母と2人、約束の1時には30分も早く、病院にタクシーで到着しました。


4/8に転院してこられましたよね、

リハビリを開始し、採血やレントゲンも撮りました、肺に白い点があります、

水か腫瘍か、肺炎ではないかと考えられました、

呼吸器系に問題はありませんでした、

高次機能障害です、

実は2週間前から、体がきつい、食事が摂れないと仰ってました

血液検査をしました、

心臓は正常、痰が多い、熱発しました。

5/11から痰の吸引をし、酸素吸入をしました。

腎機能がかなり弱ってます。

肺炎てあるだろうと抗生物質の投与を始めました、誤嚥性肺炎ですね、

間室性肺炎をもともと起こしており、そこに、誤嚥性肺炎を起こし、低酸素血症を起こしておられます。


主時期のお話はとても難しい言葉と数値の説明も入ってました。


最後に主治医は、

よくなる見込みはありません、

今後どうするか、

心臓マッサージや挿管しますか、

どこまで医療を使いますか、

最期の時をどこで迎えますか、

今週中に考えてきてくださいとおっしゃいました。


お話のあと、病室を訪ねると、父は、酸素吸入をし、腕には何本も点滴の管が入り、話もままならぬ状態でした。


ただ一言、姉はどんなしとるかねとか細い声で言いました。



帰ってから、なるべく明るく振る舞いました。

母は、もう長くないとだろうねと言ってました。



眠りにつく頃、私は考えました。

父は、締めるところは締めるけど、基本、子供達の自由にさせてくれました。

妹は親孝行で、風邪引かないよにねと、自然と言えるタイプですが、私はそんな言葉かけなど絶対にできないのです。

学生を終え働き出した頃から、「お父さん、お母さん」と呼ぶことができず、困っていました。

結婚してから子供が生まれると、孫目線で「じいちゃん、ばあちゃん」と呼べるようになりましたが、今でも「お父さん、お母さん」とは声をかけれません。


いくつもの親不孝を、いや、いくつもなんてもんじゃない!!

生きる親不孝そのものの私は、

父の最期を家で看る!!!!と心に決めたのです。


それは、父と会ったときの母の安心感、

母を見たときの父の笑顔、

が忘れられず、

思いもよらぬ形で病院につれてこられ、何が何だかわからないで混乱している両親を、特に父を、安心して少してもらう場所は家しかないと思ったからです。


主人も妹も、最初は反対しました。

全ての負担が私にかかり、私が自宅へ戻れなくなってしまう、私が倒れてしまうのとを心配してでした。


最後には了解して、何でも手伝うと言ってくれました。


16日(木)に、病院へ出向いて、自宅に帰りますと伝えようと心に決めました。