ、べつにamebaさんに怒っているとかじゃ、ないですよ。
それはそれで、いいんだと思います、嫌味じゃなくて、ほんとうに。
「ぼくには、合わないなあ」というだけのことです。
あと、デザインが、ダッセェしな。
以上の理由から、引っ越しをすることにしました。
過去の記事も、全部持っていこうとおもいます。
・・・と書いている間に、「第一次移転」が完了した模様です。
<第一次移転> ameba → FC2 に移転
<第二次移転> FC2 → 海外系ブログサイトに移転
FC2にいったん移行しないと、amebaってバックアップがとれないんです。
で、なんで海外系に行くかというと「空気がキレイ」「デザインがキレイ」だからです。
正直に言っちゃう。
もう、広告なんか、みたくないんです。
とくに、「古い手法の広告」が。
なぜならば、ぼくの仕事は、広告だからだ!
あの「えげつない」イライラ感・怒りも、ようやくおさまってきました。
なんか、スッキリ。
やっぱり、ヨガは効きますねぇ。
スッキリついでに、引っ越しをしよう!
と思い立ちました。
ぼくは、パニック障害で10年近く飲んでいた薬をやめるとき、このブログを開始しました。
どんな変化があわられるのか、パニックがどういう経過をたどっていくのか、そういうことを記録していこうと思って始めました。
もう、4年もやってるんですよね~。
そう、ブログを引っ越そうと思うのです。
理由は、ふたつあります。
病気に関して逐一記録することは、ぼくにとって一長一短でした。
自分自身への注意喚起やメモライズ、心の言語化などが長所です。
一方、これによって感情の固定化・形式化が発生したり、記事への反響を気にしてしまうという、新たな心的負荷が発生するのが、短所ですね。
さておき、過去の記事を読み返してみると、「あれが効いた、これが効かなかった」という、本質から全くかけ離れた、実験結果というのもおこがましい、「ただの感想」がほとんどでした。
それも、ごく「独善的な感想」です。
そもそも、ぼくが希望としていたのは
「ぼくと同じ苦しみを持つひとの参考になればいいなあ」
というほどのことでした。
ところが、ぼくがしていたことは
・自身の感覚に独善的な解釈を行い
・それに同調してくれるひとの「いいね」に安心し
・本質とは程遠い「方法論」の集積を形成してしまった
ということでした。
まぁこれはこれで「記録」なので、ぼくはべつに悪いことだとは思っていません。
ぼくはこういう考え方の変遷をしてきたのだなぁという、一種のログですからね。
なので、すべて捨ててしまうとか、そーゆーことではありません。
過去は過去として、大事に保管しておこうと思うのです。
つまりぼくは、新しい境地に進んでみたくなったのです。
ブログのタイトルを変えることでこころが変わっていく、という経験がありました。
文体を変えることで心の状態が変わっていく、という経験もありました。
「プラットフォームそのものを、変えてしまう」
まだぼくは、これを検証していません。
・・・というのが、理由その1。
理由その2は、もうこれは、単純です。
amebaって、芸能人がどうのこうの、うるせぇ。
おれ、オッサンなんで、もうそーゆーの、いらなーい。
「有名芸能人ブロガーを取り込んで、コミュニティを活性化させる」
とかなんとか、なんだかなー。
なんだかナー、それ、ピンとこねんだ。ぼく。
あと、アフィリエイトでやっているひとが多いのも、気色悪い。
「どうも初めまして~女子大生のユカで~っす! ものすごく面白いブログですね! よかったら私のブログにも来てくださいね(笑)」
みたいなコメントを、「おばさんがガンになった」というような記事に張り付けていくロボットの存在。
そーゆーロボットを使ってまで小銭を稼ぎたいという浅ましいひとが存在するのがまた、気色悪い。
この文面を、オッサンが書いているというのが、輪をかけて気色悪いんだよなあ。
amebaはその「コミュニティ」が魅力だったけど、悪用するひとがふえてしまって、汚くなった。
理屈じゃなくて、
「ああ、ここは、空気が悪いなぁ」
そう感じるようになったんです。
あ、べつにamebaさんに怒っているとかじゃ、ないですよ。
それはそれで、いいんだと思います、嫌味じゃなくて、ほんとうに。
「ぼくには、合わないなあ」というだけのことです。
あと、デザインが、ダッセェしな。
以上の理由から、引っ越しをすることにしました。
過去の記事も、全部持っていこうとおもいます。
・・・と書いている間に、「第一次移転」が完了した模様です。
<第一次移転> ameba → FC2 に移転
<第二次移転> FC2 → 海外系ブログサイトに移転
FC2にいったん移行しないと、amebaってバックアップがとれないんです。
で、なんで海外系に行くかというと「空気がキレイ」「デザインがキレイ」だからです。
正直に言っちゃう。
もう、広告なんか、みたくないんです。
とくに、「古い手法の広告」が。
なぜならば、ぼくの仕事は、広告だからだ!
