久しぶりに1人で昼間 散歩をしている。

 

アイディアが何も思い浮かばず、

どんな絵を書いたらいいかもわからない。

何をすればいいかもわからない。

どうやったら お金を稼げるかもわからない。

 

このままではまたサラリーマンに戻ってしまう。 

またあの地獄に戻ってしまう。

 

それが本当に嫌だから

無理をして、

何とか芸術の神様が僕にほほ笑んでくれないかと 願っているが、

そんなに都合のいいものでもないのだろう。

 



千住博先生が

「ヒントは自分の足元にある」

「僕たちは宝物の上に生きているんだ」

ということをおっしゃっていたので、

何か宝物があるかもしれないと思い、

 今公園の地面を見ながら歩いている。

 

松ぼっくりがある。 

落ち葉がある。

石がある。

小枝がある。

 

この石は45億年前にできた地球そのものであり、

 

45億年の歴史が詰まった宇宙のダイヤモンドである。

 

45億年前に惑星達が衝突し、 

この地球ができて、

その時からこの石は存在していて、

45億年の歴史をかけて

今僕の足元に 転がってるのだ。




 

そう思うと、石ってすごくないですか?

この大地ってすごくないですか?

 

ネイティブインディアンは土を掘ることができません。

だから 上にテントを立てて生活をしています。

 

「大地は未来の子供からの預かり物」という考えだからです。

 

しかし、人間は土を掘り、

コンクリートを流し続けています。

 

キリスト、ガリレオ、マーティンルーサーキング、ジョンレノンなど、

正しい人が殺されてきたのが人類の歴史であり、

 

愚かなことを続けていくのが 人間の歴史のようです。

正しいものは排除され、 殺され、

自然を壊し、大地を壊し、

人間が滅びの道に向かうのが

人類の歴史なのかもしれません。

 

そう思うと、なんと人間はどんくさいのでしょうか。




 

今、アヒルが湖から飛び立っていきました。

 

そんな現代で、僕は何をすればいいんだろう。何がしたいんだろう。 

本当は、芸術なんてやりたくないのかもしれません。

 

ただ、この自分のカオスを 

現代と適応するフォルムとして、

「芸術家」というフォルムが一番 適用していると思うからこそ、

それを名乗っているだけなのかもしれない。

 

本当は絵なんて作りたくない。

本当は毎日ぼーっとしていたいんです。

何も考えずにぼーっと散歩して、

 食べたい時に食べて、寝たい時に寝て、

ゆっくり自由な 生活をしたいんです。

 

でも、それでは生きていけない。

生きていくのは誠に大変だし、 

つらいし、厳しいし、大変なことばかりです。




 

あ、カラスが荒らした後のゴミが落ちているので、このごみは持って帰りましょう。

 

大谷翔平がごみを拾い、他人が捨てた運を拾っている 姿に習って、

僕も他人が捨てた運を拾って 幸せに大きくなっていきたいと思います。

 

生きていくのは誠に辛い。

誠に大変だ。

誠にやることが多すぎる。

 

なんで自分の世界に集中させてくれないんだろう。

集中できないようにする邪魔者で 世の中は蔓延しています。

 

それをどうかいくぐって自分になるか、

自分を見つけるか。

それも面倒くさい。もう疲れました。

 

 

誰かの言いなりになって、

言われた仕事をして、

自分と向き合うことも忘れて

 仕事に没頭すれば、

それは楽だろう。

考えなくていいんですから。

やらなきゃいけないことをやればいいだけですから。

 

それももうやりました。

社畜のサラリーマンもやったし

ジェラートの店長もやったし

バイトもたくさんしてきました。

 

そして、結局どれも続かずにやめました。 

 

だから、結局同じなんです。

 

やったとて、また やめるんです。

 

だから、自分の好きなことや

本当にやりたいことでお金を稼いで 生きていきたいけど、それもできない。

 

