大正天皇の絵葉書 | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 大正天皇の絵葉書

 大正天皇の誕生日は1879年8月31日ですが、大正時代の“天長節”の公式祝賀行事は、10月31日の“天長節祝日”に行われていました。これは、祝賀行事を行うなら、残暑の厳しい時期を避けて気候の良い時期にしたほうが良いという大正天皇の意思によるものです。人間の誕生は、時期を人為的にコントロールするのは難しいので、どのような日が誕生日になっても、そのことじたいはやむを得ないのですが、大正時代の“天長節祝日”の例を見ていると、国民生活に多大な影響を及ぼす天皇誕生日に関しては、祝日の設定はフレキシブルに対応しても良いのではないかと、ついつい、考えたくなります。今上陛下に対する敬愛の念とは別の次元で、「年末の12月23日が祝日となっているのはかなわんなぁ」というのが、おそらく多くの国民の本音ではないでしょうか。


 さて、大正天皇に関係する切手は皇太子時代のご成婚・即位の大礼・銀婚式の3回発行されています。このうち、大礼と銀婚式に際しては、当時の逓信省は官製の記念絵葉書を発行しているのですが、銀婚式の絵葉書には、天皇ご夫妻の肖像がしっかりと取り上げられています。(画像は、その絵葉書に記念切手を貼って記念スタンプを押したもの)


 大正天皇


 「切手は消印が押されるものだから、天皇の肖像を取り上げるのは不敬だ」というロジックは、天皇の肖像を切手に取り上げることに反対する勢力が常々持ち出す論法です。イギリスでエリザベス女王の肖像が切手になっていることを批判するイギリス人がほとんどいないということを考えれば、こうした論法がいかに馬鹿げているか、よく分かります。少なくとも、皇室に対して自然な親愛ないしは敬愛の情を持っている大半の国民は、皇室の慶事があれば、陛下なり皇太子殿下なりの肖像の入った切手が発行されたほうが良いと思っているのではないでしょうか。


 今回ご紹介しているのは、切手ではなく絵葉書ですが、考えてみれば、絵葉書だって、本来は郵便に使われ、配達の途中で汚損するわけですし、当時はこのように切手を貼って記念スタンプを押すということが広く行われていました。したがって、こうした絵葉書が発行されたということは、戦前期の日本でも、その延長線上に天皇の肖像を取り上げた切手が発行されたかもしれません。少なくとも、大正期のおおらかな時代思潮が続いていたなら、そして、日本が無謀な戦争に突入せず、敗戦もなかったら、昭和天皇の銀婚式の切手あたりで、天皇の肖像切手が発行された可能性は少なからずあったと思います。


 それが潰えてしまったのは、ひとえに、昭和10年前後からのヒステリックな天皇崇拝が世に蔓延してからのことで、現在なお、その頃の皇室イメージが少なからず残っており、それ以前のもっとおおらかだった時代のことが忘れられているのは残念な気がします。