私の趣味に「旅」は無かった。行きたい所も、見たい物も、食べたい物も特には無かった。出掛ける前の準備が億劫だし、各種手配も面倒くさい。時間が有る時はお金が無かったし、お金が有った時は自由が無かった。半分は言い訳だけど。
それでも、思えば日本中を旅した。ヘレンさんに連れられて、ヘレンさんを追いかけて。自分の狭い部屋のデスクやベッドに居ることが大好きな私が、よくもまぁ…呆れるほどの旅人っぷり。
ヘレンさんが小さくまとまりたい私をこじ開けてくれたと思う。私は新しい物に出会って、たくさんの刺激を受け、人生にかくも華やかな色を着けてきた。私の人生の中には、ヘレンさんという小さくて大きな花が今も色鮮やかに咲いている。そして、いつも良い香りを放っている。

何処へ行ってもそこにはヘレンさんの「暮らし」があったから、私の日常とはかけ離れてはいなかった。清潔に掃除されたヘレンさんの部屋でお茶を飲み、庭に咲く小さな花がいつも添えられた机で過ごし、柔らかいベッドで寝た。シーツの端と端を持ち、一緒に畳むときが幸せだった。私達は笑いながら引っ張りっこをしたね。
ヘレンさんの運転でいろいろな所にも行った。その土地の小さな歴史と、見るべき物と、美味しい物がいつもセットだったね。
ヘレンさんがそこで出会った大切な人達にも紹介された。言葉のイントネーションが変わっても、人の心は同じだった。大なり小なり問題を抱えていても温かく善良な人達。そんな当たり前の事もヘレンさんを通さなければ知りえなかったと思う。
「人生は旅だ」神父様は言うけれど、今は少し理解できる。時間の限られた私達のもう後半生。振り返る時間の方が多くなっていると思う。大きく、小さく、永く、短く、ずっと旅をしている自分を見つける。
今住んでいる部屋からの空を切り取る。同じ姿を留めない雲が大好きだ。