妻と結婚し、息子も生まれて、家族もいるので、

どうしてもやっぱりお金は 手取りで60万円は毎月稼がないといけない。

 

でも、一円も稼げていない。

 

僕はどうしたらいいんだ。

何をすればいんだ。

 

絵画教室でもやるか、 

個展でも開くか、

絵の学校にでも行くか、

ニューヨークにでも行くか、

トラックの運転手にでもなるか、

不動産の営業にでもなるか、

タイのマッサージの資格を取るか、

寿司シェフの資格でも取るか。

 

でも正直何もしたくないです。

 

 

今こうやってゆっくりと散歩をしながら、

この原稿を書いたり、

生きているありがたさを実感したりすることの方が、

僕にとっては幸せなことなんですよ。

 

怠け者ですよね、ぬるいですよね。

真剣に完璧主義で生きてる人からしたらふざけるなって話ですよね。

 

それももう何度も言われてきました。

何度も怒られてきました。

 

でもできないんです。

躁鬱の人は全部をチョコチョコやるのが健康の秘訣なんです。

一つをずっとやるとか、ちゃんとするとか、縛られた瞬間に、

抜け出しちゃうんです。

天邪鬼ですね。

でもそうゆう体質だから仕方ない。

これはそうゆう性質というだけであって、

その生き方が間違ってるとかではないんです。

 

全部完璧にやる正義もあれば

全部適当にやる正義もある。

 

だから、こうやってゆっくりと散歩をしながら、

この原稿を書いてお金を稼ぐことができたら最高なんです。

 

 

そう思って、 作家になりたいなと7年前に思って、書き続けてきてるんです。

 

でも、力作の原稿をたくさんの出版社に送っても、 

全然みんな見てくれません。

もっとたくさんの人に連絡をしてみたらいいんでしょうけど、それも疲れました。

 

断られるのが怖いし、毎回落ち込んでしまいます。

 

でも、成功する人は、結局成功するまでそこを乗り越えて、 

あきらめずに行動し続けた人だけということもわかってるんです。

 

だから、やり続けるしかない。

 

お父さんからも「がんばれ陽介!」と

メールを送ってもらったように

やっぱり僕もまだまだ諦める訳には いきませんね。

36歳だし、まだまだ動けるし、 若いし、何でもできるんだから、

生き抜くために何でもしなくちゃいけませんね。

 

答えは足元にあるんでしょうか。

 

この何げない石ころが崇高なものに変わるのでしょうか。

 

この小枝が崇高な何かに変わるのでしょうか。

 

でも、何か自分の魂の奥の奥から突き上げてくる何かきっかけを、感動を、

僕はやっぱり探しているんだと思います。




 

ロンドンのトラファルガー広場で、無料で 指輪を作ってる彼に出会って感動したように、 

岡本太郎に感動したように、

トム、クルーズに感動したように、

 

何かハッとさせられる感動する何かをずっと探し求めています。

 

でも、それはどこにあるんでしょうか。

 

いくら探しても見つかりません。

もう諦めたくなります。

諦めて しまいそうです。

そんなものも幻なのかもしれません。

 

何か世界で初めてのことをやろうとしている自分がいます。

みんなが注目する、はっと驚くようなことをやろうとしている自分がいます。

 

もしそれを見つけたいのであれば、

やはり自分自身に素直になって、 丸裸になって、

自分のすべてを、人生をかけて、

作品に込めるということに尽きると思うんです。

 

なぜなら、

この世でこれまでも、そしてこれからも、

 僕という人間はいないからです。




 

これまで何万年も 人類が生まれ変わり、生き抜いてきた数で言うと 

何千億や、もしかしたら何京の以上の人々が 今まで生まれては死んでいきました。

 

でも、全員違うんです。

同じ人は一人たりともいないんです。

 

そう考えると、

オリジナリティーというのは

結局自分自身になる以外ないんです。

 