苦しみは、まだ続いています。
なにかの拍子に、ブワーと、不安とか、怒りとか、焦りとかが、
「毎度! こんちわ!」
と、出てきやがる。
なにか決定的にムカつくことがあったわけじゃないんです。
むしろいまぼくは、人生的にはたぶんここ数年で、いちばん安定しています。
ある意味、すこし「ほっとした」ところがあります。
ほっとしたから、ゆるんだのだと思います。
加えて、ぼくは最近毎朝ヨガを再開し、食事量を減らし、酒は完全にとめた。
いままでぼくの表面的な意識が、柔道の「縦四方固め」ばりにガッチリ抑え込んでいたものが、タガがゆるんで浮き出てきているのかもしれません。
そういえば、ぼくがパニック発作を発症したのは、結婚して子供が生まれてマイホームも買おうか、というときでした。
「ああ、やっとここまで来た。」
そんな認識が、こころをゆるませて、いままでため込んで圧縮していたルサンチマンを、解放してしまったのだと思います。
発症する前までみたいに、いろんな心的葛藤を「緊張感」で封じ込め続けたほうが、よかったのかな?
ときに、そう思うことがあります。
でも、どうでしょうか。
一生緊張感でじぶん自身をコントロールし続けて、結局、いったい、なにが得られるだろう。
お金や、名誉や、安心や、健康や、人間関係や、配偶者や、衣食住を得るために、はたしてほんとうに、そこまでしなくてはいけないんでしょうか。
じぶん自身を縛りあげてまで得たいものが、そんなチンケなものだったか。
そういう疑問もあります。
もしかすると、ぼくはお酒のみだったから、禁断症状なのかもしれません。
もしそうだとして、お酒が切れたことでこういう気分が表面化するということは、結局のところ、怒りや不安や焦りというものを、「酒」という重しで押さえつけていたのだと思います。
お酒というものは、麻痺はさせてくれるけど、問題の解決はしてくれません。
トリガーが「安心をしたから」にせよ「ヨガを再開したから」にせよ「お酒が切れたから」にせよ、本質的なメカニズムは、まったくおなじだと思いました。
ずっと不平不満や心の葛藤を抑え込んでいて、それが解放された。
出てきたこの感情は、だれのものでもない、ぼくのもの。
これらの感情が起こった理由はさまざまだけど、間違いなくぼくが持ち越してきたもの。
かつて、ぼくに入ってきた情報をぼくが解釈・加工し、それをぼくが認識し、それに対する反射行動を、ぼくが押さえつけたもの。
いま出ている悪態が解消されたら、それ以降は、ぼくはただしく生きていこうと決めた。
空気を読んだり、演技をしたりすることが、ただしいことではない。
ただしい生き方というのは、じぶんにウソをつかないことだと思います。
いやなものは、いや。
きらいなものは、きらい。
それで、いいんだ。
そして、いやなこと、きらいなことに直面して逃げられないときは「がまんする」とか「忘れてしまう」のではなくて、「本質的に解消・解決する方向へむかう」ということが、ただしい生き方なんだと思います。
ガマンとお酒は、まったく同質。
お酒やガマンで消えたように見える感情は、こころの奥底に冷凍保存されているだけ。
それらはいずれ、春がきたときに解凍されて息を吹き返し、あばれだす。
それも、ぜんぶいっぺんに、無目的的にあばれだす。
