☆珍しく・・・の話など | ガーラ・アマノ 天野 洋介オフィシャルブログ【一杯やるっすべ〜!!】

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ガーラ・アマノの天野です。「秋田のいいモノ、お国言葉でご紹介!口上人」プロデューサーと2013ミスユニバース秋田代表・久杉香菜のマネジメントをしております。Web制作、TV番組・CM制作、CGI開発など、秋田のNo.1クリエーション企業を目指して奮闘しています。

 福田首相辞任、のニュースですね。
先ほど、古館さんの番組でコメントしていた東京大学の
名誉教授の方のお話がとても面白かった。

 さて、今日は天野のへそ曲がりの高校時代の話など。
親父から、「きさん~(貴様の意)天皇陛下を寝転んでみるやつがいるか~!」
と言う叱咤を、子供のころ受けて育ったものである。もちろんテレビの話。

 秋田に昭和天皇がいらっしゃった時には、現在のヤマハ秋田店前の
中央通りに親子4人で、親父に拝顔しに連れられて行ったものである。
 陛下の車がお通りになる際には、頭を下げられたので、ついぞお顔を
拝見することは、無かったのだけども。

 さて、日本の今後の政治の事は、我々クラスでは予想もつかなので
天野の昔のくだらない話など。

 昔から、戦争、いや先の大戦というものに随分興味を持ち、結構な
本を読んできたと思う。

 高校時代の夏休みに倫理社会の宿題で書いたレポート。
「ヒトラーは、何故日本と手を結んだのか?」
ひねくれた高校生だったと思う。

 もちろん、日独伊三国同盟の話にもなるのだけども、

17歳の男子が思ったこと。
「ヒトラーは、20世紀最大の悪魔、と言われているが、なぜ日本はドイツと手を結んだのか?」
「ナチスドイツはなぜ与党第一党となれたのか?」
「なぜ、ドイツ国民は「ハイルヒトラー!」と彼を信奉したのか?」
「なぜ、迫害されたユダヤ人を近隣諸国は、受け入れてあげなかったのか?」
「自国の民を100万人も粛正したスターリンって?ヒトラーよりひどくないの?」
そんな事を随分疑問に思っていた。

 あ~、こんな事を書くと、すぐに一部の思想家の方からコメントがあったりしますが、
けしてヒトラー信者でも、右でも左でもないのであらかじめ。
 あまのじゃくというか、「なぜ」を調べてみなければ、納得できない
性格だったらしいですね。

 レポート提出後、倫理社会の先生から、呼び出し。

「このレポートな、面白かった。おれも書きたい事書かせてもらった。読め。」

見ると、おいらのレポート(5、6枚くらいだったと思うのだけど)に
真っ赤にコメント赤が入っている。

 要約すると、ナチスドイツが、そして全体主義(ファシズム)、というものが、
以下に不条理なものであることだったと思う。
 職員室で、1時間くらい二人で議論した記憶がある。

※議論と書くと、おいらが右で、彼と相対峙したと言う事になるが
そうではなく、教えてもらった、という方が正解か。
(その先生のおかげで倫理社会が大好きだったのだけども、後年その先生の
イデオロギーを知る事になる。)

 戦争が無くなるかどうかは、神のみぞ知る、であり、天野レベルでは
語る資格など無いと思うのだけども、戦争を知らない我々は
それを知り、後世に伝える義務があると思います。

 戦争は悪い事、だけではなく、なぜ日本で先の大戦が起きたのか、そして
なぜ、アメリカを相手に開戦しなければ行けなかったのか?

 なぜ日本は負けたのか?

最近設立されたベンチャー企業が、自社の社名に「エノラ・ゲイ」と言う
名前を候補に挙げていたとのブログを見た。

 もっとも恥ずべき、悲しい、愚かな企業だと思います。
その会社に未来は無いですね。

 広島に落とされた、「kiss for Hirohito(ヒロヒト(昭和天皇)にキスを)」と
いたずら書きされた、リトルボーイという名前を付けられた原子力爆弾。

 それを落とした、B29戦略爆撃機の名前である。
機長の母親の名前、と言うが、そんなのは関係ない。
 くそっくらえだ。

 その、くそリトルボーイのせいで、何十万という人々が死を迎える事に
なるのである。
 それを社名に、というのである。絶句しかない。

8月あたまの週ラジで、御巣鷹山のあの惨事に関する放送をさせていただいた。
夏は暑く、短いけども、絶対に忘れないで、後世に伝えなければ、などと
生意気な事を、オンエアでしゃべってしまった。

 ヒロシマ、ナガサキ、絶対に我々日本人が忘れてはいけない事と思います。

原爆、パールハーバー、三国同盟、海軍五省、トーキョー裁判、東条英機、
ヘルゲンベルゼン、ナチ、靖国、天皇陛下。
 そして、高校の時に書いたあの下らないレポート。
自分自身、忘れてはいけない事といつも思っております。

 戦争についてブログに書く事はありませんでした。
もちろん、戦争を知らない世代、でありますし。

 ただ、戦争について語るには、勉強しなければなりません。
そして、それを後世に伝える義務があります。

 東京裁判、10年近く行われました。その時に、日本で被告として
扱われた方たち、いわゆる戦犯と言われた方たち。
この方たちの通訳をしていた方達の事をご存知ですか?
 ぜひ、一度皆さんも調べてみて下さい。
 
(※戦犯という言葉は、あまり好きではありません。もちろん、この言葉に関しても、かなりの議論があるでしょう。ただ、昭和天皇は、「東条、松岡までも・・・それが私の心だ。」と靖国を参拝しなくなった理由として、昭和天皇メモの中に、書き記しています。これに関しても様々なご意見があると思います。)