枝葉が生い茂り、花を咲かせ、多くの実をつけた樹木は、必ず園丁により、更に手の込んだ手入れを受けることができる。布施の美徳を行うことができる人は、価値のある人とみなされる以外にも、人々の称賛と援助を得ることができる。
布施とは何か
布施とは施しをすることです。他人の利益のために自分の財産を喜んで施します。
布施は人類のよい行いの基本で、幸福な世界と平和な社会のために欠かせない美徳です。
両親が施さない、つまり私たちを育てなかったらこれまで生きてこられません。
夫婦が働いたお金を分かち合わなかったら、家族は崩壊します。
教師が施さない、つまり学生に知識を授けなかったら、学生は無知な愚かな者になります。
われわれが、紛争が起こって、互いに許し合わなかったら、世界は崩壊します。
人間の命は各種の施しで生かされています。施しによって、私たちが大きくなったり、知識を得たり、世界が平和になったりします。布施はすべての人類にとって、大きな重要性を持つものです。
布施の種類
(1)財施
物を施します。
(2) 法施
仏法あるいは世俗の知識で布施を行います。世俗の知識とは、様々な分野の技術などで、仏法の知識とは、悪行を捨てさせ、人に善行を行わせることで心を清らかにします。
(3) 無畏施
人を許す心、寛容な心で施します。怒り、恨みを心から取り除いていきます。
仏法を施すことは、最高の功徳ある布施を獲得することです。その知識を学ぶ人は鋭い刀のように煩悩を断ち切り、いろいろな欲望に打ち勝つことができる知恵を持ち、現世から来世にも渡り無限にそれを利用することが出来るからです。その他の布施は、時間がたつと布施を受けた人により、使い尽くされてしまいます。
仏法の知恵を布施することは、あらゆる布施に勝ります。
布施の目的
(1)利益のために施します
功徳を積むためではなく、人間関係を向上させるため、布施を受ける人が与える人を気に入るように施します。例えば、選挙の時に自分に投票させるために、橋や道路を造ったり、お寺に出かけ、金銭を持って布施をします。
また、女性の気を引くために、家族に物をプレゼントしたりします。このように人心を買い、布施を受ける人に与える自分を「よい人」だと思わせるための布施です。こうした利益のための布施は功徳を得るかと言えば、得ることは得ますが、少なくて不十分です。援助や謝恩のための布施には遠く及びません。
(2)援助するために施します
慈悲の心からの援助・支援のための布施です。例えば、両親が子供を育てます。先生は学生に知識を与えます。家庭が貧しい学生に奨学金を与えます。
(3)報恩するために施します
父母、先生など、これまで援助してくれた人に、体、言葉、心で敬意を示したり、自分の持っている財産を与えたり、彼らが病気の時にそばで看 護したり、楽しいときばかりでなく、苦しいときも見捨てません。上記の人々のほか、私たちに仏法を教える道徳のある僧侶も同様です。僧侶がこれからも修行を続け、仏法を教えるために必要な物(衣服・食品・住まい・薬)を施します。
人間は死後、針一本さえ持っていくことができません。財産を持っていくただ唯一の方法は、その財産を布施することです。布施は、老い、病い、死という苦しみの炎の中にいる私たちを助けてくれます。例えば、火事が起きた時に運び出した財物は、後の私たちに役立ちます。同じように布施された財物は、すでに心の中から運び出されたものです。その財産を布施したら、その後、財産を施した人の役に立ちます。
功徳を得ない布施
(1)アルコール類、麻薬などを施します。
(2)武器を施します。例えば、喧嘩を始めた人に銃やナイフを渡すなどです。
(3)映画館、演奏会やダンスへ連れて行きます。これは性欲を催すことにつながります。
(4)異性を施します。例えば、オスの犬のためにメスの犬を探します。上司に美しい女性を紹介することなどです。
(5)猥褻な書籍、写真、フィルムなど性欲を催させるようなすべてのものを施します。
功徳をたくさん得る布施の条件
功徳をたくさん得るための3つの条件があります。