岡村裕太へのラブレター

 

 

たくさんの人に岡村裕太という男の素晴らしさを知って欲しいので、

彼に向けたラブレターを送らせていただきたいと思います。

 

裕太と僕は19歳の時に出会ったので

今年で17年目になります。

今思うと19歳という速さで彼に出会えたことが

僕にとって1番の幸運でした。

 

「惚れた人に癒着する」

というシンプルな思考構造をしている僕は、

10代の頃2人に惚れました。

 

1人目は13歳中学校で出会ったまーちゃん。

矢沢永吉のようなカッコつけを貫き通す所と

僕にはないリーダー力に魅了されました。

 

そして2人目が裕太です。

新宿にあるNICと言う留学のための英語学校に

通い始めた時の同級生が裕太でした。

共通の知人まこっちゃんが

同じ映画好きということで

僕に裕太を紹介してくれたところから

物語は始まります。

 

 

 

  はじめまして

 

僕は俳優になりたくて

裕太は映画監督になりたかったので

学校の映画クラブの同じメンバーということで

僕と裕太がはじめて会った時は

「映画オタクっぽいなあー、

でも俺の映画愛には敵わないだろう」

くらいの第一印象でした。

 

しかしそこから彼はメキメキ頭角を表し、

僕は彼に惚れました。

 

感動したポイントは次の通り。



 

 

  裕太に惚れた7か条

 

  1. 映像制作に関する用事のために2人で歩いていた時、サっと走りだした彼の背中を見て「僕より映画を愛する男がいた!」とハッと感動した(悔しかったけどw)
     
  2. 地面すれすれの映像を撮るために路上にすぐ寝そべりカメラを覗く姿を見た時(汚いと思ったけど、そんなことよりも映像を最優先するその姿勢に感動した)
     
  3. 映画に対する深い愛情と深い知識に感動した(映画のメタファ、プロパガンダの意味、制作舞台裏の面白話など、どれも目がキラキラするような話ばかりでワクワクした)
     
  4. 3歳の時にゴジラに出会い、それ以来ずっと映画が大好きで、ずっと映画監督になりたいと一途に想い続けているその純粋さ、素直さ、シンプルさ、大胆さ、豪快さ、勇気、人間力の美しさに感動した
     
  5. 彼の映画に対する愛情と情熱の火は僕以外にも伝わり、彼の周りにはいつも7人の同級生が映画スタッフとして彼の制作を支えていた。人を惹きつける彼の熱の魅力に感動し、影響受け、僕も燃えて、やる気が出てとても楽しかったから。
     
  6. 侍のように鋭くもなれるし、トトロのようにゆったりともできる。その振り幅と世界観の広さが素敵。エンタメアクション映画も撮れるし、シリアスドラマ映画も撮れる。スラムダンク流川のように底が知れない男。
     
  7. 映画監督になるために、美術部部長になるほどに絵を極め、剣道部の部長になるほど侍スピリットを持ち、中学生の頃から映画を撮っていたという行動力に感動した。
 
彼に惚れるポイントが重なり、
僕はますます彼に癒着していきました。

 

 

 

  いざ、映画の都・ハリウッドへ!

 

映画の都・ハリウッドがあるロサンゼルスへ、

裕太とまこっちゃんと僕は留学しました。

はじめの1年は3人でルームシェアをしていました。

 

意見がぶつかることもありましたが、

物の整理やお金の管理はしっかりするし、

素直で真面目で純粋で優しくて

信頼できる男だなぁと

一緒に住んでいて思いました。



 

  最高の映画監督デビュー

 

そして渡米2年後、

彼は映画学部の名門私立大学USC(University of Southern California)に

高倍率の中、見事入学することができたのです。

 

USCとはジョージ・ルーカス、スピルバーグ、

マイケル・ベイ、ロバート・ゼメキスなど、

映画監督の巨匠たちが卒業した

映画学部全米Top5に入る有名な大学です。

 

だからこそ高倍率なわけですが、

そこにアジア人として

英語も片言の日本人が入学できたという事は

彼のプレゼン資料とこれまでの功績が

評価されたのでしょう。

 

 

お金も大変です。

年間1000万円かかります。

それができたのは、

親が素晴らしかった証拠です。

 

それは倍率からすると奇跡のような事でしたが、

間近で彼の才能を見ている僕からすると

当然だろうと思いました。

 

そしてこれが彼の華やかな

映画監督デビューとなるのです。

 

授業の課題として

6本の短編映画を作ることになり、

僕は3本は主役、2本はエキストラ、1本は雑用係として

参加させて頂きました。

 

ハリウッドで、

外国人達と一緒に

映画制作をした体験は

それはそれは大変に嬉しく

豊かな時間でした。

 

 