なにかの拍子に、ブワーと、不安とか、怒りとか、焦りとかが、
「毎度! こんちわ!」
と、出てきやがる。
なにか決定的にムカつくことがあったわけじゃないんです。
むしろいまぼくは、人生的にはたぶんここ数年で、いちばん安定しています。
ある意味、すこし「ほっとした」ところがあります。
ほっとしたから、ゆるんだのだと思います。
加えて、ぼくは最近毎朝ヨガを再開し、食事量を減らし、酒は完全にとめた。
いままでぼくの表面的な意識が、柔道の「縦四方固め」ばりにガッチリ抑え込んでいたものが、タガがゆるんで浮き出てきているのかもしれません。
そういえば、ぼくがパニック発作を発症したのは、結婚して子供が生まれてマイホームも買おうか、というときでした。
「ああ、やっとここまで来た。」
そんな認識が、こころをゆるませて、いままでため込んで圧縮していたルサンチマンを、解放してしまったのだと思います。
発症する前までみたいに、いろんな心的葛藤を「緊張感」で封じ込め続けたほうが、よかったのかな?
ときに、そう思うことがあります。
でも、どうでしょうか。
一生緊張感でじぶん自身をコントロールし続けて、結局、いったい、なにが得られるだろう。
お金や、名誉や、安心や、健康や、人間関係や、配偶者や、衣食住を得るために、はたしてほんとうに、そこまでしなくてはいけないんでしょうか。
じぶん自身を縛りあげてまで得たいものが、そんなチンケなものだったか。
そういう疑問もあります。
もしかすると、ぼくはお酒のみだったから、禁断症状なのかもしれません。
もしそうだとして、お酒が切れたことでこういう気分が表面化するということは、結局のところ、怒りや不安や焦りというものを、「酒」という重しで押さえつけていたのだと思います。
お酒というものは、麻痺はさせてくれるけど、問題の解決はしてくれません。
トリガーが「安心をしたから」にせよ「ヨガを再開したから」にせよ「お酒が切れたから」にせよ、本質的なメカニズムは、まったくおなじだと思いました。
ずっと不平不満や心の葛藤を抑え込んでいて、それが解放された。
出てきたこの感情は、だれのものでもない、ぼくのもの。
これらの感情が起こった理由はさまざまだけど、間違いなくぼくが持ち越してきたもの。
かつて、ぼくに入ってきた情報をぼくが解釈・加工し、それをぼくが認識し、それに対する反射行動を、ぼくが押さえつけたもの。
いま出ている悪態が解消されたら、それ以降は、ぼくはただしく生きていこうと決めた。
空気を読んだり、演技をしたりすることが、ただしいことではない。
ただしい生き方というのは、じぶんにウソをつかないことだと思います。
いやなものは、いや。
きらいなものは、きらい。
それで、いいんだ。
そして、いやなこと、きらいなことに直面して逃げられないときは「がまんする」とか「忘れてしまう」のではなくて、「本質的に解消・解決する方向へむかう」ということが、ただしい生き方なんだと思います。
ガマンとお酒は、まったく同質。
お酒やガマンで消えたように見える感情は、こころの奥底に冷凍保存されているだけ。
それらはいずれ、春がきたときに解凍されて息を吹き返し、あばれだす。
それも、ぜんぶいっぺんに、無目的的にあばれだす。