自分の脊髄をどんどん掘っていくんです。

 

ああ、あああ。

 

僕は何なんだ。

何がしたいんだ。

 早くすっきりさせてくれよ。

何でこんないちいちもやもやするんだよ。 

 

そりゃ俺だってバチッと決めて突き進みたいさ。

その方が楽だよ。

でもそれができねえんだよ。

 

恐らく躁鬱病の性質の一種だとは思います。

 

精神科医の神田橋先生によると、

躁鬱の人は一つのことをずーっとやり過ぎると落ちてしまうので、 

何でも興味のあることは手にとってやってみるというのが一つの 健康の秘訣だとおっしゃっていました。

 

そして、僕もそれをずっとやってきているんですが、

食っていけないんです。お金に変わらないんです。

 

それとこの現実社会とのチューニングが全然会わないんです。

肝心なところが器用じゃないんです。

どうしたらいいのかもわからないんです。 

 

そして、妻にはブチギレられて、

働かなかったら離婚とまで言われ、落ち込んでいます。

 

 

どこにこの答えがあるのでしょうか。

お願いだから早く答えよやってきてください。

お願いです。

芸術の 神様よ。

僕にほほ笑んでください。

 

どこに答えがあるんですか。

足元ですか。

この大地の中ですか。

 

足りないものを埋めるのが芸術です。

 

芸術はコミュニケーションです。

 

見えないものを見えるようにするのが 芸術です。

 

今この世界に必要なものを作り、 そこから会話を作り、平和を作り、 調和を作るもの。それが芸術です。

 

うんうん。うん。うん。

 

この世にないものなんてないじゃないか。

全部あるじゃないか。

 

 

日本は、中国や韓国やポルトガルやオランダやいろんな大陸から、 

いろんな文化が混じり合って入ってきて、

それにいろんな調合が加えられ

調和がとれているのが今の日本です。

それを「和」と言います。

 

ある異質のものが

ある一定のルールの中で

上手に調和し、

ハーモニーをかなでる、

それが和であり、日本であり、

それこそ世界が目指すべき世界だと思うんです。 

 

つまり、日本は世界であり、世界は日本なんです。

 

そんな日本も今は窮地に立たされています。 

これからどうなるか分かりません。

みんな生活に苦しんでいます。

その中でも何とか幸せに生きようと

みんな 頑張って毎日生きてます。

そんな彼らに必要なものは、足りないものはなんなんでしょうか。

 

お金、

安心、

安定、

安らぎ、

豊かさ、

1人の時間、

ぼーっとすること、

愛情、

やさしさ、

勇気、

自信、

行動力、

祈り、

 

そういったところでしょうか。

 

じゃ、これらを芸術家として

僕はどんなふうにみんなに届けることが できるのでしょうか。

 

元気な人は外で遊んでたらいいんです。

でも、そうじゃない人には芸術が必要なんです。

 

芸術が必要な人に届けばいいんだと思います。

 

たくさんの人に届いたらいい。

それもエゴなのかもしれません。

なぜなら、たくさんの人に届けば お金が大きく動くからです。

 

そこには自分のエゴがあります。

でも、エゴもあっていいんです。 

当然あります。人間だもの。

利己もあれば、利他もあります。

 

僕の本当の優しさを 知ってる人もいます。

自分のことしか考えない赤ちゃんのような わがままな自分もいます。

両方いていいんです。

それも自分です。

 

でも、やっぱり今はとにかく妻に怒られたくないし、

 お金を早く稼ぎたいので、

早く色々自由に行動したいので、 

やっぱりお金が欲しいです。

 

じゃあ、人様からお金をいただき

ビジネスをするためには 何をしたらいいんだろう。

また同じ問答に戻ってきました。

 

お寿司ですか。タイマッサージですか。

 

本当に好きでついついやってしまうこと。

 

そんなことが 仕事にできたら、

僕はなんて幸せなんだろうと思います。

 




