どうも、近大生のニカですっ。
今回は、私が有する発達障害について触れたいと思います。
私は幼い頃からADHDと分類され、
衝動性、不注意、長時間集中ができない、話を聞いていない、
など、数々の不注意を犯してきました。
そんな僕は、中学三年生ごろにやっとのことで自分の問題に自覚し始め、
その深刻さを知りました。
中二の頃まではまるで無自覚で、いま振り返ると、
クラスメイトから「割としっかりと」引かれるようなことばかりしていたなと感じます。
いざ蓋を開けると…
独り言を授業中に当然かのように話したり、
ノートに先生の姿を描いたり、
爪を噛んだり、
水筒やペットボトルのキャップを締め忘れ、幾度となくこぼしたり、
食器を軽い持ち方をしていて、落として割ったり、
電気を消し忘れたり、
学校に寝坊ばかりしたり…。
さらには失敗が重なり、だんだんと親に嘘をつくクセまでついてきてしまいました。
これに自身が向き合い始めた時、とてつもない爆弾を自身は抱えているということを実感しました。
なんて無神経で、空気の読めないやつなんだと。
罪意識を感じました。
正直今に至るまでに、何度も死ぬことを考えました。
それだけ「なんでこんなこともできないの?」と自分では思っていました。
その悩みを断ち切るべく、
もう散々、簡単な医学の本なり精神疾患に関する本(ADHD,ASD,HSP,パーソナル障害、さらにはストレス障害やパニック障害にまで)を読み漁りました。
そんな僕が今に至るまでにどのように様々な注意欠陥を治してきたのかを少しまとめたいと思います。
失敗を自分事だと認めることから始めましょう。
精神論みたいな話になります。
しかしここを見逃しては、僕はこれまで治すことができませんでした。
まずは自分の犯したことを知ることから始めることだと思います。
僕の場合高校の頃から、妙に「変なプライド」が心の中で騒めき始め、
特に勉強面では、
こんなこと自分がわからないわけがないっ!!
なんて幻想を日々抱き続けていました。
当然受験には失敗し、第一志望に滑って今ここにいます。
そこから大学生活が始まるわけですが、
長く、長く、考え続けました。
今後の生き方。
自分とはどんなヤツなのか。
…そこで掴めたのは、
まず自分の非を受け入れよう、ということでした。
皆失敗し、そこから学ぶのだという基本原則を、いつの日か置き去りにしていました。
大事なのは、「皆失敗する」ということ。
これを紛らわしくさせるのは、「失敗に無自覚なヤツがいる」ということ。
バイト先でもいます、「これはこんな感じで、テキトーにしとったらええねん」と。
しかし、そこに、その先の自分の成長など存在しないわけです。
先ほど罪意識と言いましたが、
たいていの人々はどうやら、自分の失敗という向き合いたくないから、
”意識的に”避けているようだと、
最近気づいたことです。
随分、私たちからすると、傲慢な人間が多いようです、世の中は。
(どこかの本で、TAKER、と表現されていたことを思い出しました。)
つまり、例えば「自分がADHDじゃないか」と気づけただけでも、”価値がある”ということになります。
もちろん私だって、簡単には変われません。日々リハビリです。
特に異性と話す時なんかは、一つ一つの言葉遣いにより慎重になって、
傷つかない言葉選び
を必死に考えています。
これを考えているうちは、恋人なんて程遠いでしょうね笑
しかし、これの積み重ねが、将来の自分を作り上げるのだと考えると、
「これは正しいプロセスなんだ」といつも思うようにしています。
…いかがでしたでしょうか。
今現在、私はADHD初め、その他の精神障害についても様々な意見を持っていますが、
何か疑問点等ございましたら、コメントでおっしゃってくださいね★
というわけで、本日は以上ですっ。