恥を知る           

恥を知る心、悪いことを恐れる心は六根をコントロールできます。
六根をコントロールした後、戒を生むことができます。
戒は禅定を生むことができます。
禅定は智慧を生むことができます。

六根をコントロールできる人は、戒は静かです。静かな戒は禅定の心を生みやすく、心も静止できます。その後必ず智慧に至ります。智慧の光は心の中の混濁や迷蒙と心の中の隅に隠れているいろいろな煩悩を照らし出します。その後で徹底的に煩悩を捨て去ることができます。

修行に勤しむ

ある時、我々はあることが良いことだと知り、こうした良いことが自分の身にも起こってほしいと思います。それでも、頑張って最後まで行うことができません。それは勤勉な心が足りないからです。ひとたび勤勉な心が無くなると、もろもろの美徳が心の中で咲き誇ることはできなくなります。

苦海を脱したい人は修行に勤しむべし

どんな原因で出家者が修行をさぼるのでしょうか。またどんな原因で出家者が修行に励むのでしょうか。仏陀のこの教えを深く考え、生活の中に活かしましょう。

出家者が修行をさぼる原因
(1)仕事がまだ終わっていないのは分かっています。しかし疲れるのが気になり、
先に寝ます。寝た後十分な力が出て仕事ができると思います。自分がまだ悟らない法を修行することに勤勉ではありません。
(2)仕事はすでに終わり、すでに完成したと思います。疲労が激しく。よく寝たい
と思います。そして、修行をさぼりました。
(3)遠くに行くことを知っています。歩こうとすれば力もいるし、疲れます。
ですから先に寝ます、そして修行をさぼりました。
(4) 遠くから帰ってきました。とても疲れました。だから寝ます。そして修行をさぼりました。

(5)托鉢でもらった食物は多くありませんでした。これしか食べないのなら、力が出ません。もし修行が何の効果が出ないのが確実なら、寝たほうがましです。そして修行をさぼりました。
(6)托鉢でもらった食物が大変多く、おなかいっぱいになりました。体が重くて
仕事になりません。寝たほうがましです。そして修行をさぼりました。
(7)少し病気です。まさによい口実です。仕事や修行で病気がもっと重くなるのが
心配で寝ました。そして修行をさぼりました。
(8)病気がよくなりました。でも体は回復の途中です。あまり力がありません。休んでもっと休息するに越したことはありません。さもなければ病気がまたぶり返します。そして修行をさぼりました。

出家者が修行に勤しむ原因
(1)仕事がまだ完成していないのは分かっています。でももう一度考えました。仕事の時に瞑想や修行をするのは大変不便です。今はまだ少し時間があります。先に修行するほうがましです。あるまだ獲得していない美徳や仏法を悟るかもしれない。
(2)仕事はもう終わりました。これはちょうどいいです。仕事の時は瞑想修行ができません。今仕事が終わったので、ちゃんと瞑想するにはちょうどいいです。
(3)遠い所に行くのを知っています。行く途中で瞑想修行するのは大変便利ではありません。それならまだ出かけていない今、先に少し瞑想します。
(4)遠くから帰ってきました。これはちょうどいいです。外出時は修行は不便です。今帰ってきました。ちゃんと修行するにはちょうどいいです。

(5)托鉢でもらった食物は多くないです。これはちょうどいいです。少ししか食べないので、体も軽いです。たくさん瞑想ができます。
(6)托鉢でもらった食物が大変たくさんあります。これはちょうどいいです。食べておなかがいっぱいで力もあります。もっと仕事もできますし、もっとよく修行もできます
(7)少し病気です。でももう一度考えました。病気がもっと重くなるかもしれません。
その時は修行をするのが不便かもしれません。それでは今より多く瞑想するほうがましです。
(8)病気がよくなりました、でもまた病気がぶり返すかもしれません。今修行に励む方がましです。  
我々は以上の8種類の考え方とやり方で繰り返し思案します。自分はどの種類の人かと。これからどのようにすべきかそれでかまいません。
  
我はもし生死から脱すること、正覚涅槃に至ることができないなら。決してこの座を離れない
(仏陀が菩提樹の下、金剛座での誓いの言葉)

修行を積むことの利益
(1)永久に怠惰な心を根絶する。
(2)すべての美徳が心に芽生える。
(3)吉祥経の中の法則がみな、自分自身の上に実現する。
(4)容易に涅槃を悟る。
(5)などなど

忍耐が不撓不屈の気力をひねり出す、これこそが至高の美徳修行である。