僕と裕太は、心の中で

ガッツリとハグをし、

ハイタッチをし、

強くこぶしを握りしめて

ガッツポーズをしていました。

 

裕太は19年

僕は7年の時を経て、

ようやくやりたかったことができたのです。

しかも本場で。

これほど嬉しい事はありませんでした。

 

USCの映画各部には

映画に関する深い愛情と幅広い知識を持った

80歳になる仙人のような名物教授がいるのですが、

そんな名誉教授が

僕を名指しで褒めてくれました。

 

「彼の演技はいいね。いい役者だ」

それは僕にとって

何よりも嬉しいプレゼントでした。

 



 

  最高の大学デビュー&勝利

 

「中学デビュー」「高校デビュー」

などと言いますが、

裕太は完全に

「大学デビュー」でした。

 

山口県の田舎で

1人だけになっても

不登校になっても

家族に理解されなくても

 

映画の愛情を捨てずに

磨き、守り、育て続けた彼にとって

日本の学校の中で

デビューできる場所はありませんでした。

 

しかし、学生生活最後の大学2年間で、

今まで裕太のことを

散々馬鹿にしてきた人たちを

全員ごぼう抜きにし、

圧倒的な圧勝で、

彼は見事に大勝利を収めたのです。

 

 

その姿はまぶしすぎて

直視できないほどでした。

 

全身から発光しており、

彼の太陽が熱く強く、

美しく豊かに輝いていました。

 

そんな彼を見ていた僕は

嫉妬もしたし、いいなーとも思いましたが、

ここまでくると

もはや賞賛と尊敬が勝り、

ただただ嬉しくて拍手を送っていました。

 

「どんどんいこう」と言葉をかけ、

僕が手伝えることはなんでもやりました。

 

19年間今まで耐え抜いてきたからこそ

最後の最後に、

神様は最高のご褒美を

裕太にプレゼントしてくれているように見え

「神様ありがとう」と

僕は思いました。

 

映画学部の同級生全員が彼の才能を認め、

彼を応援し評価していました。

 

彼にとってこれほど嬉しくて、

これほど待ちに待った環境は

なかったことでしょう。

 


彼はどんどん自信をつけ

天狗になっていきましたが、

僕はそれも優しく見届けていました。

「頂点までいってこい!」

そんな気持ちでした。

 

白人と黒人の女性と恋愛をしたり、

同級生の人たちとキャンプをしたり、

スポーツ観戦したり、

撮影で世界中を旅したり、

いろんな体験をして

彼の世界観と創造性と芸術性は

さらに大きく豊かに美しく広がっていきました。

 

果たして、これほど広く豊かな

経験をしたことがある

日本人映画監督が

いたでしょうか。

 

 

  デビュー後の葛藤

 

大学卒業後

裕太はフリーランスになり、

12年ロサンゼルスに滞在し、

映像作家として撮影で世界一周したり、

受賞多数、著名人との撮影多数、

映画監督として、

どんな映像も撮れるように

誰よりも経験を積んできました。

 

彼に早く映画を作らせてあげたい。

 

1本目から直球ストレートいきたいので、

希望価格は

120分映画で2億円の制作費です。

 

もしくは

1本目は30分映画で1億円

2本目は60分映画で3億円

3本目は120分映画5億円

 

というスタートもありです。

 

彼は映画を決して諦めません。

映画への愛情は消えません。

映画を作りたいという野心は魂の中で燃え続けています。

 



いつかくるその時に備えて、

毎日台本を書き、

絵コンテを描いています。

 

周りから何と言われようと

彼は信じ続け、

今日も部屋で

原稿を書いています。

 

その背中が美しい。

勇ましい。

 

勇者の背中であり、

革命家の背中であり、

賢者の眼差しであり、

芸術家の佇まいであり、

巨匠映画監督の姿

そのものだった。

 

 

  裕太の夢

 

将来の夢の話になった時、

彼はきれいな笑顔で

僕とカズちゃんに

語りかけてきました。

 

・アカデミー賞に立ちたい

・3大映画祭にちゃんと受賞するような作品を作りたい

・映画史に残る作品を作りたい

 

それができるなら死んでもいいと。

 

ネットで拾ったアカデミー賞の写真に、

顔の部分を自分で切り抜きし

スライドショー見せてくれた時の裕太の眼は

子供の瞳のように美しく輝いていた。

 

思い続けられる事も素晴らしい才能であり、

想い続けられるからこそ大きな夢も叶うのです。

 

彼をずっとそばで見ていてそう思います。

 

彼は3歳から祈り続けている。

だからいつか

どうせ叶うのです。

 

どうせ夢は叶うし、

どうせ最高の1本作れるから

安心して自分のペースで行こうぜ。

 

でももうそろそろ

まずは1本取ろうと

たまにプッシュしています。

 

