親友であり、同志であり、未来の日本の映画界の巨匠・岡村裕太が

一冊の冊子をくれると共に僕に提案してくれた。

 

「陽介、この演劇学校に行ってみたら? もったいないよ」

 

冊子とは奈良橋陽子さまが主宰されてるUps academy アップスアカデミー

という演技学校の案内パンフレットだった。

これがキッカケで僕はアップスアカデミーを知った。

主宰者が陽子さんという名前にも引っかかった。

うちは僕が陽介、妻が陽子、息子が陽太の太陽一家であり、

「陽」の運命を名前に背負う人はもれなく大好きだし、尊敬するし、共感するし、仲良くしたいと思うし、協力しあいたい、助けたいと思うからである。

 

はたしてどんな女神様なのだろう。

お写真を拝見すると優しさと強さと厳しさを持つ器用でエレガントな女神さまのようだ。

 

神様への礼儀と尊敬と信頼を込めて

はじめて会う時はちゃんと背筋を伸ばして、身だしなみを整え、自分を端的に表現できるように

事前に準備をしておいた方がいい人だと思い、

オーディションで5分の一人芝居を陽子さんに見せる設定で原稿を書いてみた。

カイエンを運転しながら

口頭で即興劇が生まれた。

 

それが以下の通りである。

 

 

本番のチャンスを掴みたければ

準備は絶対に欠かせない。

 

これも世界の法則の一つです。

 

僕の準備を赤裸々に見せることで、

誰かの勇気になれば幸いです。

 

 

◆◆◆◆◆

 

司会者「それでは陽介さん、5分間のモノローグ(一人芝居)よろしくお願いします」

 

陽子さんがじっと僕を見つめ始める。

 

陽介「(一礼)はい、よろしくお願いします」

 

 

『僕がこの場所に辿り着くのには24年の歳月がかかりました。

それは僕が12歳の時から物語は始まります。

父は映画好きで、よくTSUTAYAで映画をかり、

夜な夜な部屋を暗くして映画を見ていました。

反抗期に入り始めた多感な12歳の僕は、その父の背中を見て不思議に思いました。

「大人があれほど夢中になる映像の中には何があるんだろう」

そんな疑問が僕の映画との最初の出会いでした。

 

時はハリウッド映画全盛期

トム・クルーズ、トム・ハンクス、ブラットピット、

ミッション・インポッシブル、マトリックス、フォレストガンプ、ファイトクラブ、ジュラシックパーク

映画史に残る最高傑作がどんどん生まれていた時で、

僕は映画に心底感動しました。

 

映画って素晴らしい。

自由で、最高に贅沢で、とにかくスゴイ。

 

映画の中には無限の自由と可能性が秘めている。

 

それに魅了され、僕は映画に興味を持ち始めました。

 

僕は中学生になり、

ちょっとイケメンで、高身長だったこともあり、

人生で始めてモテ期を体験したのも影響し、

俳優に興味を持ち始めました。

 

そして15歳高校生になったとき、

自分でネットで検索して、

学生向けの500円の演劇体験ワークショップに

応募しました。

 

そこで実際に演技の素晴らしさと楽しさを体感し、表現の自由さと可能性にムチャクチャ感動し、

最後に主催者の方から

「陽介君、君は才能があるから続けてほしい」

と言ってくれたプレゼントは今でも大切に魂の引き出しに保存しています。

 

そこから「もっと演技をやりたい!」と思うようになったので、劇団をネットで探し始めました。

ゆるそうで楽しそうな劇団を探していて、

一個見つけたのですが、18歳以下お断りと書かれていました。

ダメもとで16歳の僕が劇団長にメールすると、

気に入って頂き、なんと入団させて頂けることになったのです。

 

この時、「情熱はルールをすり抜ける」という大事なことを学べました。

 

人生豊かな劇団員たちと触れ合い、

ゲリラライブをしたり、結婚式の余興で劇をしたり、しっかりとした舞台演劇をしたり、

さまざまな演劇体験を2年間させて頂きました。

その分学校の成績は落ちましたが気にしていませんでした。

 

評価も受け、自分でも手応えを多少は感じていたので、

高校卒業後ももっと演劇の世界を突き詰めたいと思うようになりました。

 

なので、映画の都ハリウッドがあるロサンゼルスに留学することを決めました。

 

20才、意気揚々と根拠のない自信だけを頼りにハリウッドに乗り込みました。

 

