(1)清浄な財物 

布施による物は、布施する人が正当な方法で手に入れたものでなければなりません。例えば、人から騙し取ったものや人に強要して手にいれたものではいけません。正当な方法で手に入れた粗末なお茶やご飯の方が、不正なお金で用意された豪華な宴席という布施よりも、多くの功徳を得ることができます。 

 

(2)清浄な志 

布施をする人が心からそれを望むなら、善行をなし、自己の名誉や利益のためではなく、心の中の吝嗇の心を取り除くものでなければなりません。布施の志は次の3つのときに清浄に保たれます。 

-布施をする前に、自ら施す意志を持ち、心の中が敬虔な気持ちになっていること。

-布施をするとき、真心から敬意を持って行い、心が喜びにあふれていること。 

-布施をした後も、心には喜びがあり、施したものをもったいないと思ったり、後悔しないこと。 

 

(3)清浄な人 

清浄な人とは、美徳を持ち、仏法のもとで懸命に修行し、戒律を守る人のことです。仏陀は僧侶が世間における福田だと説かれましたが、それにしても仏陀は布施をする僧侶を選ぶとき、戒律を厳しく守っている僧侶を選ぶように説かれました。真面目に修行した僧侶は、福田になるからです。もし特定の僧侶を選ばなかったら、戒律を厳しく守っている僧団を選びます。 

 

布施を行う側の私たちも、もし最大の布施の功徳を得たいと思ったら、清浄な戒律を守らなければなりません。僧侶が少なくとも五戒を先に私たちに与えてくれれば、得られる功徳はより行き届いたものになるでしょう。 

 

布施の果報 

 

布施は心に静けさとすがすがしさをもたらします。常に布施を行う人は心が清らかで穏やかになり、その社会はお互いに助け合うため平和となり、混乱になりません。施した功徳は心の中に溜まり、昇華してひとかたまりの力となります。すばらしいもの、徳、財物が私たちの生命に集まります。布施を多くすればそれらのものを引き寄せる力は強くなります。 

 

その反面、布施をしなければ、引き寄せる力はどんどん弱くなります。このことから、タイの昔の人は布施をすればするほどお金持ちになると言っていました。仏陀は布施について以下のように説かれました。 

 

人は施すべき物を施すべきである。 

 

布施は仏陀が称賛する美徳である。 

布施を称賛しない人は愚かな者である。 

信仰心さえあれば、布施するものが少なくても功徳が少ないとは言えない。 

布施をするものの生命の繁栄を促進する。 

布施をするものは、他人と友好関係を結ぶことができる。 

 

布施するものは人々に愛される。 

知恵で他人に楽しみを与える人は楽しみを得られる。 

食べ物を布施する人は力を与えられるとも言われる。 

服を布施する人は健康な肌を与えられるとも言われる。 

乗り物を布施する人は楽しみと心地よさを与えられるとも言われる。 

明かりを布施する人は明るいまなざしを与えられるとも言われる。 

 

住宅を布施する人はすべてを与えられるとも言われる。 

仏法を布施する人は永遠の仏法を与えられるとも言われる。 

満足できるものを布施した人は必ず自らが満足できるものを得られる。 

すばらしいものを布施した人は必ず、すばらしいものを得られる。 

最もよいのものを布施した人は必ず最もよいものを得られる。 

高尚なものを布施した人は高尚なものを得られる。 

 

最もよく、高尚で、すばらしいものを布施した人は、どこに生まれても長寿と栄誉・称賛を得られる。 

 

布施の果報 

1.すべての財産の源である。 

2.得た財産を保ち続ける。 

3.幸福をもたらす。 

4.人々に愛される。 

5.誰とでも友好関係を結ぶことができる。 

6.魅力のある人になれる。 

7.よい人が付き合いたい人になれる。 

8.社会に出ると歓迎される。 

9.どこにいても勇敢な気概を持っている。 

10.名誉を得られる。 

11.死後、天国に行ける。 

などです。