 

 

  岡村裕太のセールスポイント

 

映画にお金を投資してくれるかもしれない

セレブに出会った時のため、

僕が裕太を売り込む時の練習をしておきます。





1. 監督プロフィール

 

岡村裕太 

1988年、山口県生まれ。

2011年、University of Southern California 映画学部卒業。

映画監督 映像作家 Studio One Film 代表取締役

 

12年ロサンゼルスに滞在、撮影を通じて世界一周、ホームレス体験、車中泊体験、外人との恋愛など、

さまざまな経験をして彼の映画芸術を深め続けている。

受賞歴多数。著名人との撮影多数。

 

1991年

3歳の時にゴジラを見て映画監督を志す
2009年

映画学部名門大学USCに入学 6本の短編映画を制作 絶賛され受賞多数

2013年 

お金に困り、車中泊&ホームレス生活を送る

2015年

撮影で世界一周

2020年

拠点を東京に移し、日本と海外で活動中

 

 

 

 

2. 映画タイトル案

 

「〇〇〇〇」(考え中)

 

 

 

3.  この映画を一言で言うと?

 

スカッとして、見終わった後に笑顔になるようなアクション映画

 

 

 

4. この映画が観客にもたらすものは何か?

  • アクション映像によるジェットコースター映像体験
  • 深い、社会的な、哲学的なメッセージも部分的にあってもいいが、ないエンタメ娯楽映画の方が得意です。
  • 2時間の楽しいエンタメ体験

 

 

5. 裕太しかできないと言い切れることはなにか?

  • 3歳から想い続けている映画の愛情
  • 世界中どこでも撮影できる身軽さと経験値
  • アクションエンタメヒーロー映画でちゃんとヒットさせることができる
  • シリアスなドラマ映画も撮れる幅の広さ
  • 彼自身の広い体験とそこから紡ぐメッセージ

 

 

6. なぜ「裕太」が「映画」を作ろうと思ったのか? いきさつ、ストーリー

 

3歳の時に

ゴジラを見て感動したのがキッカケです。

 

そこから周りから誰も理解されないまま

1人でずっと映画の愛を

守り磨き育て続けてきました。

 

映画の都ハリウッドにも乗り込み

たくさんのことを学ばせていただきました。

 

そして気が熟し、

私も2時間映画のヒット作を作る

準備が整いました。

なのでこの企画が始まりました。

 

また、企画を

外国人や知人に話してみると

リアクションがとても良く

 

「それはいいね!」

「それめちゃくちゃ見たい!」

「一緒にやろう!」

 

とみんな言ってくれます。

その言葉も僕の背中を押してくれ、

この企画が動き出すことになりました。

 

 

 

7. 観客ターゲット

 

難しくて難解なアート映画ではなく、

スピルバーグ映画やジブリ映画のようなエンタメ映画なので、

若い人から年配の人まで

幅広く楽しめる映画を作りたいです。

 

見たら元気になるような、

見終わったら生きる活力が湧いてくるような、

そんな映画を作りたいです。

 

こんな人に見てほしい

(元気が欲しい人、自信や意欲がない人、スカッとしたい人、現状に不満な人など)

 

 

 

 

8. 予算案

 

30分 映画5000万円

60分 映画1億円

90分 映画3億円

120分 映画5億円

 

希望予算ですが、

いかようにも変更できます。

 

安くても作れますが、

やはりお金はかけた分だけ

傑作が作れますので

予算は多いほど嬉しいです。


映画がヒットしたら

1.5 〜 2倍の投資額をお返しできるように致します。

 

 

 

9. 類映画

 

  • ゴジラ
  • ウルトラマン、
  • 仮面ライダー、
  • マトリックス、
  • 七人の侍、
  • 太陽を盗んだ男
  • バットマン、ダークナイト
  • ブレードランナー、
  • 2001宇宙の旅 など

 

 

10. 納期

 

 早いほど嬉しいです

 

 

 

 11. 自己PR

(本人に成り代わった陽介が勝手に書いています)

 

私は未来の黒澤明になり、日本のスピルバーグになる男です。

私がゴジラを作れば、歴代1番のヒット作にする自信があります。

 

映画に対する愛情は誰にも負けません。

ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダー、

自分のオリジナルのヒーローの映画を

作らずして僕は死ねないので、

関係者の方々、何卒よろしくお願いいたします。

 

たくさんの経験をしてきました。

経験の広さでいえば

日本人映画監督の中では

ダントツ1位だと思います。

 

最高に面白い映画のアイディアもあります。

企画書も絵コンテも作ってます。

 

世界中で撮影してきたのでどこでも撮影できます。

協力してくれる制作スタッフたちも

世界中にたくさんいます。

 

もう準備は万端です。

 

