夏休みもボチボチ終わろうかってところで... このお話しもおしまい。んじゃ.. いっきに書いちゃいますか。ではでは更新。
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野素と組んでY'sを始動した僕は、インやインやホンマ... 恐いもん無しやったよねえ
やるLiveやるLiveがおおウケの破竹の勢い!!湘南ミュージシャン何するものぞってなもんやったよねえ
音楽はよく「人生だ」なんて言い方をされたりするけど.. そこまで生きてきた35年を超える道のりに加えて、このクワイヤーで過ごした5年の間に叩き込まれた「音楽」・「ステージング」・「パフォーマンス」の理屈を持ってして..
そこらの若いモンにゃあ負けるわけにはイカン。ってか.. 負ける気はこれっぽちもせんかったよねえ ってか、このクワイヤーの看板を背負ってる気概とか.. このクワイヤーの遺伝子を継ぐものとしての自負はいつもあったよねえ。
んでもね。実際に、負ける気がせんかったんはそんな僕自身がどうのこうのって話しではなくてね..
それは..
天才ギタリスト&プロデューサーの野素がいつも僕の隣にいて.. んで、なんちゅうたかて最強のオーディエンス.. そう、このクワイヤーの仲間達が、いつも僕のオーディエンスとして、Live会場に駆けつけてくれてたんやもん。企業的な言い方をすれば、「ステークホルダー全てが味方」って状況がいつもそこに出来上がってたかんね.. そりゃ無敵ですわなあ
でね。このクワイヤー5周年LIVE後、そんな個人のバンド活動に夢中になってたら.. 気がつきゃ3年くらいあっと言う間にたってたって訳で、んじゃその間にクワイヤーがどうなったかって話しよ。
僕が個人でLiveができてるのも.. 全てがこのクワイヤーから貰ったもんのオカゲやから.. 感謝の気持は忘れた事がないし.. ってか、僕はこのクワイヤーを愛してるからね。何よりも。
だから時間があけば、必ず顔を出しとったし... それは、「半年に一回」とか、ホンマ忘れた頃にってペースやったかもしれんけど.. んでも、僕からすりゃ.. いつも思ってるから..思い続けてるから.. 少しでも時間が空けば顔を出し続けれた訳でね。
んでも.. そんな久々な感じで顔を出すクワイヤーは、ホンマいつも寂しい限りで.. これが、あれだけの隆盛を誇ったあのクワイヤーと同じクワイヤーか?と..思えるほどの寂しさで.. リハへの参加者は、そやなあ... いつも、ホンマ数名って感じやったよねえ。
聞けば.. テナー最年長.. 【干支~..?】さんと英雄’sちゃんの二人きりのリハの日もあったとか。
でね..
そんな状況をして、ここに通い続けてるメンバー達が、自嘲を込めてここのクワイヤーの名前を.. もともとのここのクワイヤーの名前をもじって.. 【チョイ鎌倉】と.. そんな風に呼び出したんよね。
思えば、この5周年からの三年間が、このクワイヤーにとって一番厳しい冬の時代やったんかもしれん。けど.. それを、このクワイヤーは乗り越えて行くんよね。
そして、この時代を乗り越えたその先に.. 無事に10周年を迎える事になるんやけど.. それはまた後の話し。
英雄’sちゃんは後に..この頃の事を話すエピソードとしてこんな事を言う.. 「でも、メンバーが一人も来なかった日はなかった」.. と。
何の説明もない短い言葉やけど.. 僕はこのセリフが好きでね。
10周年を無事に迎え.. そして、10年を超えてなお続いているこのクワイヤーを表す言葉として.. 一番しっくりくる言葉やと思ってて.. その言葉を持って.. このチョイ鎌倉編 〆の言葉とさせてもらいたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
またいつか、この続きもかきまっさ。ではでは。今晩はこの辺で。どちらさんもおやすみやす。