文筆歌手が結婚したってさ | y氏のy談

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表記の件ではありますが、その記事は僕の関心を思いのほか引き寄せることになった、何故だかは知らない、でも「何故だかは分からない」なんてことは日常茶飯事。

しかし、僕にとっては日常茶飯事でも他人からすればそんな気になることなんて全くおまへん、なんて言う人もいるかもしれないですし、その辺に関しては、これはとても個人的な問題で、しかしブログというのはとても個人的なツールであることから、その辺に関しては必要以上に思いをめぐらすことはないという風に認識している。

〈かわうえ〉でもなく〈みえいこ〉でもない、彼女の名前は「かわかみみえこ」という、みが連続する言いづい名前ではあるが、特に変わった名前というわけでもない、ありきたりというわけでもない、キラキラネームでもない、ただそこにあれば特に気を止めることもなく、ただ好きでゆくだけの存在、そんな名前が僕は個人的に好きだ。

$よっしーの戯言


川上 未映子(かわかみ みえこ、1976年8月29日 - )は、日本のミュージシャン、女優、文筆家、小説家、詩人。(wikipedia)

僕が川上未映子のことを知ったのは、いわずもがな芥川賞受賞の2008年ではなく、しかしながら芥川賞というものがそれを知るきっかけとなった非常に大きな要因ではあるけれど、ごく最近の2011年、いわゆる今年である(しかしながら今年と言えるのも後少しというのはとても感慨深いものがあって、2011年は僕に何をもたらしたのか、ただそれは単なる一年というくくりに多くの人が単なる年号というものに拘っているのに僕は疑問を抱きながらも浸食されつつあることを認める。)

僕がそのタイトルの書籍を手にすることになったのは、彼女が女優だからとか、芥川賞候補になったとか、早稲田大学坪内逍遥大賞の奨励賞を受賞したとか、その時の大賞が村上春樹だからとかはあまり関係が無くて、とにかくそのタイトルのセンスに引かれる部分が大きかったという風に今思えばそうなのだろうかと思うが、過去の記憶なんて取って付けることなんて簡単だし、だから僕はエッセイストなんてくだらない職業は滅びてしまえばいいとさえ思っている。

とにかくその「わたくし率 イン 歯ー、または世界」中から印象に残った文を抜粋させて頂く。
七月十九日晴れた 今日は、お前の世界はどんなですか?今「有る」このお母さんだって、今のおまえの状態でいたこともあったはずなのに、なぜかすっかり忘れているので、聞きたいけれど、難しそうですね。まだ「無い」おまえに話を聞くためには、いろいろんな問題があるような気がしますよ。

なすなすなすび、センスの塊り、言葉の選び方とテーマである歯、青木と痛みと大阪弁と抜ける歯、リズムと左利きの老人と三年子と懐かしいポーランドの映画と腐った耳たぶとソフトオンデマンド、三日月と満月と左利きの青年。

青年とは何歳までのことを言うのか、と、僕は考えたがもう自分がいつの間にか青年とは言える歳では無いのではないかという少年から青年を吹っ飛ばしてなにやらよく分からない臭いおっさんになる過程を生きているという実感も無い、ボタンも無いエレベーターに乗って、それは上がっているのかも下がっているのかも分からないけれど確実に動いてはいるようだ。

杞憂とは、〔周代、杞の国の人が、天が落ちて来はしまいかと心配したという「列子(天瑞)」の故事による〕あれこれと無用な心配をすること。取り越し苦労。杞人のうれい。

どこにもいくことのない結末がとてつもなく好きだ、人はこれをつまらないというが、僕からすればそんな人間はつまらない、と、個人的な価値観ではあるけれども僕もつまらない、でもこの本はトータルつまらなくはなかったと思う、ただ単純に疲れる、国語の教科書には絶対採用されることは無い、たまに疲れたところでの大阪弁が心地良い、だから僕はこの本を全く持って人にお勧めすることなんでしないしできないし、この本が売れようが売れまいがどうでもいい。

何が言いたいのかというと、川上未映子の本はだいたいこんな風にめんどくさい文体というわけです。