ラッパーのスヌープドックが言ってました。

「俺はお金持ちになる前に、とにかくラップが好きで好きでずっとやってたんだ。 

それをずっとやってたらお金持ちになっただけなんだ」

 

僕もそんな人生を送りたい。

もう自分に嘘をついて、

やりたくないことやって

器用に生きるのは疲れました。

 

もっと単純に、

素直に、

ストレートに、

まっすぐ、

実直に生きたい。

 

でも、それすらも僕は飽きてしまうんです。

だから、他のことをしたくなるんです。 

その時はそれをすればいいんです。

なんでもちょくちょくつまめばいいんです。 

そうやって生きていくしかないんです。

 

 

その中で、

どれかが

誰かの役に立ったり、癒しになったり、

背中を押したり、助けになるかもしれない。

それを信じてやり続けるしか

ないのかもしれません。

 

でも、そこで問題なのが家族です。

妻の我慢の限界もあります。いつまでも待ってくれません。

早く現金化しないと。

妻の限界が突破したら、

またそれはそれで新たなフェーズに入っていくことになります。

 

でもやっぱり 自分が信じた愛は貫きたいし、

妻のことは大好きだし、息子も大好きだし、家族と一緒に やっていきたい、乗り越えていきたいと思います。

 

そりゃ離婚して一人になりたいなと思う時も何度もありますよ。

でもその度にどうせまた家族欲しくなるんだろうなと思うんです。

 

だから結局後悔するような気がするので、

離婚もできずにいます。

 

はぁ。どうしたらいいのかもわからない。

何をしたらいいのかもわからない。

 

snsをやればいいと優しくアドバイスをくれた友達の言うことも聞くことができない。

どうしようもない男です。

 

結局、自分が好きで、自分がやりたいように生きていきたいだけの 赤ん坊の男です。

 

それで何度も怒られてきましたが、結局変わらないってことは、

結局 そういう自分でいたいんだと思います。

 

そして、そんな僕でさえ、

変わるきっかけが「感動」なのです。

 

そういったくだらない僕の思考を乗り越え

「感動」をもたらしてくれるものには、

僕は純粋に従ってきました。

 

感動が起爆剤なんです。

しかし、それは 頻繁に来てくれるものではない。

 

一年に一回か10年に一回の時もあります。

本当は毎日、毎瞬間ごとに感動はあるはずなのですが。。

 

しかし、その感動の鮮度が落ちると、また落ち込んで、 また新しい感動を探し始めるんです。

 

毎回お金に変わればいいですよ、

でも、お金に変えるほど突き詰めたり、 器用にやることもできないんです。

全部が中途半端なんです。

 

完璧主義の妻には毎回怒られますけど、

僕だって 完璧にやればいいってことぐらいわかっているんですけど、

でも毎回できない。

 

だから僕は成功しないかもしれません。

スーパースターになれないかもしれません。

 

そんな人が表舞台に立つべきではないのかもしれません。

 

そんな中途半端な人間を誰が応援しますか?

 

中途半端ながらも 必死に生きて、

必死に何とか

世界平和のために、

未来の子供のために、

この人類と宇宙のために、

良くなることをしているからこそ、 

みんな応援してくれるんです。

 

結局、自分が幸せになりたくて、

自分のために生きてるんです。

「自分ではなく人類を主語にして物事を考えて見たらいい」

というアドバイスも友達からいただきました。

 

それも昔からやってるんですが、何周もして結局また自分に戻るんです。

 

全部が中途半端。

完成や成功まで 辿り着くことができない。

途中で諦めてしまう。

いくじなし

ハンパ者。

 

まあつまり結局やる気がないというか、

そこまで本気じゃないっていうことだろうし、

まー結局自分の見栄や世間体や

みんなに褒められたかったり、

かっこいいと思われたかったり、

すごいと思われたい

という珍気な理由だけでやってるからこそ、

中途半端に 終わってしまうんだと思うんです。

 