たくさんの学生映画や映画制作を体験し、

主演や助演やエキストラや制作スタッフなどを体験させて頂きました。

オーディションを受けまくり、

演技の教授たちにも高く評価されたりもしたので、

諦めずにこのまま行けば本当にハリウッド俳優になれる可能性も見え始めてきました。

 

そんな矢先に僕は人生で初めて鬱になり、

ドン底に落ちて俳優を諦めてしまうのです。

理由は3つあります。

 

1

「背伸びする自分に疲れた」

理想の自分の俳優像を演じ続けることに疲れてしまいました。息抜きの方法も知りませんでした。

 

2

「表現が狭すぎた」

演技で表現できることはオーディションの数分や本番の数秒程度。しかも自分が言いたいセリフでもない。

本当は100表現したいことがあるのに、2くらいしか表現できない環境が狭くて苦しくなりました。

表現を広げられるように舞台にたったり学校に通ったりすればよかったのかもしれませんが、お金もなく、英語力も不足しており、その気力も起きませんでした。

 

 

3

「迷いだした」

8年間俳優を目指して突き進んできたのに、本当に僕は俳優になりたいのだろうか? これが適職なのだろうか? と迷いだしました。

一度疑いだすと全てが崩れ始め、不安になり、鬱に入ってしまいました。

 

鬱のどん底の時に出会った一冊の本、

岡本太郎著「今日の芸術」によって

鬱が晴れ、芸術家になることを決意し、画家になることになりました。

絵は14年描き続けていて、

路上で世界中の人に絵をプレゼントする活動を6年前に始めて1万人突破しました。

 



今は3歳の陽太の主夫をしながら作家に転身しています。

 

俳優を諦めてから15年が経ちました。

やるなら監督をやりたいし、ハマり役があれば演技もやりたい。

だけど自分から始めるほどやる気もない。

だから自分でも放っておいたのですが、

友の裕太が言うのです「演技やろうよ。もったいないよ」と。

 

これは重く受け止め、このオーディンションに応募させて頂きました。

 

 

正直に言いますが、有名になるのが怖いです。

まずは20万人規模のコミュニティーを作ることが僕のゴールです。

一人でギリギリ届く共同体の大きさが大体20万になるという社会学研究結果からの引用です。

 

知名度も一気にドカンではなく、ジンワリ大きくなりたいです。

ハリウッド俳優級の知名度は入りません。地元のメディアだけ出るとか、

そこもうまく操縦しながら大器晩成型で人生設計しています。

 

陽子さんはじめ、アップス関係者はみんなプロの方ばかりだからこそ、

こんな半端な気持ちでアップスに通っていいのかという不安は隠せません。

 

それもアップスの会場の空気に触れて、陽子さんにお会いして、

この場に立ってみないとどんな化学反応が起きるかはわからないので、

今回勇気を出して応募させて頂きました。

 

どちらに転んでも僕は大賛成です。全てを受け入れます。

 

同時に最後に一つ懸念する点もあるのです。

 

僕は人生を大器晩成型ずっと螺旋登りタイプに設定していて、

現在の僕のレベル100(ゴール、最終目標)は次の通りです。

 

・1億冊本が売れた

・1万人ライブ祭の開催した

・100メートルの彫刻を作った

 

このゴールを達成するためには知名度が必要で、

そのためには俳優、映画という道もあっていいし、

僕は元々映画と演技が好きから全てが始まったので、

そこは情熱を絶やさず続けていきたいという想いは当然あります。

 

しかし今は歌手のAdoやVtuberのように顔出しせずに有名になれる方法もあるので、

両方を上手に使いながら中野陽介という作品を作っていきたいと思っています。

 

でも最後の覚悟がまだ決心できていません。

 

だからこそ陽子さんのようなプロの方とお会いしてどんな反応になるのかを見たくて今回このオーディションに応募させて頂きました。

 

優しくて穏やかで器用でドジでマヌケでバカで一人大好きで逆たまで天才で最高にカッコいい中野陽介と申します。

生まれは福岡、長男、AB型、真ん中で輝く太陽になり、民を救うという意味を持つ名前の通りに生きてきやした。

太陽の芸術家改め今まで誰も見たことのない大傑作・中野陽介を作っているアーティスト、中野陽介と申します。

 

以後お見知り置きのほどどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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(パチパチパチ)