小さい時から車のオモチャでいつも遊んでいた息子は、昨日の誕生日に大分県日田市にあるオートポリスへ行き、全日本スーパーフォーミュラ選手権2024年シーズン第2戦の決勝レースを見てきたようです。

オモチャの車に乗っていたはずの小さい息子が、今ではレーシングカーで?億円のフォーミュラカーまで乗る事が出来たようです。


そして、写真の赤ちゃん服は息子が産まれた時に最初に着た洋服で今でも大切にとっています🌈

(偶然、蛍も見れましたー♪)
















以前の投稿で言ってた母から聞いた鳥肌が立つ程のとんでもない真実をひっそりと話しようと思います。


この前、実家に帰った時に昔からある本棚を私は久しぶりにじっくりと眺めていました。

するといつの間にか新たに追加された本がいくつかあり、ある一冊に反応した私はたまたま近くにいた母に「あ、日航機墜落事故の本とかあるやん。でもお母さんはANAやったっちゃろー?」と確認しました。

するとその時、重い口を開いた母は「JALよ··」とだけ言いました。

実はうちの母は東京の人で昔スチュワーデスでした。

その後も母に追求してみると、なんと日航機墜落事故があった約10年程前まで母はJALのジャンボ機によく乗って東京~大阪の便にいつもスチュワーデスとして勤務していたらしいのです。

その後に父と結婚し退職して東京から福岡に嫁いできました。

事故当時、子供だった私は事故のニュースがテレビで報道され、それを見て大声で絶叫し立ちすくんでる母の方が一番恐ったのを覚えています。

私 「そしたら日航機墜落事故に乗ってたパイロットやスチュワーデス達を知ってるんやない?!」

母 「知らん知らん知らん!あんまり思い出したくない···」と言って隣の部屋にいる父の方をチラチラと気にしながらあまり知られたくない様子でした。

昔、母からはANAのスチュワーデスだったとだけ聞かされた記憶あるし、もしかして他にも隠してる事あるかもだけどこれ以上聞くのはやめました。

ただ、母が言うには父と結婚してなかったらそのままスチュワーデスをしてただろうし、もしかするとその事故機に母がスチュワーデスとして乗ってたかもしれなかったという事でした。

超お久しぶりの記事です!
父方の祖母は亡くなってますが8人兄弟でありその末っ子の叔母さんだけが唯一89歳で健在だと両親に聞きました。
しかもなんと酸素ボンベ持って鼻から管を通したまま元気に畑仕事をして逞しく動き回る強者との事。😅
実はうちの実家近くに住んでるというのに何故か私は行った事がないので初めて挨拶に行きました。
そしたら私が産まれたばかりの赤ちゃん時に一度会った事があるとそこで初めて聞きました。
そこは農家の豪邸でありみんな気さくで笑顔の素敵な大家族でした。
米や野菜も頂き、私の知らない親戚情報を沢山知る事もできました。
そこの息子さんは元交通機動隊で現在は自動車学校の校長先生らしいです。
そして偶然にもそこの家の隣がよく知っている私の同級生の友達家でした。笑
学生の時は友達と毎日通学するような仲で家は昔から知っていたので世の中狭いもんですねー

それと、実家に帰ったら母から鳥肌が立つ程のとんでもない真実を知ってしまったのでもしかして後日お話しするかも...?