何かそれが本当に必要だから、 

人類に本当に必要だから、

自分の人生に本当に必要だからこそ

やるものであれば、

世界が敵になろうが僕はやり続けるはずです。




 

キリストは十字架になって 死んでさえも自分の哲学を信じ抜いた。 

だからこそ今のキリストがあるんです。

 

自分自身を信じ抜いてこそ

それは未来の子供へのダイヤモンドのプレゼントになるはずなんです。

 

それこそ世界平和の一手になると思うんです。

 

それこそ

人類のため、未来のため、子供のためになると思うんです。

 

だからそれをやってるのに、

世間はそれを邪魔ばっかりしてくるんです。

 

「そんなこと言ってないで仕事しろ」

「働け」

「snsしろ」

「育児をしろ」

「子供から目を離すな」

 

みんな僕の邪魔ばっかりするんです。

 

それに抵抗するのにも疲れました。

 

今まで36年抵抗し続けて中野陽介を純粋を貫いて生きてきたけど、

 もう疲れました。

 

 

どこまで神様は僕を追い込めば気が済むんですか。 

もういいでしょう。

もう十分です。

もうよくわかりました。

 

もうよくわかったから、

もういい加減v字回復させてください。 

もういい加減、答え見せてください。

もういい加減、僕を楽にさせてください。

もういい加減、次のステージに行かせてください。

もういい加減、お金で困らないように させてください。

もういい加減、僕の自由を返してください。 

もういい加減、僕の才能を100パーセント開花させてください。

もういい加減、邪魔しないでください。

もういい加減にしてください。

 

もうわかりましたから。

もう十分です。

本当にもう十分です。

 

だからお願いです。

僕に答えを教えてください。

 

僕に感動をください。

 

その感動は、自分で探して動いて見つけるしかないのでしょうか。

そんなことずっとやってきましたよ。

でもまだ見つからないから怒ってるんですよ。 

 

でも果たしてそれ本当にあるんですか?

これだけsnsや色んな情報がはびこってる中で、

まだみんな迷ってるってことは、

その中には本当は答えないんじゃないですか?

 

本当の答えと感動は外にはなくて、

自分の中にしかないんじゃないですか?

僕はそんなふうにも今思ってます。 

 

どこにあるかなんてわかりませんよ。

分かったらみんなあっという間に幸せになってるんです。 

でもそれがいつ出会うかもわかんないし、

どこにあるかもわかんないから、

みんなもがき続けて、

苦しみ続けて、

我慢し続けて、

耐え抜いて、

今日しっかり生きてるんですよ。

 

神様、早くみんなに答えを見せてあげてください。

もうみんな我慢の限界の時です。

 

みんな答えを待ってます。

早くみんなの元に答えを届けてあげてください。

 

僕でいいのならその役を授かります。

芸術家として あなたの答えをみんなに届けますので、

まずは僕に答えを見せて、僕を楽にさせてください。 

まずは僕を幸せにしてください。

 

まずは僕がお金を稼いで、色んな人と繋がって、海外で生活をして、

 好きなような生活をさせてください。

 

そしたら神様の為に、 

人類のために、

みんなのために、

いくらでも働きますよ。

この命が尽きるまで、思う存分働きますから。

 

まずは僕を幸せにしてください。

 

神様への祈りです。切実な願いです。

 

答えを待ってます。

できるだけ早めにお願いいたします。

 

いつもありがとうございます。

 

僕の真面目さと誠実さと、愛情深さ、やさしさと、魂のレベルの高さは、

神様がご存知のとおりです。

もうわかりましたから。 

もう最終関門を突破しましたから、

もうここからは、ぜひ、楽で、楽しくて、ぐんぐんと大きく伸びていく最高のフェーズに入らせてください。

 

よろしくお願いいたします。