そのために33年間

一度も諦めずに修行してきました。

 

後はお金だけです。

投資してくれる皆様、

作品をヒットさせて

必ず倍にして返します。

 

未来の黒澤明、日本のスピルバーグに投資すると思えば

不足は無いはずです。

 

世界が僕の映画を待っています。

その時、日本映画界の夜明けがきます。

 

岡村裕太を今後とも

どうぞよろしくお願い申し上げます。

 



 

  アジア1大きな映画祭釜山 Film Festival 2023に参加

 

2023年、韓国の釜山(プサン)で行われた

アジア1大きな映画祭「釜山フィルムフェスティバル」に

裕太は招待され参加した。

 

その中で

若手の映画監督たちが

自分のアイディアをプレゼンし合うイベントに参加した時のこと。

 

 

1人の持ち時間は5分、

20人ほどが参加し、

裕太は10番目だった。

 

彼がプレゼンするまでは、

会場も静まった雰囲気だったが、

彼がプレゼンを始めると、

空気が変わり、会場が沸いたのである。

 

彼が楽しそうに、

純粋に

意気揚々と

自分が構想している怪獣映画の話をすると、

視聴者の目の輝きが変わり、

顔つきがほぐれた。

 

それまでは誰も手を挙げなかったが、

裕太の時は5人が手を上げ

質問をしてきた。

 

イベント終了後も

たくさんの人が話しかけてくれ、

インドネシア、ベトナム、タイ、

韓国、オーストラリア、アメリカ、フランス、

たくさんの映画関係者と知り合いになった。

 

「会場を沸かせてきたよ!

You're visual artist. と言われた。話を聞いてて映像が見えると。

たくさんの同志、仲間、熱い夢を持つ若手の映画監督、関係者たちに出会えた。

だからもういつでも映画を作れる。

後はお金だ」

 

何か大事なものを得たような爽快な顔になって、

彼は東京に戻ってきた。

 

僕はそれを隅田川沿いを散歩しながら聞いてて

拍手をして賞賛しました。

「いいね!最高!それそれ!どんどんいこう!みんな待ってるよ。get readyだよ」

 

そして彼はアトリエに戻り

映画の脚本と絵コンテを

コツコツと描き始めた。

 

明日はフランスとドイツのトップの映画プロデューサーと

会うことになっている。

 

 

  僕の人生を変えた裕太の絵

 

彼は若い頃に

黒澤明の映画を見て

感銘を受けました。

 

映画監督になるためには

映像の色彩や構成を学ぶために

絵が描けないといけない。

 

そう思った彼は

絵を描き始めました。

 

元々器用なので

美術部の部長になり、

絵の才能も評価されました。

 

そして僕が彼と出会って2年目の時に

彼は1枚の絵を描き始めました。

 

それは鉛筆で描かれた

北野武監督の自画像でした。

 

 

鉛筆で描いたとは思えないほど

細かく丁寧に写真のように描かれている。

 

その絵を見て僕はとても感動しました。

と同時に、瞬間的に悟ったのです。

 

「隣にここまでのクオリティーの絵を

描ける人がいるのなら、

僕は真逆の道を進まなければならない。

上手さはもういいから、

逆にどんどん下手に絵を描こう」

 

そう思いました。

 

彼の1枚の絵が

僕の芸術の方向性を

導いてくれたのです。

 

 

 

 

  翔ぶ時がきた

 

そんな彼もついに

鳳凰のように

優雅に飛ぶ時が来ました。

 

「愛より美しいのは待つこと」

 

彼の周りの皆は

その時をずっと待っていたのです。

 

親も家族も厳しいことも言いましたが

結局は裕太の夢を

ずっと応援して待ってくれています。

 

彼の周りの友達もみんな彼を待っています。

彼が動き始める時を

みんな待っています。

世界が待っています。

映画館は待っています。

 

ピアニストのフジコヘミングウェイが、

「自分(の成功)にふさわしい時期がくるまで

ひたすら待つということも大切なこと」

と言っていました。

 

確かに出番はある。

焦ってはいけないこともわかる。

時は必ずくるから

じっくり待つこともわかる。

 

でもいてもたってもいられない。

動かないと。

 

「運も実力のうち」

確かにそうだろう。

人それぞれ学ぶペースもあるし、

課題も違う。

みんな違って、みんないい。

 

早ければいいというわけではないことも

よくわかっている。

 

その人にとって

ベストのタイミングで

人生は動くようになっているのではないか。

 

彼を見ていると

そんな風にも思えてくるのです。

 

 

運もある。

充分に修行もしてきた。

機は熟した。

だからまずは一本だ。

 

その時は近い。

 

それは

33年前から

動き出しているのだ。


岡村裕太公式ホームページ: yutaokamura.com

(彼の美しい映像をご覧ください)